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11月8日(日) 「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か(上) [論攷]

〔以下の論攷は、2009年9月24日にアジア記者クラブの定例会で行われた講演のテープを起こしたもので、『アジア記者クラブ通信』208号、2009年11月5日発行、に掲載されたものです。かなり長いので、3回に分けてアップし、最初のリードと最後の質疑応答は省略させていただきます。〕

「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か(上)

 昔、竹下登氏が首相だったとき、「歌手1年、首相2年の使い捨て」と言って、2年間で首相がころころ変わるのを嘆いていたが、小泉純一郎氏が首相を辞めてから安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の各氏はみな1年ほどで辞めた。「歌手1年、首相も1年の使い捨て」というのがこの3年の状況だった。
 きょうは「『反転』へのとば口に立つ民主主義」という題をいただいたが、私はこれを4つの柱でお話ししたい。
 1つは、終わったばかりの総選挙がどういう結果をもたらしそれをどう見たらよいのか、2つめが総選挙で自民党はなぜ大惨敗を喫したのか、3つめが新しく出発した鳩山政権はどういう課題を担っているのか、4点めはその中で左派に位置する政党勢力はどういう役割を担うことになるのか。

■ 自民党の戦略的敗北

 総選挙は3つの結果が重なった形になっている。というのは、今の衆議院選挙の制度は「小選挙区」と「比例代表」を結びつけ、重ね合わせた「小選挙区・比例並列制」という制度になっているから、この3つの結果を分けて考える必要がある。新聞などで報道されているのは小選挙区・比例並列制による結果で、民主党308議席、自民党119議席。119というと救急車と同じ数字。いかに自民党が危ない状態になったか、この数字が明瞭に示しているが、この数字は本当はインチキであるのは後で説明したい。
 公明21、共産9、社民7、みんなの党が5、国民新党3、日本新党1、諸派1となったが、実際には民主党は309、自民党は117になるはずだった。どうしてかというと、近畿ブロックの比例代表で民主党の候補が足りなくなってしまった。当選すべき獲得議席数は民主党の方が多かったが、候補者が2人足りなくなって、1人が自民党、1人が公明党の議席となった。だから、自民党は民主党から1つもらって119議席になった。公明党も本当は20だったのが21になった。もう1つ問題があって、「みんなの党」の候補者が小選挙区と比例代表で重複立候補した。小選挙区で法定得票まで達成しなかったので比例代表の資格を失い、本当なら「みんなの党」に行くはずの2議席が1つは自民党に、もう1つは民主党に行った。だから、自民党の119議席は、本当は民主党に行くはずの1議席と「みんなの党」にいく1議席の合わせて2議席をもらったものだ。「みんなの党」は2議席も他党にあげて、7議席のはずが5議席になってしまった。だから本当の数は民主党が309、自民党117、公明党は20、みんなの党7になるはずだった。
 この選挙結果をみると、民主党の308議席は過去最多で、自民党は結党以来初めて第1党の座を失うという、自民党にとっては信じられないような大敗北になった。これが小選挙区比例代表並立制の結果だ。
 小選挙区だけの結果を見ると、民主党が221議席、自民64、社民3、みんなの党2、国民新3、日本新1、無所属6で、2けたを獲得したのは民主と自民だけ。第3党以下は当選しづらい状況になっている。自民の64議席とと社民の3議席の間に大きな壁があり、まったく質的にかけ離れた数になっている。社民、みんな、国民新、日本新にしても民主党が候補者を立てなかったり選挙協力をしたり、あるいは自民党も候補者を立てなかったりというようなことで議席を得ている。民主党や自民党がどう対応するかによって第3党以下の議席も大きく変わってくる、あるいはほとんど獲得することができない制度になっている。
 比例代表区の結果は、民主87、自民55、公明21、共産9、社民4、みんな3、諸派1と、なだらかに減少して大きな差がつかないという比例代表制の特徴が示されている。小政党もそれなりに議席を獲得することができる形になっている。
 この結果、政党の組み合わせによって一つのシステムともいうべき政党制が出来上がる。どういう政党制ができたかというと「2大政党制」とされているが、これは私に言わせれば幻であって2大政党ではない。自民党の場合、2005年の当選者が296で、解散前に300議席あったのが119議席になった。逆に民主党の当選者は05年の当選者が113で解散前115議席であったのが308議席と、ちょうどひっくり返ったような形になっている。05年総選挙と09年総選挙がオセロゲームのようにひっくり返った。
 ここから2つの政党が多数になったり少数になったり、勝者になったり敗者になったりが繰り返されるのではないかというイメージが生まれる。しかし、それは幻想であると言ってよい。05年総選挙の自民党勝利は小泉マジックあるいは小泉劇場と言われるような、小泉さんによる戦術的な勝利で、一時的・現象的な要因に基づく結果だと言って良い。
 これに対して、今回選挙の民主党勝利は自民党の自滅、長い間の自民党政治に基づく戦略的敗北であると言える。長期的・構造的要因であり、短期間でこのような要因が消滅し、再びオセロゲームが繰り返されることはないと、私は考えている。
 選挙の結果でき上がった政党の配置を見ると、「1党優位政党制」という形になっている。自民党の議席は民主党の38・6%で三分の一強。昔の55年体制下における自民党対社会党の割合は「1と2分の1政党制」、あるいは「疑似2大政党制」と言われた。今回の政党の議席比、つまり民主党対自民党の比率は民主党が1に対して自民党は三分の一強であり、「疑似2大政党制」以上の「疑似疑似」2大政党制となっている。「1党優位政党制」をさらに超えた「1党超優位政党制」とでも言えるのではないか。これが308議席対119議席の勢力関係で成立した政党制なのだ。
 しかし同時に、実体はそうではないと、急いで言っておかなければならない。実際には、多党制だからだ。比例代表での得票率が有権者の実際上の支持の在り方を示していると理解すれば、これは多党制にほかならない。民主党が42・2%、自民が26・7%、公明11・5%、共産7・0%、社民4・3%、みんな4・3%、国民新1・7%、日本新0・8%、諸派・無所属1・4%というのが比例代表の得票率。これは、民主10、自民6、公明2・8,共産1・5、社民1、みんな1という比率になる。こういう議席の比率を見れば、民主党だけが突出しているわけではない。2対1以上の比率で自民党が勢力を維持している。これが有権者の支持状況の実体であるとすれば、多党制的な状況が実体だと言わざるを得ない。
 次に、小選挙区制の持つ問題点について見ておきたい。選挙制度を論じる以上は、知っておいていただきたいことだが、小選挙区制には決定的な欠陥がある。選挙制度には最善のものはないとよく言われる。しかし、最善のものはなくても、最悪のものはあると私は思う。最悪は小選挙区制だ(図参照)。これは最も簡単な例を示したものだが、A政党が白丸、B政党が黒丸であるとするなら、第1選挙区、第2選挙区はA政党、第3選挙区からはB政党が選ばれる。その結果、勢力範囲は明らかに2:1となる。ところが、もし全員が直接的に投票したとすれば、A政党が獲得するのは4、B政党は5となる。つまり、有権者における実際上の支持状況がA:Bは4:5であるにもかかわらず、小選挙区制で選ばれたら2:1になってしまう。ここできわめて重要なのは、多数が逆転しているということだ。こんなインチキがあってはならない。多い方は多く、少ない方は少なくという形で代表が選ばれなければおかしい。ところが、少数は多数に、多数は少数に変わってしまうこともある。代表を選んだだけで、こういう逆の結果になってしまう可能性のあるのが小選挙区制だ。一つの区で一人の代表を選ぶ形であればこうなる。

A政党○     B政党●

議席    ○     ○      ●      A政党の票4、議席2
       ↑     ↑      ↑
票数   ○○●   ○○●    ●●●      B政党の票5、議席1

■ WTCで2600人、イラクで米青年4000人が死亡

 イギリスでは1951年と1974年の2回、実際の投票数と選ばれた議員の数が逆転するという例があった。2000年のアメリカ大統領選ではゴア候補の得票がブッシュ候補より53万9947票多かったにもかかわらず、ブッシュ候補が得た選挙人は271人で、ゴア候補が得た選挙人は267人。4人の差でブッシュ候補が大統領に選ばれてしまった。もしこの時、このような逆転がなくポピュラーボート(popular vote)、つまりアメリカ国民の投票した結果がそのまま大統領選挙の結果になっていれば、ブッシュではなくゴアが大統領になっていた。実際には、アメリカ国民は大統領にブッシュではなく、ゴアを選んでいたのだ。それが間接選挙制度だったが故に逆転してしまい、ゴアではなくブッシュが大統領に選ばれてしまった。
 なんという歴史の皮肉か。もし、ゴアが大統領に選ばれていたなら、その後の世界史は大きく変わっていただろう。もし、そうなっていたなら、2001年の「9・11同時テロ事件」は起きなかった。ワールドトレードセンター(WTC)の2600人の人たちは死なないで済んだ。アフガンに対する攻撃もなく、イラク戦争もなかった。イラク戦争でアメリカの青年が4000人も死ぬことはなかったかもしれない。選挙制度のカラクリによって、このような重大な結果がもたらされたのだ。なぜそうなったかというと、各州の選挙人団は勝者独占方式だったから。どちらか勝った方が選挙人を全部獲得するという制度だったから、小選挙区制と同様の逆転現象が生じてしまったのだ。

■ 得票率47%が議席74%に

 今回の小選挙区でも、多くの問題が生じた。民主党の得票率は47%だったにもかかわらず、議席の比率は74%になってしまった。47%ということは有権者の過半数に達していない。そういう政党が4分の3近くの圧倒的多数の議席を占める結果になった。
 次の問題は、多くの死票が出て、選挙結果に生かされなかったことだ。今回は46%の票が死票になった。46%といえば四捨五入すれば50%。有権者の投じた票の約半分が無駄になっている。こんな選挙制度は、やはり認めるべきではない。公明党と共産党に投じられた票はすべて生かされなかった。自民党も小選挙区でばたばた落ちている。比例代表区があったが故に、119議席を確保することができた。比例代表制を残しておいて良かったと、自民党と公明党は痛感したことだろう。もっと言えば、小選挙区制でなく比例代表制にしておけば、自公両党もこんなに減ることはなかったはずだ。
 第3に、過剰勝利、過剰敗北によって議席が激変するという問題がある。05年の場合、自民党の得票率は48%、議席率が75%だった。今回の場合、民主党の得票率は47%で、議席率は74%になった。民主党の得票率は前回36%だったのが今回47%と11ポイント増えただけなのに、議席率が17%から74%まで57ポイントも増えている。逆に、自民党は得票率が47%から39%へ8ポイント減少しただけなのに、議席率の方は71%から21%へ50ポイントも減ってしまった。過剰勝利が5倍、過剰敗北も5倍以上と、大きく変化した。得票率の変動に議席が連動する形にしておけば、これほど激しくは動かない。逆に言えば、このように大きく“かさ上げ”をして、勝利と敗北を過剰なものにするために小選挙区制を導入したとも言える。しかし、これは政治状況をあまりにも激変させるという新たな問題を生んでいるのではないか。
 4番目に、日本の政治の何が代わり、何が変わらなかったのかについて見ておきたい。今回の選挙の結果は、日本の憲政史上初めての本格的な政権交代だった。戦後2回、政権交代があったが、1947年の場合も93年の場合も、その前後に政界再編があり、政党の組み合わせの変化があった。その前が戦前1924年の護憲3派内閣だが、この時も直前に政界再編があった。今回は、自民党から小政党の離反などはあったが、大きな政界再編を伴わない政権交代だ。連立の枠組みと総理候補が選挙前から明確だったという点でかつてない政権交代になった。93年の細川護熙連立政権の場合は、どうなるか選挙が終わってからも分からなかった。7党1会派が連立を組んだが、そのトップに細川さんをかつぐことは選挙の後に決まった。今回は選挙の前から、民主党が勝ったら鳩山総理大臣だということは明確だった。
 民主党の党首が小沢さんから鳩山さんに代わったというのは、選挙を闘った民主党にとっても選挙後の新政権にとっても、たいへん幸いしたと思う。この点で、自民党は大きな失敗を犯した。西松建設問題などを持ち出さず、小沢さんをそのまま代表にしておけば、民主党はこんなに勝たず、自民党だってこんなに負けなかったかもしれない。ところが絶妙のタイミングで代表の小沢一郎さんが引っ込み、出てきたのが鳩山さんだ。小沢さんと鳩山さんとではイメージが違う。小沢さんは嫌な街頭演説をせずに済み、好きな選挙をじっくり腰を据えてやることができた。
 自民党は民主党のために代表の交代をさせてやったようなものだ。西松建設事件自体は大きな問題だが、どこまでも自民党はついていなかった。このように、いろいろな面からみて自民党は大きな失敗を犯した。自民党の麻生さんと鳩山さんが激突するというイメージ選挙、テレビ選挙からいっても勝敗は明らかだったのではないか。自民党のテレビCMは選挙期間の途中から声が出なくなった。麻生さんのダミ声を聞きたくないとかいろいろあったのだろう。

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