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原爆は「落ちた」のではない。「落とされた」のだ [社会]

 今日、8月6日は人類史上初の原爆投下から62年目の「広島原爆の日」です。平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が行われました。

 1945年8月6日午前8時15分、米軍爆撃機エノラ・ゲイが人類史上初めて原子爆弾「リトルボーイ」を広島市に投下しました。上空約600メートルで爆発し、熱線や爆風、大量の放射線のため市中心部は壊滅し、45年末までに約14万人が死亡しています。
 この原爆は、「落ちた」のではありません。それは、「落とされた」のです。それは自然現象ではなく、人間の行為によって生じた人為的な現象です。原爆は「落とす」人がいたから、「落ちた」のです。
 原爆投下のスイッチを入れた人がおり、そうすることを命じた指揮官がおり、それを了承した政治家がおり、それを開発した科学者や技術者がいました。人間の集合的行為の結果として原爆が投下され、一瞬にして多くの人が命を落とし、今もなお後遺症で苦しむ人々を生み出しました。そのプロセスにおいて、「これは人間のやることではない」と思った人は、誰もいなかったのでしょうか。

 安倍首相は昨日の夕、広島市を訪れて市内のホテルで原爆の被爆者団体代表らと面会しました。この席で首相は、原爆症の認定基準について、緩和を前提に見直しを検討する考えを表明しました。
 参院選で負けなければ、安倍首相はこのようなことをしなかったでしょう。もともと、「被爆者代表から要望を聞く会」への出席要請を断っており、欠席の意向を伝えていました。
 この予定を変更させた力は、参院選での自民党の敗北です。人気の回復を図るために、急遽、被爆者の声を聞き、その要望に応える姿勢を示そうとしたのです。

 それでも、やはり安倍さんです。付け焼き刃の人気取りの悲しさでしょうか。
 被爆者団体の代表をホテルに呼びつけるという形で、面会することになりました。被爆者の心に寄り添い、自ら足を運ぶという「気配り」すらできなかったというわけです。
 「首相側が、被爆者や市側の反発を受けあらためて日程を調整。ようやく、宿泊先ホテルでの前日の面会となったが、正式な会に出席せず、被爆者側を呼びつける形となったことに『正常ではない』と不満をあらわにする被爆者代表もいた」(『東京新聞』8月6日付)そうです。

 しかし、たとえそれが「人気取り」であったにしても、このような形で被爆者の声を聞いたことは、それなりに評価できるでしょう。被爆者対策を少しでも前進させ、可能な限り救済するべきです。
 次の段階では、言葉だけでなく具体的な行動が望まれます。国が原爆症の認定申請を却下した処分の取り消しなどを求める集団訴訟では連戦連敗ですから、先ず、この控訴を取り下げることが必要でしょう。
 安倍首相の発言を受けて、柳沢厚生労働相も専門家による検討会を設置して1年以内で見直し作業を進める方針を明らかにしました。見直しにあたっては被爆者の声を反映させていく考えを示したそうですが、できるだけ被爆者の要望に添う形で、早急に対応することが望まれます。

 今回の安倍首相の行動は、選挙の結果が政治を動かすことの一例だと言えるでしょう。これからも、このような例が多く見られるにちがいありません。
 政治は選挙の結果によって動き、選挙結果は民意によって産み出されたものです。つまり、民意によって政治は動かされるのです。
 民意が望めば、核廃絶を外交政策の主要な課題とする「非核の政府」も作れるかもしれません。原爆が人間の過ちによって「落とされた」ものである限り、二度と再び「落とさせない」こともまた、人間の行動によって可能になるはずです。


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コメント 1

平和かいい・・・

でも原子爆弾を落として日本は平和になった部分もある
by 平和かいい・・・ (2007-12-05 07:23) 

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