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10月7日(水) 労働の規制緩和-いまこそチェックすべきとき(上) [論攷]

〔以下の論攷は、職場の人権研究会の雑誌『職場の人権』9月号(第60号)に掲載された5月30日の講演の記録です。長いので、私の報告部分だけ、2回に分けてアップさせていただきます。〕

労働の規制緩和-いまこそチェックすべきとき(上)

 ご紹介いただきました、法政大学大原社会問題研究所の五十嵐仁です。
 今年二月、大原社会問題研究所の総会に、研究会「職場の人権」の代表である熊沢誠先生に来ていただきました。そこで、「代わりに今度はこちらで報告してください」というバーター取引を持ちかけられ、断れないという事情もあり(笑)、本日お邪魔させていただいた次第です。
労働問題、労働運動研究の大家である熊沢先生の前での報告ということで、大変緊張しまして、準備に力をこめすぎました結果、レジュメが九枚になってしまいました。最初に目次をつけました。目次つきのレジュメというのもちょっと珍しいかと思いますが、この内容に添って、話をさせていただきます。
 初めにお断りをしておきたいのは、提示されたテーマは「労働の規制緩和―今こそチェックすべきとき」というものですが、今日の私の報告は、少しずれているかもしれないということです。と申しますのも、私が以前に書きました『労働再規制』(ちくま新書)を出したのは昨年の一〇月でして、本日は、それ以降、どう変化してきているのか、あるいはどんな風に展開しているのか、それ以降の経過をまとめてお話した方がよいと思ったからです。
 労働の規制緩和に関わる問題、また、規制緩和からの反転、再規制にむけての動きの現状を明らかにするという意味では、「今こそチェックすべきとき」ということになります。それがいかなる背景をもって可能になってきているのか?ということでは、与えられたテーマに結びつくと思います。ただし、みなさんが期待されていたこととは、多少、異なるかもしれないということは、最初にお断りしておきます。

はじめに

 目次を見ていただきますと、大きく三つにわかれております。それぞれのポイントについて話をさせていただきます。
 私が書いた『労働再規制』の副題は「反転の構図を読みとく」となっています。つまり、一九八〇年代のはじめ、中曽根首相の「臨調・行革」に始まりまして、その後「六大改革」だとか小泉首相の「構造改革」という形で新自由主義的な政策が展開されてきました。なかでも、労働をはじめとした様々な形での規制緩和や民営化の動きが進んできましたが、最近になって、そのような動きが反転した。つまり、逆になったと私はとらえたわけです。
 では、それはいつからなのか? その転換点は、二〇〇六年だということです。そこで、私は「二〇〇六年転換説」を、この本の中で意識的に打ち出しました。ただし、二〇〇六年という年については、議論があるだろうと思います。また、それがどの程度の強さで始まったのかということについても、いろいろ議論があるでしょう。
けれども、反転した。つまり、もはや新自由主義的な政策を推進するのではなく、その見直しや是正が始まった。規制緩和や民営化という形で二〇年以上にわたって実行されてきた政策展開の方向が説得力をもたなくなってきたこと、大きく方向を変えてきていることについては、もはや誰の目にも明らかなのではないでしょうか。反転が明確になったということについては、疑いありません。
 今日は、『労働再規制』で描いたこのような反転の構図の「その後」を明らかにしたいと思います。

Ⅰ 四つの背景の「その後」

(1)国際的背景―失敗の顕在化
 
 私は、このような反転の背景として、四点指摘しました。一つは国際的な背景です。アメリカ・モデルの失墜ということですが、これはその後、どうなったでしょうか。イラク戦争の失敗はアメリカ自身が認めるところとなりました。ブッシュ前大統領は大統領の座を追われ、オバマ候補が圧勝しています。共和党もイラク戦争失敗の責任をとらされ、上下両院の選挙で敗北しました。イラクとの間で米軍地位協定が結ばれましたが、これはイラクを近隣諸国攻撃の基地にしないなどの内容を含んでおり、アメリカの考えとはかなり違った形で結ばれています。この辺にも、アメリカの発言力の低下が反映されています。
 さらに、経済的な面でいうと、「リーマン・ショック」の問題があります。昨年の九月一五日です。その前の九月一日の夜に、突然福田首相が辞任すると言い出しました。これについての記述をなんとか本に入れようということで、あわてて最初の二ページほどを書き加えました。
もうないだろうと思っておりましたら、九月一五日のリーマン・ブラザーズの経営破綻です。でも、もう間に合いませんでした。その後、あれよあれよという間に金融・経済危機が世界中に拡大し、新自由主義、あるいは金融資本主義、マネー資本主義が大きな失敗を犯したことがハッキリしました。
 新古典派経済学の理論や金融工学、トリクルダウン理論、市場原理主義というような諸々の新自由主義に関連する理論の破たんが、具体的な事実をもって示されたと思います。いわば、国際的なレベルでの反転が極めて明瞭になったというわけです。

(2)経済的背景―無視できない惨状の拡大

 二番目が経済的背景です。経済の分野では、無視できないほどに惨状が拡大しました。「リーマン・ショック」に始まり、世界各国に金融・経済危機が拡大しました。一九二九年以来の大恐慌の再来ではないかという見方が広まり、「一〇〇年に一度の経済危機」とも言われました。
昨年の第Ⅳ四半期のGDPの下落率は、年率換算で日本は当初一二・七%のマイナスと言われていました。しかし、その後一四・四%だったと訂正されています。アメリカは六・二%、ユーロ圏は五・七%です。金融・経済危機の起こったアメリカの二倍以上のマイナスに、日本がなっています。今年の第Ⅰ四半期は一五・二%のマイナス(五月二〇日、内閣府発表)です。一九五五年以降、最悪の下落率でした。
 アメリカ以上の下落率となった原因や背景は色々あるでしょうが、大きな原因の一つは、アメリカから金融・経済危機という大暴風雨が吹きつけてくる前に、すでに日本の経済社会は足腰が弱まってガタガタになっていたということだと思います。小泉「構造改革」によって貧困・格差が拡大し、内需が停滞したため、北米向けの自動車輸出やアジア・中国への輸出に頼るという外需頼みの経済成長だったからです。いわば、日本経済の足腰が弱っているところに強烈な暴風雨が吹きつけてきて、ひとたまりもなくひっくりかえってしまったのが、昨年暮れから今年にかけての日本の姿でした。
 経済的惨状が拡大した結果、「人間らしい暮らしや働き方」ができにくい日本の社会になりました。自分ひとりの生活を維持するのがやっとで、結婚して家庭をつくり子どもを産むことなどできないような社会になってしまった。その結果、人口の自然減が始まり、日本社会の持続可能性が喪われつつあります。
 一昨年、昨年と二年連続で人口は減少しています。戦後初めて減少したのは〇五年で、〇六年に多少回復して、〇七年、〇八年と、二年連続して日本の人口は減っています。こういうところに、日本の社会が抱えている大きな問題が象徴的に示されていると思います。最近、サスティナビリティ(持続可能性)ということが強調されていますが、日本の社会はそれを失いつつあるということです。大変大きな問題です。

(3)社会的背景―壊れ行く社会

 三番目が社会的背景ですが、これは壊れ行く社会ということです。例えば秋葉原での無差別殺人事件の発生です。去年六月八日に起きた事件ですね。これは今日の『毎日新聞』の東京版です。「秋葉原一七人殺傷一年 時とともに募る喪失感」という記事が載っていて、大学生の息子を亡くされたお父さんの話が出ています。こういう事件が起きるということが、日本社会が崩れつつあること、壊れ始めていることを示しているのではないでしょうか。
 犯人の青年は「居場所がなかった、誰でもよかった」と言っています。他にも似たような事件が起こり、似たような発言がなされています。誰でもいいから殺して、自分も死にたいと思うような若者が一人や二人ではないというところに深刻な問題があると思います。
「死にたい」という人の犯罪、あるいは暴力行為などをやめさせるのは、とても難しいことです。死刑などは抑止力にならない。本人は死にたがっているのだから。自爆テロもそうです。命を捨ててかかってくるのですから。自爆テロを決意して爆弾かかえて飛び込んでくる人に、「止まれ、止まらないと撃つぞ」といっても、何の抑止力にもなりません。
 こういう無差別テロや無差別殺人を防ぐには、そのような思いを抱く人の心の中にまで踏み込んで、その原因を取り除かなければならないでしょう。「もう将来に対する希望はない。誰でもいいから殺して自分も死にたい」―そう思ってしまうような深い恨みや絶望を抱かせる社会は、やがて崩れていかざるをえないだろうと思います。
 このような絶望から生ずる殺傷事件を防ぐためには、その原因になるような思いを少しずつ解きほぐし、生きることのすばらしさを理解してもらわなければなりません。生きたい、人としての生をまっとうしたいとの思いを強めることです。そのために、何よりも必要なのは希望です。
 しかし現実には、このような希望を奪うような事例が次々に生まれてきています。去年から今年にかけて、例えば非正規、派遣労働者に対する首切りや「雇い止め」が数多く発生しました。これについて、『東京新聞』は「非正規失職二一万人」と書いています。去年の秋から今年にかけて、二一万六千人が仕事を失うだろうというのです。これらの人の多くは住居さえも追い出され、仕事も住む場所もなく路頭に迷わざるを得なくなっています。このような仕打ちを受け、なおかつ将来に向けて希望を抱き続けることができるのでしょうか。

(4)政治的背景―「構造改革」をめぐる亀裂の拡大

 四番目が政治的な背景です。小泉「構造改革」路線をめぐる亀裂の拡大ですが、これは一番わかりやすいと思います。小泉首相が退場した後、〇七年の参議院選挙で自民党は惨敗しました。その後、安倍首相が退陣し、続いて福田首相も辞任したことはご承知の通りです。政治的混乱が続いていますが、その背景には小泉路線の「負の遺産」とその継承をめぐる自民党内の亀裂があると言ってよいでしょう。
 福田首相は、自民党の「表紙」を変えて選挙に打って出れば勝てるだろうということで身を引いたわけです。ところが、後の総裁になった麻生さんは選挙をやらない。どんどん支持率が下がってきています。解散のタイミングを逸したということでしょう。これでは、福田さんは席を譲った甲斐がない。なんで自分は辞めたんだろう、辞めなければよかったと思っているかもしれません。
このように政権運営が難しくなってきていますが、それは小泉「構造改革」によって自民党の社会的支持基盤がぶっ壊されてしまったからです。典型的なのは地方で、〇七年参議院選挙で選挙区での自民党大敗という形で現れました。最近になって麻生内閣の支持率は一時的に上昇しましたが、たぶんまた下がるでしょう。
 ここで問題になっているのは、小泉さんの「構造改革」路線を受け継ぐか、修正するかということです。麻生さんは五月二七日の党首討論でも、「政府は小さくすればいいというだけではないのではないか」と言っています。つまり、小さな政府論からの転換ということですが、小泉路線からの転換という点ではハッキリしません。
昨年の総裁選でも、小泉路線をめぐる自民党内での対立が存在していました。「上げ潮派」というような形で、小泉路線継承派の勢力が小池さんなどを担いだわけですが、支持を拡大することができませんでした。
 数日前、中川秀直自民党元幹事長のグループが十人くらい集まったそうですが、大変厳しい状況になってきているようです。構造改革に大きな問題があったということを、自民党内でも認める人が増えてきています。国民に評判の良くないこの路線を継承するということは、だんだん言えなくなってきているということだと思います。

Ⅱ 政官財などにおける変化の継続

(1)与党と政府―総選挙を前に経済と雇用の危機に対して最も敏感に反応

 さて、それでは、もう少し細かく政・官・財などにおける変化について見てみることにしましょう。ここで言う「政」とは、政治家や政党、政府、あるいは関連する政策形成機関。「官」は官僚ですから厚生労働省。「財」は財界、日本経団連などの経済団体のことです。
 
①自民党政治家の言動

 まず、与党と政府です。総選挙を前にしていますから、経済と雇用の危機に対して政治家は最も敏感に反応しています。選挙を目当てに政策や対応を変えることは、決して悪いことではありません。民意に添う形で、それまでの行動を変えていくというのは民主主義本来のあり方でして、これがなかったら民主主義の力は生まれてきません。民意に従った政治運営を心がけるということでは自民党の政治家も例外ではなく、小泉路線の問題点が明らかになるに従って言動が変わってくるのは当然です。
 去年の一二月に『毎日新聞』の記事を目にしたときのことです。森元首相までがこんなことを言うようになったんだと、私は感慨深く読みました。森さんという人は、なかなか面白い人で、世論に対して敏感、サービス精神が旺盛、言っちゃならないことも平気で言うという“愛すべきキャラクター”ですが、こう言っています。
「このごろ、しみじみ思うんだよ。市場原理の経済は良かったのかと。アメリカ式じゃなく、まろやか、おだやかな世界をつくらないと、東洋的な世界をね。負け組にも入れない国民を生み出す政治はどうにか直さなきゃいかん。そのために政治のかたちを変えなきゃいかんと考えているんだよ」(「特集ワイド」『毎日新聞』二〇〇八年一二月二四日付夕刊)と。なかなかいいことを言っています。
 今年に入って、一月の麻生さんの施政方針演説が行われました。このとき、麻生さんは「『官から民へ』といったスローガンや、『大きな政府か小さな政府か』といった発想だけでは、あるべき姿は見えない」と演説しています。この頃から、こういうことを言っていたわけです。
 もっとはっきりしているのは、自民党参議院議員会長の尾辻秀久さんです。一月三〇日の代表質問で「その責任は重く、私は経済財政諮問会議と規制改革会議を廃止すべきと考えますが、総理はどのような総括をしておられるのか、お尋ねをいたします」と迫りました。私は拙著の中で、規制改革会議は廃止するべきだと書きましたが、経済財政諮問会議まで廃止すべきだとは書いていません。尾辻さんに乗り越えられてしまいました。彼のほうがずっと過激です。
 二月五日には、民主党の筒井信隆議員の質問に麻生首相が答弁をして話題になりました。「小泉首相の下で賛成ではなかったんで、私の場合は。たった一つだけ言わせてください。みんな勘違いしているが(総務相だったが)郵政民営化担当相ではなかったんです」と言ったんです。
 これに対して小泉さんが、「最近の首相の発言には怒るというより笑っちゃうくらい、ただただあきれているところだ」と二月一二日に反論しました。しかし、その小泉さんにしても、後継者指名をしたために「ただただあきれ」られているわけです。息子を自分の後釜に据えようなんてね。「自民党をぶっ壊す」などと言っていましたが、自民党の最も古いやり方を踏襲しているわけですから、あきれられても当然でしょう。
 このような発言が、昨年から今年にかけて次々と出てきています。それだけ小泉路線との乖離が進んだ、あるいは、なんとか自分は違うんだということを示す必要性が生じてきたということです。その底流には、小泉路線が世論によって見離されてしまったということがあるように思われます。

②自由民主党の雇用・生活調査会(長勢甚遠会長)の動き

 次に注目したいのは、自民党のなかの雇用・生活調査会です。これが発足したのは二〇〇六年一二月で、〇六年転換説の一つの根拠でもありますが、会長が長勢甚遠さんで、事務局長が後藤田正純さんです。
〇八年にも、八月に「安心実現のための緊急総合対策」、一〇月に「生活対策」、一二月に「生活防衛のための緊急対策」を出し、今年の三月には「さらなる緊急雇用対策について-雇用・生活調査会中間とりまとめ」を発表するなど、次々と提言を出しています。これらの提言のなかで注目されるのは、「緊急人材育成・就職支援基金(仮称)」というものです。
これは、三月一九日の与党新雇用対策に関するプロジェクトチームによって採用されました。四月一〇日の「経済危機対策」に関する政府与党会議、経済対策閣僚会議合同会議の対策でも採用されていますが、これがいわゆる「トランポリン制度」です。
 EU型の失業給付を伴った職業訓練で、月に一五万円位を給付するというものです。職業訓練を受けさせて、就職すれば返さなくていいという制度です。こういう、就業支援を含みにした職業訓練と組み合わせた生活支援が、自民党の雇用・生活調査会から出てきています。この制度は、〇九年補正予算案に組み込まれました。自民党の調査会であっても、雇用の悪化に対しては、それなりの対応をせざるを得なくなっているということです。

③経済財政諮問会議の変質と地盤沈下

 三番目が、経済財政諮問会議の変質と地盤沈下です。昨年に出された「骨太の方針二〇〇八」では、「構造改革」や「民間開放」「労働市場改革」という言葉が姿を消しました。詳しくは『賃金と社会保障』(第一四七二号、二〇〇八年八月下旬号)に載った私の論考「労  働の規制緩和の現段階―『骨太の方針二〇〇八』の意味するもの」をごらんになっていただきたいと思います。
 麻生内閣発足とともに、九月に経済財政諮問会議が改組され、民間議員が入れ替わりました。首相を含めて全部で一一人。議長は経済財政担当大臣です。一一人のうち、民間議員は四人で少数ですが、経済財政担当の大臣と首相がくっつけば六人になり、一一分の六で過半数を制することができます。かつては、四人の民間議員と経済財政担当大臣の竹中平蔵さん、そして首相の小泉さん、この六人がタッグを組む形で事前に相談し、経済財政諮問会議の論議をリードしました。事前の相談で一致した内容については、どんどん具体化が図られたわけです。
さて、九月に交代した四人のうち、特に注目されるのが御手洗さんと八代さんです。御手洗冨士夫さんは日本経団連の会長。八代尚宏さんは“ミスター規制緩和”というか、労働の規制緩和にむけて旗を振り、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入問題では批判の矢面に立たされた方です。この二人が姿を消したわけです。そして新たに四人が入りました。ここで注目されるのが、張富士夫トヨタ自動車会長と吉川洋東大教授です。なぜ注目するのかといいますと、その後作られた「安心社会実現会議」にもこの二人が入っているからです。これについては、後ほどふれます。
 経済財政諮問会議に八代さんが入ってすぐに作ったのが、「労働市場改革専門調査会」です。八代さんが会長になりました。発足は〇六年一一月です。ところが、翌年四月に出た第一次報告を、みんな見てびっくりしたわけです。八代さんにしては非常にまともな内容の報告が出てきたからです。
 どういうものかというと、「働き方を変える、日本を変える―《ワークライフバランス憲章》の策定」という報告で、労働と生活のバランスをとる、そのためには働き方を変えなければならないという提言をしています。数値目標を掲げて、それまでの働き方を見直そうというわけで、いわば規制改革会議と逆のやり方をめざしていました。結局、このワークライフバランスについては〇七年一二月に憲章が制定され、行動計画も作られることになります。
このようなことから、八代尚宏「改心」説というものが出てきます。雑誌『世界』に、濱口桂一郎さんがそう書きましたけれども、「改心」したのか、状況をみて言い方を変えたのか、よく分かりません。ともかく、それまでとはだいぶ言い方が変わったことは確かです。
 こういう形で、労働市場改革専門調査会が〇七年九月に第二次報告「外国人労働に関わる制度改革について」、〇八年二月に第三次報告「七〇歳現役社会の実現に向けて」、九月に第四次報告「正規・非正規の『壁』の克服について」という報告を出し、去年九月一七日の第二四回会合で終了しました。これは経済財政諮問会議が改組されて八代さんがいなくなるということと重なっているわけです。
 これらの報告の内容は、必ずしも労働の規制緩和という方向ではありません。詳しくはそれぞれの内容を見ていただきたいと思います。八代さんは、もともと考えていたことと違ったことをやったのか、あるいは状況の変化に合わせて変身したのか、よく分からないのですが、ここは大変興味のあるところでして、どなたか研究されたらよいのではないかと思います。

財政政策の「大政奉還」

 このようなこともあって、経済財政諮問会議はどんどん力を弱めてきています。最近の象徴的な例は、与謝野馨さんが財務・金融・経済財政担当という三つの大臣を兼務することになったことです。これは、たまたま中川昭一財務・金融担当相が正体を失って記者会見し、「酩酊会見」だとして問題になって辞めざるをえなくなったからです。その結果、中川さんがやっていた財務・金融担当相が経済財政担当相の与謝野さんに任されることになりました。
これは大変なことなんです。大体、なぜ経済財政諮問会議ができたかというと、「骨太の方針」を六月に出すためです。なぜ六月に出すのかというと、この頃に予算編成の骨格が決まるからです。この予算編成の大枠を、財務省ではなく経済財政諮問会議が決めるというところにポイントがありました。つまり、財務省がもっていた予算編成権限を、経済財政諮問会議を使って首相官邸が奪い取るところに、経済財政諮問会議を設置した意味があったのです。
 したがって、財務省と経済財政諮問会議は、本来、対立する関係にありました。ところが、経済財政担当相と財務大臣が同じ人になってしまいました。一人の中で喧嘩するわけにはいかないでしょう。実際には、財務省の権限が復活したということになります。つまり、経済財政諮問会議と財務省の対立関係が解消し、昔の形にもどったのです。経済財政諮問会議による予算編成権の財務省への奉還です。「大政奉還」が成ったということです。

④規制改革会議の孤立感の深まり―厚労省との攻防 

 経済財政諮問会議の〇九年第一二回会議の議事録を読んで、驚きました。「規制・制度改革」と書いてある。昔は「規制改革」と書いていたんです。甘利臨時議員提出資料「規制改革の推進について」、草刈規制改革会議議長提出資料「規制改革の重点取組課題」などでは、まだ「規制改革」となっています。ところが、経済財政諮問会議では「規制・制度改革」と言い換えられています。つまり、改革というのは制度改革であって、必ずしも規制を緩和するということではありませんよ、ということです。「制度改革」という言葉を入れたということは、規制を強化する制度改革もあるよ、という意味でしょう。規制緩和一辺倒という方向性に対する修正が、こういう形で徐々に進められているということではないでしょうか。
 こういうなかで、規制改革会議の孤立化が深まっていきます。厚労省との攻防が典型的です。〇七年一二月と〇八年一二月に、同じような攻防が展開されました。〇七年の第二次答申についての攻防については拙著でも書きましたが、〇八年の第三次答申は拙著が出た後のことです。このいずれに対しても厚労省が強く批判する見解を公表するということが、二年連続で続きました。大変、異例な事態だと言ってよいでしょう。
 〇八年一二月二二日に出された第三次答申では、規制改革会議は一面譲歩し、他面ではやはり頑張っています。一方で、「環境変化を意識した労働者保護政策が必要」だということを認めながらも、他方で「真の労働者保護は、規制の強化により達成されるものではない」と“意地”を示しているわけです。これに対して厚生労働省は、わずか四日後の二六日に批判を加えました。「当省の基本的な考え方と見解を異にする部分が少なくありません」と。あたかも厚生労働省が手ぐすねを引いていて、規制改革会議が答申を出すと、「待っていました」とばかりに批判するという形になっています。

⑤安心社会実現会議の発足―経済財政諮問会議との重なりと奪権

 こういうなかで、先にもちょっとふれた「安心社会実現会議」が、四月一三日に突如として登場します。経済財政諮問会議があるのに、なぜこういう会議を作ったのでしょうか。規制改革会議や経済財政諮問会議の影をうすめるというか、そちらを廃止せずに、だんだんと機能を弱めるために別の会議を作ったということではないでしょうか。この会議と経済財政諮問会議は一部重なっており、その権限が奪われる形になっているからです。
 構成員で注目されるのは、高木連合会長が入っていることです。経済財政諮問会議には労働組合関係の代表は入っておりません。しかし、こちらには労働界から一人入りました。
 それから、張富士夫さんと吉川洋さんは、経済財政諮問会議と重なっています。これは先ほど指摘したとおりです。宮本太郎北大教授も加わっています。宮本さんはヨーロッパ、北欧の社会保障の専門家ですから、社会保障関係について提言する十分な資格があると思いますが、宮本さんを入れたのは渡辺恒雄読売新聞グループ会長のお声がかりだったそうです。他にも薬害肝炎全国原告団代表の山口美智子さんも入っています。
 こういうメンバーで出発しています。そういう点では構成員が経済財政諮問会議とは違って、反対勢力といいますか、必ずしも政府側ではない人も入っているということです。これらの人も含めて、社会保障関係の政策や雇用とか労働、働き方の問題も含めて、幅広く議論するという形になっています。

支配層の危機意識も反映

 四月二八日に開かれた第二回会議では、「経済財政諮問会議の安心実現集中審議について」という議題が掲げられ、経済財政諮問会議の資料が配布されています。つまり経済財政諮問会議で議論したことが安心社会実現会議で報告され、そこで審議されて経済財政諮問会議に下ろされています。ということは、経済財政諮問会議よりも安心社会実現会議のほうが位置づけは上だということになるでしょう。
 五月一五日の第三回会議では厚労省分割案が提案されましたが、同時に「これまでの議論を踏まえた論点の整理(案)」が示されています。ここには、大変、注目すべき内容がちりばめられていました。構造改革については、「この間の一連の『構造改革』は日本にとっ  て必要な改革だったが、同時に『構造改革』は日本型安心社会を支えてきた様々な前提にも大きな変化をもたらした」として、「雇用の流動化、雇用形態の多様化(非正規労働者の増大、雇用の由安定化)」や「格差・貧困問題の顕在化とそれによって醸成される社会の不公平感・不公正感の拡大」などを挙げています。
 それから「社会の不安定化」という部分では、「日本社会の一体性の揺らぎ―『社会統合の危機』」という表現が現れ、「社会の様々な面で『格差』『分裂』『排除』が拡大していく兆候(『競争』の負の側面)」や「階層の固定化・世襲化の進行、スタートラインの平等の喪失、『希望格差』」なども指摘されています。「社会統合の危機」というあたりには、さすがに支配層の危機意識が反映されているという感じがします。
 それから「雇用を軸とした安心保障―の実現」は、連合の言っていることとほとんど同じような言い方です。野党が書いているのと同じような文章が、ここには散見されると言っても良いでしょう。大きな変化だと思います。

(2)厚生労働省―両義的な対応によるジグザグのプロセス

 次に、厚生労働省の変化です。変化といっても、正確には両義的な対応によるジグザグのプロセスといった方がよいかもしれません。両義的という点がポイントです。だいたい官僚というのは、もともと両義性を持っています。
いろいろな社会的な問題が起きます。たとえば派遣切りというようなことがあって、年越し派遣村などもできて混乱が生じると、困ったな、とまず官僚は思うわけです。しかし次に、これで予算が増える、人員も増える、縄張りも拡大する、とも思うわけです。だから、問題が発生したときには、まずそれに対応しなければならない、行政実務が増えるということで、ちょっと困ったと感じるでしょうが、同時に省益の拡大や縄張りの増大という官僚の本能に基づいた発想もあるということです。だから常に二重の思考を持つわけです。今度の補正予算にしても、一五兆四千億円のうち一兆七千億円くらいの雇用関係予算がありますが、なかには、こういう形でブチこまれている予算もあるだろうと思います。
 厚労省は、この間、〇八年二月の「日雇派遣指針」公布、九月の「いわゆる『二〇〇九年問題』への対応について」(職業安定局長名の通達)、一二月の「経済情勢の悪化を踏まえた適切な行政運営について」(大臣官房地方課長・労働基準局長の連名の通達)などを出し、一二月には全国五六か所の公共職業安定所に年末緊急職業相談窓口を開設したり、全国四七か所の労働基準監督署に年末緊急労働条件相談窓口を開設したりするなど、労働・雇用問題に対してそれなりに対応してきたと思います。しかし、同時に問題もあります。まさにジグザグで、両義性を示しています。なかでも問題になったのは、二〇〇八年九月九日の「多店舗展開する小売業、飲食業の店舗における管理監督者の範囲の適正化について」という労働基準局長名の通達です。これは名ばかり管理職、名ばかり店長の定義を明確にするようにということで出した通達ですが、かえって名ばかり店長を認める形になってしまうとの批判を受けました。
 厚労省としては、問題に対応しようとしていることは認められますが、常に両義性を持った対応になっている。これを、どういう方向にもっていくかは、世論と運動の力によるだろうと思います。また、上の方に自民党や公明党という与党がいますと、下からの突き上げにも十分対応できない。そういう政治的な力関係を変えるということも非常に大きな意味があるのではないかと思います。

(3)財界など―問題は自覚しているが解決を示せない

①経済同友会による提言

 財界も、今の状況を必ずしも良いというふうに考えているわけではありません。問題は自覚しているけれども、解決策を示せないということだと思います。経済同友会は「サービス産業の生産性を高める三つの改革-『規制“デザイン”改革』『働き方の改革』、そして『真の開国』を」などという文書を出していますが(二〇〇九年四月九日)、ここで「規制“デザイン”改革」とあるように、規制をなくせとは言えなくなっています。「規制のあり方が問題だ」という言い方です。規制が必要な場合を認めていて、その場合には原則として、禁止規制や参入制限タイプではなく、行為規制や罰則の厳格化によってやるべきだというような言い方に変わってきています。一種の譲歩ですね。
 今年の四月二一日の意見書「経済危機下における雇用と生活の安心確保-まずは不安の払拭に全力を(第一次意見書)」では、「雇用と生活の安心確保」ということを言い出しています。また、四月に出された「今こそ企業家精神あふれる経営の実践を-『三面鏡経営』と『五つのジャパン・ニューディール』の推進による『未来価値創造型CSR』の展開」という文書の中では、「三面鏡経営」ということで、資本市場=株主、従業員=雇用、社会、という三つの価値に焦点を当て、株主と従業員を同等に捉えています。これもやはり従来の株主主権、あるいは株主を重視するという市場原理主義的な考え方を多少修正しているといえます。
 しかし、もう一つの面として、現実の対応ではなかなか変わらないということ、経営者の個人的見解をまとめたものにすぎないということも言っておかなければなりません。そうであるとしても、規制緩和一辺倒でなくなってきていることは明らかです。
 
②日本経団連の文書

 日本経団連も、今年二月九日の文書「日本版ニューディールの推進を求める-雇用の安定・創出と成長力強化につながる国家的プロジェクトの実施」で「雇用の安定・創出と成長力強化」を副題としていますし、「雇用の安定は企業の社会的責任であることを十分認識し」「緊急避難的には、企業としても離職者等に対する住居提供などの生活支援に最大限の努力をしていく必要もある」などということも言っています。
 こういう文書をプラカードに掲げて経団連会館にデモをする、ということをやったらいいんじゃないでしょうか。「あなたたち、こう言っているじゃありませんか、どうしてやらないんですか」と。「自分たちが文書として出していることを実践しろ」と、労働組合や反貧困運動団体などが突きつけていくことが必要でしょう。
 「雇用のセーフティネット強化を官民一体となって実現することが求められる」とか「雇用調整助成金制度のさらなる拡充」などということも書かれています。これは、自分たちに対する助成を増やしてくれということでもあるわけです。また、「職業訓練の受講を条件に、一般財源を活用して生活保障のために暫定的に給付の仕組みを速やかに検討すべき」という文章もあります。これはさっき言ったトランポリン制度です。このような制度が今度の補正予算に入ったのは、自民党や日本経団連などの意見が一致したためです。
 
③在日米国商工会議所による提案

 もう一つは、在日米国商工会議所(American Chamber of Commerce in Japan (ACCJ))による提案です。これは一九四七年から日本で活動するアメリカ系企業のトップが集まって作られた団体で、日本の政治に対する圧力活動を展開しています。ここが労働の規制緩和についても、提言や要求を出してきました。
最近も、「確定拠出年金制度の改善を」(〇九年六月まで有効)、「審議会への参加機会の大幅な増大を通じた透明性の高い立法過程への到達」(〇九年一二月まで有効)、「コーポレートガバナンスを強化し、日本の公開市場の信頼性を高めるために、株主による議決権行使へのアクセスと情報開示の改善を提言」(一〇月二日まで有効)などを出しています。
これらは「確定拠出年金をもっとやりやすいようにしろ」とか、「審議会への参加機会を大幅に増やして欲しい」などという要求です。在日米国商工会議所などにも政策形成に対して公的な参加の機会を与えてほしいと求めているわけです。この他にもいろいろ提言や要求が出されていますが、在日米国商工会議所のホームページに出ていますのでご覧になって下さい。

(4)官邸に対する自民党の復権

政労使合意と厚労省分割案

 最後に、その他の問題です。三月二三日に「雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意」が結ばれました。今の雇用悪化のもとで、政府はどうする、財界・経営者団体はどうする、労働組合はどうする、といったことをお互いに確認し、合意した内容を文書にしたものです。
 財界も今の雇用悪化に対して対応しなければならないと譲歩を迫られた結果、こういう合意に至ったものだと理解していいと思います。「雇用安定・創出の実現に向けた五つの取組み」ということで、五点出されています。ここには就職困難者の訓練期間中の生活の安定確保も入っています。
 もう一つは、厚労省分割論の経緯です。二つの点で興味深い。一つは、五月一五日の安心社会実現会議で提言され、一九日の経済財政諮問会議で首相が検討を指示し、五月二六日に素案が公表されるという経過をたどったことです。つまり、安心社会実現会議から始まって経済財政諮問会議で指示が出されているということで、ある種の上下関係をここからも伺うことができます。
 ところが、このレジュメを作って、さあ送ろうと思ったときに新聞を見ましたら、麻生さんが「最初からこだわっていない」なんて言い出して、白紙に戻したそうです。本当にあの人は一貫していないと思います。しかし、コロコロ変わるということでは一貫しているということですね(笑)。
 麻生さんはいい案だと思ったのでしょうが、自民党の族議員などが反対したために曖昧にしてしまったわけです。小泉さんだったら「自民党は抵抗勢力だ」と言って、首相のリーダーシップを際立たせるところですが、麻生さんは逆です。抵抗にあって逃げた。しょうがないから、与謝野さんが「私の言い方が悪かった」とフォローしました。結局、こういうジグザグとなって、小泉さんとは逆にリーダーシップのなさを際立たせてしまったという経過です。官邸と自民党との関係でいうと、自民党の復権です。

「懺悔の値打ちもない」

 それからもう一つ言いたかったのは、中谷巌さんについてです。その著書『資本主義はなぜ自壊したのか』が評判になっていますが、その中で中谷さんは、「本書は自戒の念を込めて書かれた『懺悔の書』でもある」と書かれています。しかし、私に言わせれば、「懺悔の値打ちもない」(北原ミレイ)。熊沢先生の『働き者たち泣き笑顔』の真似をして、歌の題名を使わせていただきました(笑)。もちろん、反省することは悪いことではありません。猿だって反省しますから。
 けれども、この人はいわば“戦犯”です。小渕内閣の経済戦略会議議長代理として規制緩和の旗を振って、どんどん民営化を進めてきた張本人です。大店法の問題についてもタクシー増車の問題についても責任を負うべき人です。
 タクシーが増えすぎて交通事故で死んだ運転手がいたかもしれません。非正規で生活できなくなった人も、経営が成り立たなくなって首をつった商店主だっていたでしょう。九八年から一一年連続三万人以上の自殺者の中には、こういう人たちがたくさんいたはずです。規制緩和のために希望を失い、自ら命を絶たなければならなくなった人たちが。
それに対して中谷さん、あなたは責任がないんですかと、私は問いたい。今頃になって懺悔の書なんか出されても、こういう人たちは生き返るのかと。真面目な研究者であるなら、せめて筆を折る、発言を控えるぐらいのことはやるべきじゃないかと思います。規制緩和の旗を振って儲け、懺悔の書を出してまた大儲けをする。許せません。
 学者としての誠実さの問題です。あの本にしても、自分はなぜ間違ったのかという自己分析的な解明なり反省はありません。これについては、『Voice』〇九年六月号の「経済常識の嘘を斬る!」でも、かなり批判されています。ご覧いただければと思います。

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