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7月29日(水) 私は「格差論壇」MAPをどう見たか [論攷]

〔以下のインタビューは、『POSSE』第4号に掲載されたものです〕

私は「格差論壇」MAPをどう見たか

「格差論壇」の転換と議論の交通整理~論壇マップの意義~

五十嵐:まず始めに、このマップについて二点言いたいことがあります。一つは、マップが必要とされるほど格差論壇が盛んになったことを喜びたいということです。昔は、論壇で格差、貧困、労働などの問題が取り上げられることはほとんどありませんでした。
それが、私の主張する「06年転換説」の06年くらいから、いろいろな形でマスコミや論壇で取り上げられるようになってきた。このように「交通量」が増えた結果、「交通整理」の必要が生じたというわけです。それほどにたくさんの車が走りまわっているのは、大変けっこうなことだと思います。
これまで見えなかった、社会の背後に隠されていたような問題に、ますます多くの人が光を当てて問題の所在を明らかにするだけでなく解決に向けての提案を行い、議論を展開する。そしてより良い方向を提示するということは、大変好ましいことだと思います。
もう一つ言いたいことは、マップという手法ですけれども、このような形で問題を整理し、分かりやすく提示しようということも評価したいと思います。
中身の妥当性についてはこれから議論したいと思いますが、木下武男さんがこういった形で問題を整理し、それぞれの議論を分かりやすく提示しようとしたことは大変積極的なことだし、問題の理解を助ける良い試みだと思います。

日本的経営の打破をめざして規制緩和を支持した旧左派の一部

五十嵐:このマップの特徴、新しさは、「規制緩和-規制強化」という座標軸だけでなく、もう一つ「ジョブ」を基軸とした座標軸を提起したという点にあります。しかし、ジョブの反対にあるもう一つの極として何がいいかということでは、色々と議論があるだろうと思います。
この極として「隠れ年功派」が示されていますが、これが一つの問題です。ジョブを一つの極として出したのは木下さんらしさでもあり、新しさでもあると思いますが、その反対の極が「隠れ年功派」ということでよいのかということですね。
また、「アメリカ型競争社会派」と「『構造改革』派」が別の象限になっている。これも問題です。「アメリカ型競争社会派」と「『構造改革』派」はどう違うのか。ここのところはしっかり説明する必要があるでしょう。
それから、旧日本的経営を支持する人々がどこに入るのかということです。おそらく「オールド左派」と一緒のところに入ってしまうと思いますが、では、「オールド左派」と旧日本的経営とはイコールなのかということです。この区別が不明確で、差異化が図られなくなる。このような問題があるんじゃないでしょうか。

――このマップはその後少し再考されているところで、名前が変わることになっています。一つは「オールド左派」となっているところには自民党や民主党も入るのではないか、いわゆる日本型雇用を擁護する人々も入るのではないかという変更が木下先生からなされています。

五十嵐:そうでしょう。つまり、旧日本的経営の支持者として一緒になってしまうんですよ。しかし、「オールド左派」は旧日本的経営に反対していました。この旧日本的経営に対する改革といいますか、それを変える期待があったために「オールド左派」の一部は構造改革、規制緩和論に同調する動きを示したこともあったほどです。
 新自由主義の第2段階は橋本内閣の「6大改革」だというのが私の理解ですが、そこに至る細川連立政権や羽田内閣、村山内閣も、徐々に規制緩和の方向を打ち出しました。連合は、日経連の「新時代の『日本的経営』」が出た95年の12月に、「規制緩和の推進に関する要請」を出しています。つまり、「オールド左派」の一部は規制緩和の方向にぶれたことがある。そういうことが、このマップからは見えてきません。
濱口桂一郎さんが旧左派に対して厳しく批判するのはその点なんです。昔は、おまえたちもネオリベ(新自由主義)と一緒だったじゃないかと。それまでの日本的経営に対してネオリベも反対、左派も反対ということで共同戦線を張っていたじゃないかということでしょう。長期雇用や年功制などの「日本的雇用慣行」、あるいは男女差別や男性正社員基軸などに支えられている日本的経営を変えてくれるんじゃないかと。それまでの日本的経営を打破する方向として、ネオリベに多少期待する部分があったと思います。しかし、その結果もたらされたのは、さらにいっそう苛酷な競争社会であり、悲惨な労働現場でした。

誰が敵で、誰を味方につけるのか~戦略としてのマッピングの意味~

――「アメリカ型競争社会派」と「『構造改革』派」がどう違うのかという論点が出されましたね。ここも少し木下先生から「アメリカ型競争社会派」ではなくて「ジョブ型競争社会派」への変更がなされています。八代尚弘さんのような。

五十嵐:でも、八代さんはアメリカをモデルにしていたわけでしょ。だったら、「アメリカ型競争社会派」も「ジョブ型競争社会派」も、あまり変わらないじゃない。八代さんは「『構造改革』派」とどう違うんですか?

――最近、八代さんは、経済財政諮問会議の民間議員を終えて、政府に近い立場にいないんじゃないかと。むしろ、格差論壇が活発なってからは、これまでの既得権などを維持しながら部分的に非正規雇用だとかを作り出していくことを批判していて、財界が志向している方向とは違うんじゃないかと。

五十嵐:それを言いたいのであれば、そこからまた新しい疑問が出てきます。「ジョブ型」を一つの極として設定することで、木下さんは「八代さんと似ているように見えるけれど違う」と言いたいのか、「違うように見えるけれど似ている」と言いたいのか、どっちなのかということです。
つまり、八代さんは一緒にやれる相手であると言いたいために、このようなマップを作ろうとしているのか、良く似ているけれどやっぱり違うんだ、彼とは一緒にやれないんだということを言うために、このマップを作ろうとしているのか。その意図は、どちらにあるのでしょうか。
反貧困や格差の縮小をめざす運動で、木下さんは八代さんと手を組んで一緒にやれると考えているのでしょうか。これが根本的な問題でしょう、実践的にいえば。

――とても面白い論点だと思います。今回のマッピングは、最初は言説分析や政策分析という位置づけが大きかったんですが、それからいろいろと考えを深められ、今は戦略的にどういった意味を持ちうるかという話をしているんですよね。政策的な意味でいえば八代さんの主張も一定程度取り入れられるのではないかということと、もう一つは、自民党や民主党はとりあえずおくとして、旧左派や既存の労働組合を積極的に引っ張っていくために、第2象限と第4象限を、一方は「ジョブ型」、他方は「福祉国家派」ということである種糾合していくという形です。 

五十嵐:なるほど。糾合して味方の陣地を拡大し、第3象限の「構造改革派」の孤立化を図ろうということですね。昔から統一戦線や「大左翼」を主張してきた私からすれば、そのような発想は大賛成です。味方は最大限拡大し、敵は可能な限り極小化するというのが闘いの基本ですから。しかし、孤立化を図るべき「『構造改革』派」の主敵は誰ですか? 今まで主敵と見られてきた八代さんは、そうじゃないというわけですね。
一番ひどいことを政府関係の文書で書いているのは福井秀夫さんです。規制改革会議再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォースの「脱格差と活力をもたらす労働市場へ―労働法制の抜本的見直しを」という文書で、「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている」と、無茶苦茶なことを書いている。それが、07年暮れの規制改革会議「第二次答申」に入るわけです。それは厚生労働省からも批判されるほどのひどい内容でしたが。
でも、最近は福井さんも変わったのかもしれません。08年暮れの規制改革会議「第三次答申」をみますと「環境変化を意識した労働者保護政策が必要」だと書かれています。もっとも、「真の労働者保護は規制の強化により達成されるものではない」とクギを刺すことも忘れてはいませんが……。
構造改革路線は正しかった、それをもっとやらなければならないと、今も主張している人は竹中平蔵さんぐらいじゃないですか。竹中さんだったら、誰が見たって今も「構造改革派」で、わざわざマップを作って竹中は敵だと言うまでもありません。
ところで、八代さんは「改心」したのか、あるいは「転向」したのか……。濱口さんは、彼が「改心」したと『世界』07年11月号に書きました。八代さんが「労働市場改革専門調査会」の主査になってワーク・ライフ・バランス論などを言い始めるわけです。これで変わったんじゃないかと。
しかし、その後も微妙だと思いますね、改心したのか、状況の変化をみて対応を変えたのか、あるいは主張をコロコロ変える一貫性のない人なのかという点では。だから、ジョブ論を間に挟むことによって、八代は敵のようにみえるけれども実は味方だったんだよと木下さんが言えば、ジョブ論に幻惑されて木下は八代に取り込まれたんじゃないかと、逆の見方をされる可能性があるでしょう。そういう批判が運動の側から寄せられることもあるだろうと思います。
木下さんは、ガテン系連帯の協同代表で『POSSE』とも深い関わりを持っています。青年ユニオンを支える会や『労働情報』の編集人などとしても活躍されていて、私はそれを高く評価しています。その方が、運動内部の足並みを乱すような形で誤解されるようなことがあってはなりません。
これまでも、木下さんの議論については、あまりにも正規と非正規の違い、正規の中での中核的労働者と周辺的労働者間の格差を強調しすぎるのではないか、その結果、労働者内部の対立を煽ることになるのではないかという批判がありました。ですから、八代さんをどう評価するかという問題はかなり微妙だと思います。もし、八代さんが共闘に値する相手だというのであれば、マップだけでなく、もっと説得的な形で証明しなければなりません。そうでなければ、このマップ自体の説得性も出てこないと思います。

ジョブよりも「メンバーシップ」~「就職」対「入社」~

五十嵐:これも濱口さんが言っていることだけど、「ジョブ」に対する極としたら「メンバーシップ」でしょうね。「ジョブ」対「年功制」というよりも、「就職」対「入社」です。日本と欧米との違いがそこにあるというのは、かなり言われていることです。職に就く、会社に入るという違いで、会社に入った後、年功的な処遇がなされるか、長期雇用がなされるかというのは、また別の話です。

――年功制、ジョブという極だと賃金論に基づいていますが、もっと広く問題をとらえるということでしょうか。

五十嵐:そういう違いのほうがもっと分かりやすい。かなり幅広く承認されているのはジョブ対メンバーシップでしょうね。特定の職に就くことと、特定の会社のメンバーになること、これが「就職」対「入社」の違いを生む。これによって、賃金形態や昇進・昇格のあり方、企業内福利・厚生や技能養成、退職後の年金なども含めて、あらゆる面が変わってくる。労働市場も、内部労働市場と外部労働市場とか。ジョブで動くから外部労働市場に結びつくわけで、メンバーシップによる企業内部での異動や昇進が内部労働市場。
このような違いからすると、年功制だけに焦点をあてるというのは、ちょっと違うんじゃないかという気がします。ジョブの問題を重視するのはいいと思いますよ。ヨーロッパやアメリカのようなジョブ主体で動いているような労働社会。それと比べれば日本は大きく違うのは明らかですから。

中谷巌は「懺悔の値打ちもない」~規制緩和の論客たちをどう見るか~

――「ジョブ-メンバーシップ」という座標軸に変更したとして、このマップに今の格差論壇の主要な論者を位置づけるとしたら、五十嵐先生はどうされますか。

五十嵐:私はそれほど格差論壇に詳しいわけではありませんから、包括的なマッピングはできません。ただ、規制緩和にむけて、経済財政諮問会議や規制改革会議などで大きな役割を演じたということでは、福井秀夫、八田達夫、八代尚宏の3人の責任は大きいと思います。それに何と言っても竹中さんでしょう。規制緩和について、まだ反省していないわけだから。これに比べれば、小渕内閣の経済戦略会議議長代理だった中谷巌さんはまだましだと言える。『資本主義はなぜ自壊したのか』という本を出して「懺悔」したのですから。
しかし、中谷さんについては、色々と言いたいことがあります。戦争推進の旗を振った学者が、戦後になって間違えましたと頭を掻いて許されるのか、ということです。日本の侵略戦争に関わった学者で良心的な人は、戦後、責任を感じて筆を折り口をつぐみました。規制緩和の旗を振り、今また「あれは間違いでした」と書いたりしゃべったりして稼いでいるのをみると腹が立ちますね。
彼が推進した規制緩和政策のために、非正規になり苛酷で貧しい生活を強いられた若者がいたでしょう。経営が成り立たなくなって首をつって自殺した商店のおじいさんやおばあさんがいたかもしれない。タクシーが増えて交通事故で死んだ運転手や乗客がいたかもしれません。彼の提言によって実施された政策は具体的な結果を招いているんです。98年以降年間3万人を超える自殺者が11年連続で40万人近くになっているという惨状です。そのなかには、中谷さんが推進した規制緩和政策の犠牲者がいたかもしれない。いや、いるにちがいありません。
このような現実に対する想像力がない。自らの行動に対する責任感がない。学者とは、そういうものでいいのか。その程度の責任感覚で政治に関与し、政府に提言されたらたまりませんよ。ちょっと試しに言ってみたら採用され、失敗して批判が高まったら間違えましたと懺悔し、今度はまた違ったことを言う。あまりにもいい加減、あまりにも軽薄、あまりにも無責任ではありませんか。僕は、あの人の顔を見ると許せない。
実は、同じようなことは八代さんにも言えるのではないでしょうか。木下さんは、まず、八代さんにこう問うべきでしょう。非正規労働者の激増やその原因についてどう考えているのか。ホワイトカラー・エグゼンプションの導入を、今でも正しいことだと思っているのか。日本の労働がかくも荒廃し、働くものが呻吟せざるを得ないような希望なき社会に変貌してしまったことに、あなたは責任を感じないのか、と……。

日本型雇用は必ずしも全否定されるものではない~ステークホルダー論として~

五十嵐:日本の労働社会における根源的な問題はメンバーシップ型だというところにあるというのはその通りで、それをジョブ型に変えればかなりの問題は解決すると思います。しかし、私がジョブ派かと問われれば、必ずしもそうじゃないという気がします。正確には、どちらとも自分の立場を定めていないということかもしれません。多分、この横の座標軸の下ではない。上かもしれないけど、年功的な処遇とか長期雇用を一概に否定するという立場でもありません。
拙著『労働再規制』でも、経営者間にはアメリカ型の「株主価値論」と旧日本型の「ステークホルダー論」との対立があったということを紹介しました。長期雇用や年功制は、後者のステークホルダー論の一部なんです。だから、年功制は従業員をそれなりに処遇しようじゃないかというシステムの一つのあり方であって、必ずしも全否定すべきものじゃないという気持ちはあります。日本的雇用慣行による安定か、それとは無縁なジョブ型雇用の日本版かという選択肢を示されれば、多くの人は前者を選ぶにちがいありません。
しかも、年功制というのは、年だけではなく功に対する評価、つまり、経験や企業特殊熟練、技能や技術の向上などへの評価も含まれていて、同時に、ライフスタイルに合わせて給料が上がっていくという賃金システムです。ライフスタイルの変化に応じて社会保障がきちんとバックアップできる体制になっていない現状では、これがなくなると生活できません。それに代わる社会的なシステムが整備されない限り、ライフスタイルに応じた必要をまかなうに足る賃金を保障しないと生活できない。結婚できるだけの賃金収入、住宅の取得や子どもの養育に対する助成、教育費の軽減などが必要です。

――木下先生の場合、ジョブと規制強化という対立軸を設定して、そこで福祉の問題を言っているのが一つの特徴かと思います。つまり、教育や医療、介護、年金、保育などに関しては賃金のなかに埋め込むのではなく、福祉という形でやっていくと。これが企業社会ではできなかったことではないでしょうか。

五十嵐:基本的な方向は、そうだと思います。今まで、賃金のなかに含まれている、あるいは企業に任されていた部分を、国家や自治体の責任で、公的な社会制度として面倒をみるようなシステムを作っていかなければなりません。大きな方向としては、その通りです。
これまで全部企業任せでしたから、公的なセーフティネットを作る必要がありませんでした。日本が「企業社会」だとされたのは、そのためです。国はセーフティネットについての責任を放棄し、それを企業に任せてきました。
しかし、今日では「企業社会」ですらなくなってきていますから、企業の外にセーフティネットを張り巡らす必要があります。それを企業の外に作ってからジョブ型にするということでなければなりません。順番が逆になったら、大変なことになってしまいます。
実際、今は順番が逆になっているわけです。その典型的な例が「派遣切り」です。セーフティネットができないうちに、企業が自らの責任を放棄して派遣労働者を外に追い出してしまいました。それで、外に出された人は路頭に迷っちゃうわけです。彼らを支える公的なセーフティネットが整備されていませんから。

正社員もセーフティネットの整備をバックアップすることが必要

――木下先生の場合、新しく生まれてくる非正規雇用や周辺的正社員が新しい福祉国家を作るときの基盤、母体になるんじゃないかという議論になっています。五十嵐先生は、戦略的にそれをつくる勢力、主体は何になると思われているのでしょうか。

五十嵐:現時点でいえば、切実にセーフティネットを必要とする人々が自ら運動を起こすことによって整備されるだろうと思います。その意味では、「企業社会」からはみ出してしまう非正規労働者や、企業社会の内部にはいても周辺化されている正規労働者が主体になるだろうと私も思います。
 しかし、それだけでは足らない。社会的に力のある大きな運動とするためには、そういう運動を理念的に支援する勢力を惹き付けなければなりません。自分がいま問題を抱えていなくても、将来的な国のあり方として、労働や生活にかかわるセーフティネットの整備が必要であることを理解した人たち、そういう人たちが後から支える、バックアップする。そういう形で運動を拡大していくことが必要でしょう。正規労働者の一部は、ちゃんと問題を理解する力を持っていると思いますね。

――五十嵐先生の著作の最後には、民主党や山口二郎や宮本太郎さんについての言及がありますが、これらの論者については、どう位置づけられているのでしょうか?

五十嵐:今言ったような福祉国家システムを作るうえで、大いに活躍していただきたいと期待している人々です。それと並行して働き方を変えていくということでしょうが、現実の問題としては、働き方はもう変わってきています。企業社会で面倒を見られる人は働く人の3分の2しかいません。3分の1以上は、そういうものとは全く無関係に存在している非正規雇用です。まず、この非正規雇用の人たちに対するセーフティネットをつくらないといけません。
非正規雇用問題の解決のためには、多面的なアプローチが必要です。現に起きている問題、たとえば「派遣切り」とか職がないとか住むところがないとか、こういう問題に適宜的確に対応する。同時に、派遣労働に対する再規制のための労働者派遣法の改正が必要です。さらに、非正規労働者全体にかかわるような改革、最低賃金と時給の引き上げや均等待遇に向けての差別禁止などを実現しなければなりません。どれからということじゃなく、どれもやらなければならないことだと思います。

「派遣村」以降の政策案をどう評価するか

――「派遣村」以降は政府もいろいろと対応策を出していますが、そういった一連の対応をどのように評価されていますか?

五十嵐:玉石混交ですよね。だいたい、政策担当者というのは問題が起きて社会的混乱が生じると二重の反応をするんです。一つは「困ったな」、もう一つは「良かったな」という反応です。「困ったな」というのは、混乱が生じているからで、色々と対応しなきゃならない、忙しくなる。けれど、そうなったら人員は増える、予算請求もできる、縄張りは広がると、こうなるわけです。
厚労省なんか典型的です。今度の補正予算だって、この間の混乱に乗じてどんどん要求を出した結果でしょう。1兆7000億円ですよ。色々と大変だったけど、ああ、良かったなというところでしょう。労働組合や派遣村の人が厚労省に言って、これやれあれやれと要求する。担当官が出てきて困った顔をするけど、部屋に帰ったらニコニコですよ。これでまた予算請求できるって。そういうものです。今度の補正予算だって、実際に必要とされて出てくる施策もあるけれど、この際だからってぶち込まれたいかがわしいものもたくさんあります。

――これまでの制度を抜本的に改革するのではなく、かなり対処療法的な時限的施策が多いですよね。

五十嵐:それは、景気対策のための臨時的緊急対策としての色彩を持たせているからです。まあ、そのような仮面をかぶせてぶち込んでいるわけです、今までやりたかったことを。だから、いろんなものが入っている。総額15兆円ですから、これだけ大規模にやれば的に当たるものだって一つや二つはあります。そういうものが全くなかったら説得力を持ちませんから。だから、みんなが「なるほどな」っていうのを前面に出して、その後ろのほうに既得権拡大のためのものとかをくっつけているわけです。ですから、それぞれの施策が本当に必要なものなのかどうか、きちんと見極めなければならないところですね。

――民主党の政策はどう位置づけられますか?

五十嵐:民主党は労働問題でははっきりしません。連合まかせです。4月に、民主党ネクスト・キャビネットの厚労省担当の藤村修さんと一緒に外国人特派員クラブで話をしましたが、話を聞いていても通り一遍でメリハリがない。
派遣問題については、民主党は登録型派遣の禁止に踏み込みました。しかし、内部には異論があります。この線で野党全体がまとまるかどうかというところでしょうね。

――戦術というか、選挙を睨んでやっているように思えますが。

五十嵐:選挙目当てであっても、正しいことをやればそれでいいんですよ。ホワイトカラー・エグゼンプション導入の断念だって、安倍元首相からすれば選挙対策だったわけですから。夏に参議院選挙があるのに、こんな反対の多い法案を出して国会でガンガンやられたらたまらないということでやめちゃった。
選挙対策ということは、有権者、ひいては国民の目を気にしているということですから、民意に従った選択ということになります。決して悪いことではないと思いますね。それだけ民意を気にかけ、それを尊重しようということになるのだから……。

(聞き手:本誌編集部)
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