11月30日(日) 政策転換しなければ、死へ向かって突き進むしかないだろう [労働]
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拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書)刊行中。240頁、本体740円+税。
ご注文はhttp://tinyurl.com/4moya8またはhttp://tinyurl.com/3fevcqまで。
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「早急に政策転換を実現しなければ、日本経済は死へ向かって突き進むしかないだろう」
金子勝さんから献本していただいた岩波ブックレット『世界金融危機』の最初の部分に、こう書いてありました。「政策転換を実現しなければ、……死へ向かって突き進むしかない」のは、日本社会も同様です。
先日、朝日新聞の記者の方からのインタビューに答えながら、そう思いました。昨日のブログを書いているときも、「はやりこのままでは、日本は死へ向かって突き進むしかないだろう」との思いを強くしました。
どうして、私がそう考えたのか。以下、説明することにしましょう。
日本社会が抱えている最大の問題は、労働力の維持と再生産が不可能になりつつあるということです。働く人々がいなくなれば、その社会は崩壊するしかないということは、誰にでも分かる真理でしょう。
今の日本は、そのような社会へと変容しつつあります。残念ながら、自滅への道を歩み始めているということです。
昨年からの総人口の減少、それ以前からの生産年齢人口の縮小、そして、最近になってから深刻化しているワーキング・プアの増大。これらの事実こそが、日本がたどり始めた自滅社会の指標です。
そもそも、働いても生活できないような社会は、持続可能性を放棄しています。自らの労働によって自らの生存を維持できなければ、死滅するしかありません。
自らの個体を維持できない人が、結婚して家庭を持ち、新たな生命を育むなどということができるはずがないでしょう。普通に働いて普通に生活できるということは、労働力の維持だけでなく、その再生産をも可能にするものでなければなりません。
かつての日本社会は、そのようなものだったはずです。しかし、今日の日本では、そのようなことは、もはや見果てぬ夢になってしまいました。
その結果、三つの大きな問題が生じています。
一つは、日本社会の規模が縮小を始めたということです。先に指摘した人口の減少です。この趨勢が続けば、やがて日本という国は消滅し、この世界からなくなってしまうでしょう。
第二は、企業活動の停滞です。企業は、基本的には、雇われて働く労働力なしには存立できません。勤勉で優秀な労働力の維持と再生産は、労働者にとって必要であるだけでなく、企業活動にとっても必要不可欠なのです。
第三は、日本産業の成長可能性の消滅です。時代の要請は、外需依存から内需拡大へと変化していますが、この内需を支えるのはこの国で働く人々です。その人々の購買力が低下すれば個人消費も停滞し、物が売れなくなります。産業化が進んだ国では、生産者は同時に消費者でもあるということを忘れてはなりません。
このような問題を解決し、労働力の維持と再生産を可能にするためには、三つの課題に取り組まなければなりません。
第一に、雇用の安定です。社会の複雑化に伴って雇用形態が多様化することは避けられませんが、問題は、どのような形であれ、働く機会はいつでも誰にでも保障されているということでなければならないということです。
働く意欲と能力のある人が、職を失って路頭に迷うというようなことがあってはなりません。それを防ぐためのセーフティーネットと社会的なシステムが整備され、将来に不安を抱くことなく人生を送ることができるようにする必要があります。
第二に、普通に働けば普通に生活できる賃金水準の確保です。そのためには、最低賃金と非正規労働者の時給の画期的な引き上げ、春闘での大幅な賃上げが必要です。
こう言えば、「景気後退による経済危機だから支払えない」という答えが返ってくるはずです。しかし、過去五年間、最高益を更新し続けたとき、経営者は「好景気だから支払う」と言ったでしょうか。「イザというときのための蓄えが必要だ」と言っていたはずです。「そのための内部留保だ」と……。
今が、その「イザというとき」なのではないでしょうか。このときのための内部留保でしょう。今、使わずに、一体、いつ使うのですか。
第三に、働く人の健康と家庭生活を破壊しない労働時間の実現です。長時間労働は、日本の労働社会における最大の宿痾だと言って良いでしょう。こんなに長い時間働いている労働者は、世界中、どこにもいません。
対価を支払われずに働く「サービス残業」、仕事を家にまで持ち帰って働く「風呂敷残業」や「パソコン残業」。これらは、外国人には理解できない働き方ですが、それを生み出しているのが「強制された自発性」です。
このような歪んだ「自発性」が高じた末に、働きすぎて心を病む「メンタル不全」、やがては死に至る「過労死」や「過労自殺」などが発生することになります。過労死弁護団ができたのは20年以上も前ですが、未だにこのような問題は解決されていません。
現代日本の労働問題や労働政策を判断するリトマス試験紙は、ここにあります。働き方の変化や政策的な対応は、これら3つの課題の解決に一歩でも近づく可能性があるかどうかによって判断されなければなりません。
雇用の安定化に役立たないばかりか、不安定で劣悪な雇用を増やすような政策的対応は誤りです。そのような対応を行っている限り、いつまで経っても問題は解決されないばかりか、さらに別の政策的な対応を必要とする新たな問題を引き起こすことになるでしょう。
この間の新自由主義的な労働の規制緩和が、その良い例です。誤った政策的対応は問題の解決に役立たないばかりか、さらに大きな問題を引き起こすという過去20年間の教訓を、今こそ思い起こすべきではないでしょうか。
拙著『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書)刊行中。240頁、本体740円+税。
ご注文はhttp://tinyurl.com/4moya8またはhttp://tinyurl.com/3fevcqまで。
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「早急に政策転換を実現しなければ、日本経済は死へ向かって突き進むしかないだろう」
金子勝さんから献本していただいた岩波ブックレット『世界金融危機』の最初の部分に、こう書いてありました。「政策転換を実現しなければ、……死へ向かって突き進むしかない」のは、日本社会も同様です。
先日、朝日新聞の記者の方からのインタビューに答えながら、そう思いました。昨日のブログを書いているときも、「はやりこのままでは、日本は死へ向かって突き進むしかないだろう」との思いを強くしました。
どうして、私がそう考えたのか。以下、説明することにしましょう。
日本社会が抱えている最大の問題は、労働力の維持と再生産が不可能になりつつあるということです。働く人々がいなくなれば、その社会は崩壊するしかないということは、誰にでも分かる真理でしょう。
今の日本は、そのような社会へと変容しつつあります。残念ながら、自滅への道を歩み始めているということです。
昨年からの総人口の減少、それ以前からの生産年齢人口の縮小、そして、最近になってから深刻化しているワーキング・プアの増大。これらの事実こそが、日本がたどり始めた自滅社会の指標です。
そもそも、働いても生活できないような社会は、持続可能性を放棄しています。自らの労働によって自らの生存を維持できなければ、死滅するしかありません。
自らの個体を維持できない人が、結婚して家庭を持ち、新たな生命を育むなどということができるはずがないでしょう。普通に働いて普通に生活できるということは、労働力の維持だけでなく、その再生産をも可能にするものでなければなりません。
かつての日本社会は、そのようなものだったはずです。しかし、今日の日本では、そのようなことは、もはや見果てぬ夢になってしまいました。
その結果、三つの大きな問題が生じています。
一つは、日本社会の規模が縮小を始めたということです。先に指摘した人口の減少です。この趨勢が続けば、やがて日本という国は消滅し、この世界からなくなってしまうでしょう。
第二は、企業活動の停滞です。企業は、基本的には、雇われて働く労働力なしには存立できません。勤勉で優秀な労働力の維持と再生産は、労働者にとって必要であるだけでなく、企業活動にとっても必要不可欠なのです。
第三は、日本産業の成長可能性の消滅です。時代の要請は、外需依存から内需拡大へと変化していますが、この内需を支えるのはこの国で働く人々です。その人々の購買力が低下すれば個人消費も停滞し、物が売れなくなります。産業化が進んだ国では、生産者は同時に消費者でもあるということを忘れてはなりません。
このような問題を解決し、労働力の維持と再生産を可能にするためには、三つの課題に取り組まなければなりません。
第一に、雇用の安定です。社会の複雑化に伴って雇用形態が多様化することは避けられませんが、問題は、どのような形であれ、働く機会はいつでも誰にでも保障されているということでなければならないということです。
働く意欲と能力のある人が、職を失って路頭に迷うというようなことがあってはなりません。それを防ぐためのセーフティーネットと社会的なシステムが整備され、将来に不安を抱くことなく人生を送ることができるようにする必要があります。
第二に、普通に働けば普通に生活できる賃金水準の確保です。そのためには、最低賃金と非正規労働者の時給の画期的な引き上げ、春闘での大幅な賃上げが必要です。
こう言えば、「景気後退による経済危機だから支払えない」という答えが返ってくるはずです。しかし、過去五年間、最高益を更新し続けたとき、経営者は「好景気だから支払う」と言ったでしょうか。「イザというときのための蓄えが必要だ」と言っていたはずです。「そのための内部留保だ」と……。
今が、その「イザというとき」なのではないでしょうか。このときのための内部留保でしょう。今、使わずに、一体、いつ使うのですか。
第三に、働く人の健康と家庭生活を破壊しない労働時間の実現です。長時間労働は、日本の労働社会における最大の宿痾だと言って良いでしょう。こんなに長い時間働いている労働者は、世界中、どこにもいません。
対価を支払われずに働く「サービス残業」、仕事を家にまで持ち帰って働く「風呂敷残業」や「パソコン残業」。これらは、外国人には理解できない働き方ですが、それを生み出しているのが「強制された自発性」です。
このような歪んだ「自発性」が高じた末に、働きすぎて心を病む「メンタル不全」、やがては死に至る「過労死」や「過労自殺」などが発生することになります。過労死弁護団ができたのは20年以上も前ですが、未だにこのような問題は解決されていません。
現代日本の労働問題や労働政策を判断するリトマス試験紙は、ここにあります。働き方の変化や政策的な対応は、これら3つの課題の解決に一歩でも近づく可能性があるかどうかによって判断されなければなりません。
雇用の安定化に役立たないばかりか、不安定で劣悪な雇用を増やすような政策的対応は誤りです。そのような対応を行っている限り、いつまで経っても問題は解決されないばかりか、さらに別の政策的な対応を必要とする新たな問題を引き起こすことになるでしょう。
この間の新自由主義的な労働の規制緩和が、その良い例です。誤った政策的対応は問題の解決に役立たないばかりか、さらに大きな問題を引き起こすという過去20年間の教訓を、今こそ思い起こすべきではないでしょうか。
2008-11-30 16:14
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