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3月29日(土) ホワイトカラー・エグゼンプションが蹴飛ばされたのは何故か [論攷]

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 拙著『労働政策-人間らしく働き、生きるために』、いよいよ4月25日刊行の予定。
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 昨晩、見逃していたNHKドラマ「海峡」の最終回を見ました。韓国に恋人を強制送還された主人公の女性が何とか就職したのが、紡績会社の労働組合の書記局です。

 その組合事務所の壁に、1950年前後の古いポスターが貼ってありました。私が目を凝らして見ていたのは、そのポスターです。
 というのは、それは大原社会問題研究所が所蔵しているポスターで、NHKに頼まれて使用を許可したものだったからです。研究所には古い組合資料だけでなく、このようなポスター類も沢山残されています。
 大原社会問題研究所が所蔵している珍しい資料については、ウェッブで見ることもできます。関心のある方は、「大原デジタルミュージアム」http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/museum/index.htmlをご訪問下さい。

 さて、昨日の続きです。ホワイトカラー・エグゼンプションについて、もう少し補足しておきましょう。
 ホワイトカラー・エグゼンプションという制度について、日本経団連の紀陸孝専務理事は、次のように述べています。これは、『朝日新聞』2006年7月3日付の「今日の論点」という欄に掲載されたもので、「多様な働き方で高い成果」という見出しが付いています。

 「残業代を払いたくないから、導入しようとしている」とか、「米国の制度を押しつけるものだ」という誤解があるが、そんな意図はまったくない。それでは優秀な人材も集まらない。……
 制度を導入する利点は、個々の労働者が多様なニーズに合わせて、自律的に働けるようになることだ。家庭の事情によっては、週3日の在宅勤務も可能になる。家庭と仕事が両立しやすくなれば、生きがいややりがいを感じる人も増えるだろう。

 また、前掲の1月18日の経済財政諮問会議で、丹羽宇一郎さんは、先に紹介した弁明に続けて次のように発言しています。

 ……ホワイトカラーエグゼンプションの本当の趣旨は、大手企業の大部分がそうだが、若い人でも、残業代はいらないから仕事をもっと早くスキルを身につけてやりたい、土日でも残業代はいらないから出社したいという人がたくさんいる。しかし、経営者がしてもらっては困ると言っている。なぜなら出社されると残業代を全部払わなければいけない。家で仕事をするよりも、会社に来て色々な資料もあるし、これで自分が人よりも早く仕事を覚えて仕事をしたいんだと。それを今は仕事をするなと言っている。ホワイトカラーエグゼンプションの制度がないからだ。だから、少なくとも土日だけはホワイトカラーエグゼンプションで、残業代は要らないから仕事をさせてくださいという人に、仕事をするなという経済の仕組みというのは実におかしい。これを何とかしてあげたい。

 紀陸さんは、「在宅勤務も可能になる」から、丹羽さんは、「土日でも残業代はいらないから出社したいという人がたくさんいる」から、だから、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入すべきだと仰る。一体、どちらなのでしょうか。「在宅勤務」が増えるのでしょうか、それとも、「土日の出勤」が増えるのでしょうか。
 ポイントは二つあります。一つは、今の日本の労働者に「自律的な」働き方が可能なのかということであり、もう一つは、「残業代は要らないから仕事をさせてくださいという人」が本当にいるのかということです。

 紀陸さんと同じ「今日の論点」という欄には、法政大学の藤村博之教授も登場されています。そこで、藤村さんは次のように述べています。

 ……それなりの水準の仕事をしようとすれば、いやおうなく時間がかかる。労働実態を無視したまま議論が進むことは危険である。……
 人員削減で長期不況を乗り切ったあとも、1人あたりの仕事の負荷は増えており、このような状態で労働時間管理の規制をはずすと、長時間労働の固定化につながる。仕事量をさらに積み上げるような悪乗りする企業も出てくるだろう。精神・健康を損なう温床になるという労働団体側の主張は十分根拠がある。

 紀陸さんと藤村さんのどちらが、「労働実態」を踏まえた議論になっているでしょうか。「自律的」に働くということは、「仕事の負荷」に対する裁量があり、「仕事量をさらに積み上げるような悪乗り」を拒むことができるということです。そのような労働者が、この日本の一体どこにいるのでしょうか。
 労働時間規制がなくなれば、確かに、紀陸さんの仰るように「家庭の事情によっては、週3日の在宅勤務も可能になる」かもしれません。しかし、「1人あたりの仕事の負荷は増えて」いますから、沢山の仕事を持ち帰り、食事や睡眠の時間を削ってパソコンの前に座り続けるということになりかねません。
 それでも仕事が間に合わないとなると、「家で仕事をするよりも、会社に来て色々な資料もあるし」、「土日でも残業代はいらないから出社したいという人がたくさん」出てくるにちがいありません。今は、「出社されると残業代を全部払わなければいけない」から、「経営者がしてもらっては困ると言っている」けれど、ホワイトカラーエグゼンプションが導入されて残業代を支払う必要がなくなれば、「どうぞ、どうぞ」と言うでしょう。丹羽さんも仰るように、そのためのホワイトカラー・エグゼンプションなのですから……。

 なお、1月18日の経済財政諮問会議で、八代さんは「私は早くから、この前の日曜日に大田議員がテレビで説明されたように、これは『残業の定額払い法案』であるというべきと考えていた。いわば管理職手当のように一定額を最初から出すことによって、それ以上残業が長くても短くても変わらないというのが本来の趣旨であるわけで、なぜこういううふうにわかりやすく言えないのか」と発言されています。
 この発言を読んだとき、私の脳裏に浮かんだのは「名ばかり管理職」という言葉でした。「いわば管理職手当のように一定額を最初から出すことによって、それ以上残業が長くても短くても変わらない」というのが、このような人々です。
 最初から出される「一定額」は、残業代を支払うよりもずっと低額です。ですから、八代さんは、本当は「残業の“低額”払い法案」と言うべきだったのです。

 前掲の『朝日新聞』の記事で、紀陸さんは「こうした制度を考える場合、労使双方には信頼関係や納得性が不可欠だ」と仰っています。その通りです。私も、そう思います。
 もし、そう仰るのであれば、名目のような「定額(低額?)」の「管理職手当」によって長時間こき使う「名ばかり管理職」「肩書きだけ店長」、残業しても残業代を支払わない「サービス(不払い)残業」などは一掃しなければなりません。このような抜け道を探そうとする企業や経営者が存在する限り、「労使双方の信頼関係や納得性」は不可能でしょう。

 また、丹羽さんは「残業代は要らないから仕事をさせてくださいという人に、仕事をするなという経済の仕組みというのは実におかしい」と仰っています。ご自分の発言の方が「実におかしい」ということに気がついていないのは、誠に困ったことです。
 経営者団体の幹部として、丹羽さんは御手洗さんよりもまだましだと思っていた私は、この発言を読んでガッカリしてしまいました。仕事をしたら対価を支払うというのは、資本主義経済のイロハではありませんか。
 もし、残業代なしでもいいから土日も出勤して仕事をしたいという若者がいたら、「残業代はきちんと請求しなさい」とたしなめるか、「休むべき時に休んだ方が能率は上がるものだ」と忠告するべきでしょう。このような若者には、「自己実現型ワーカホリック」という落とし穴がポッカリと口を開けているということを、丹羽さんはご存じないのでしょうか。

 ホワイトカラーエグゼンプションの導入を目指した人々の発言は、まさに藤村さんが指摘したように、「労働実態を無視したまま」の議論であったというべきでしょう。このような制度の導入論が強烈な反発を招いた根本的な原因は、この点にありました。
 「残業代ゼロ法案」というのは、命名の勝利ではなかったのです。このように命名されるべき本質をホワイトカラー・エグゼンプションという制度自体が持っていたがゆえに、この名が広く受け入れられ、反対世論の大波を生み出す力となったのでした。
 「名は体を表す」という言葉があります。この言葉を、経済界はじっくりとかみしめるべきではないでしょうか。


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