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3月2日(日) 濱口桂一郎氏の「応答」への応答 [論攷]

 エーと、困りましたねえ。振り上げた拳をおろす場所がなくなってしまいました。

 せっかく力一杯振り上げて、さあ、これからどこを叩こうかと狙っていたのですが、濱口さんが、早々に「お詫びしたいと思います」とウェブに書かれましたので、私としては「叩く」訳にはいかなくなってしまったのです。
 このような率直な態度は評価したいと思います。でも、もう少し頑張っていただいた方が、議論は盛り上がったかもしれないので、ちょっと残念です。

 濱口さんの対応について、詳しくは「五十嵐さんへの応答」http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/をご覧になって下さい。これが、「応答」ではなく、「謝罪」とあればもっと評価したいところですが、内容は「謝罪」であると理解できます。
 ポイントになる部分は、以下のところです。

 その報告会におけるペーパーを引用しておられます。そこでは、宮沢、細川、村山各内閣において、生活大国から規制緩和へ徐々に重点が移っていったことが書かれており、事実五十嵐さんは月例研究会ではそのように語られたのでしょう。
 少なくとも今回の月例研究会の報告については、そうではなかったようです。そこを隠している云々といった私の批判は当を得ていないものというべきであり、撤回させていただくとともに、それを『知的誠実さ』の欠如と表現した点についてはお詫びしたいと思います。

 この時期の内閣を熱狂的に支持したか否か云々については、おそらく五十嵐さん自身は「それまでの自民党内閣よりはましだが支持するわけではない」という立場(リベラルでないサヨク)なのでしょうし、おそらくその点では他の政治学者の方々を念頭に置いた表現を適用するのはいささか適切ではなかったと言うべきだったと思います。

 政治的にかっこいい議論を追求することが、確かに批判されるべき面を有するがそれなりに有用なシステムに対して、想定以上の破壊的効果を及ぼすことがあり得るというパラドックスを、残念ながら90年代の日本人はあまり理解していなかったのではないかというのが、私の基本的な問題意識にあります。この批判を五十嵐さんに向かって投げかけるのは、あるいはむしろ適切ではなかったのかもしれません。

 このように、濱口さんは「反省」を示され、それをブログに公表されました。この点を、率直に評価し、「謝罪」を受け入れたいと思います。
 多少、奥歯に物の挟まったような言い方をされている感もありますが、それはやむを得ません。誰だって、そんなに簡単には、自分の過ちを認めたくないものですから……。
 それに、私の最初の論攷では、濱口さんの誤解を生むような弱点があったことも確かです。そもそも、濱口さんが最初に批判された論攷は90年代における変化ではなく、2000年以降の小泉「構造改革」における構造変化を扱ったもので、非自民連立政権の下での変化にはほとんど触れていません。論攷の性格からすれば当たり前だと言いたいところですが、しかし、この点にこだわる立場から読めば、「五十嵐は避けている」と見えたかもしれません。

 ここから、すぐに思い込んでしまわれたのでしょう。五十嵐は「サヨク」の政治学者だから、非自民連立政権を「熱狂的に支持」し、政治改革を応援したにちがいない。だから、新自由主義的改革を始めた細川・羽田・村山の非自民連立政権の責任を不問に付し、その事実を隠蔽しようとしているのではないか、と……。
 濱口さんが、私に対して「党派的に正当化しようとしているだけさらに悪質」「頭隠して尻隠さず的党派性は相変わらず」などと口を際めて一方的に批判されたのは、そのためだと思われます。ここに、濱口さんの誤った思い込みが集約されていたわけです。

 これに対して、私は2回目の批判の対象とされた月例研究会での報告を示し、それに対して濱口さんは「少なくとも今回の月例研究会の報告については、そうではなかったようです」として、この私の「反論」を受け入れられました。
 このペーパーは月例研究会の参加者に配布しておりますし、実は、それとほとんど同じものを、社会政策学会の共通論題の報告者会議でも配布して報告しております。この反論のために、急ごしらえしたものではありません。
 というより、社会政策学会の共通論題での報告を依頼されてから、90年代における変化をも視野に入れて準備しましたので、研究所の月例研究会でも報告させてもらったというのが、事実の経過です。

 ということで、「90年代初頭」からの「ネオリベ」化について、非自民連立政権を免罪しているかのような批判は根拠のないものであったということは、濱口さんによって認めていただきました。これについては、私も諒といたします。
 しかし、もう一つ、認めていただきたいものがあります。それは、次の部分に関わっています。

 特定の省庁の特定の審議会に巣食う業界や利害関係者と官僚たちの密室の談合で政策が決められるのがけしからん、もっと透明な政治過程が必要だ、と、利害関係者よりも理論で割り切る学者先生の議論を有り難がって、それを政治改革だ行政改革だともてはやしてきたのは、短慮なマスコミやそれに乗っかって薄っぺらな(少なくとも当該分野の専門的知見に基づいてではないという意味で)評論を量産してきた政治学者の先生方だったんではないんでせうかねえ、と皮肉の一つや二つ言いたくなるのですが、そういう観点はすっぽり抜け落ちているわけです。

 この点についても、濱口さんは「おそらく五十嵐さん自身は『それまでの自民党内閣よりはましだが支持するわけではない』という立場(リベラルでないサヨク)なのでしょうし、おそらくその点では他の政治学者の方々を念頭に置いた表現を適用するのはいささか適切ではなかったと言うべきだったと思います」と書かれ、ここでの記述が不適切だったことを認めておられます。
 しかし、「政治改革だ行政改革だともてはやしてきたのは、短慮なマスコミやそれに乗っかって薄っぺらな(少なくとも当該分野の専門的知見に基づいてではないという意味で)評論を量産してきた政治学者の先生方だったんではないんでせうかねえ」と、あたかも私自身がそうであったかのように書かれたことに対して、この程度の釈明では納得しかねると言わざるを得ません。
 28日のエントリーでも明らかにしたように、私は政治改革と小選挙区制を批判することに、ある意味では学者生命をかけてきました。それなのに、このような形で正反対の批判を浴びせられたのです。「いささか適切ではなかった」との一言で片づけられてはたまらないというのが、正直なところです。

 濱口さんが、どなたを念頭においてこう書かれたかは想像できます。言っちゃ何ですが、山口二郎さんや福岡政行さん、後房雄さんなどを意識して批判されたのでしょう。これらの方は、確かに、当時は政治改革を支持していましたから(ただし、山口さんはその後、反省の弁を述べておられます)……。
 しかし、これらの人びとと私とは決定的に異なり、反対の立場にありました。そして、そのことは私の誇りでもあります。
 濱口さんはこの違いを、今も理解しておられるのでしょうか。「何だ、こんなことも知らないのか」と、私としては言いたいところですが、これらの政治学者と私との違いをご存じなかったとは情けない、という思いで一杯です。

 なお、今回の「応答」で、濱口さんが以下のように書かれている点についても、一言しておきましょう。

 しかしながら、そのある面で正当な批判は、同時にそれまでの企業中心社会のもっていたそれなりの社会性、連帯性、福祉性を否定するという側面も有していました。そして、続く橋本内閣以降ではその側面が次第に前面に出るようになり、小泉内閣でその頂点に達するわけです。ここで重要なのは、この両面性をきちんと認識することであって、誰がどの内閣を支持したかしなかったかといったようなことではないのではないかと思います。

 この「両面性」については、私も意識していなかったわけではありません。月例研究会での報告では、細川以降の首相の演説を検討する前に、私は次のように書いています。

 現在に至る政策転換は、90年代前半に始まった。それ以前の日本は自信にあふれていた。経済的には“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と言われて日本的経営がお手本とされ、平和憲法に基づく軽武装国家としてのあり方が経済成長の要因だとして肯定的に評価されていた。
 しかし、このような自信は、90年頃に大きく揺らぐ。その原因は2つあった。一つは、「バブル経済」の破綻である。これによって「失われた10年」が始まり、日本的経営への自信と信頼が揺らいだ。もう一つは、湾岸戦争の勃発である。これによって「一国平和主義」批判が巻き起こり、それまでの軽武装国家路線が見直される。
 しかもこのとき、アメリカは新たな対外攻勢に向けての準備を行っていた。80年代から90年代にかけて形成された「ワシントン・コンセンサス」に基づく新自由主義的政策の「輸出」である。「新自由主義の道をとらせるために、日本やヨーロッパにさえ(世界の他の部分は言うまでもない)、かなりの圧力がかけられた」とデヴィット・ハーヴェイが言うように、その相手国には、当然、日本も含まれていた。
 このとき、日本は大きな間違いを犯した。第1に、これまでの過去を精算主義的に総括してしまったことである。日本的なあり方を全て否定し、それとは全く異なった新たな路線を模索した。第2に、その路線はグローバリズムを受け入れることだと勘違いしたことである。しかも、それが事実上、アメリカ化にすぎないということに気がつかなかった。
 こうして、日本はグローバル化への対応を急ぎ、アメリカに盛られた「毒」とも知らずに「ワシントン・コンセンサス」を飲み込んでしまうのである。新自由主義による市場原理主義と規制緩和の路線を……。

 ここで「精算主義的に総括してしまった」と書いたとき、「日本的経営」における安定性を意識していました。それは、普通の労働者にとっての、それなりの職業生活の安定でもあったわけですから……。
 それをあっさりと投げ捨ててしまって良かったのかというのが、私の問題意識でした。ここでは、多分、濱口さんと共通する部分があると思います。濱口さんは「敵ではない」、「幅広い意味での研究者仲間だ」と書いたのは、このような意味でもありました。
 これは、「新自由主義以前」をどう見るかという点で、大きな論点であると思います。

 しかし、この論点と、私に対する批判とはまったく関係がありません。このようなことについて、批判の対象とされた論攷で、私は何も書いていなかったのですから……。
 どうして私が、「頭隠して尻隠さず的党派性は相変わらず」などと批判されなければならなかったのか、今回の濱口さんの「応答」を読んでも、今ひとつ理解できません。皆さんには、お分かりになられましたでしょうか。
 今後、批判をされる場合には、相手の主張をきちんと引用すること、可能なかぎり事実を確かめること、小馬鹿にしたような書き方や人格的批判は控えることなど、最低限のマナーやルールを守っていただきたいものです。濱口さんほどのキャリアや実績をお持ちの方であれば、いずれも言わずもがなのことだとは思いますが、一応、年上の者からの忠告とお聞き下さい。

 それにしても、思いこみによる批判とは怖いものです。濱口さんは、自分で幻をこしらえて、それを批判するという過ちを犯しました。
 風車を巨人と見間違え、突撃を繰り返したラ・マンチャの男「ドン・キホーテ」のようなものです。そのために、最初の突撃を苦笑しながら見逃してきた私も、二度も繰り返されたために黙っているわけにはいかなくなり、やむを得ず、研究者としての名誉を守るための反論権を行使させていただこうと、重い腰を上げたところでした。
 しかし、すんでのところで、濱口さんは自らの過ちを認めて「謝罪」するという正しい選択を行われました。私としても、救われた思いがします。全面的で徹底的な反論によって売り出し中の有望な研究者を傷つけるという、やりたくもないことを行わずに済んだのですから……。

 さて、今回の「論争」は、これで終わりにしましょう。この次は、研究者仲間としての実りある学術的な論争で相まみえることを楽しみにしております。


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