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5月9日(日) 鳩山民主党政権の半年を採点する-参議院選挙では何が問われるのか [論攷]

〔以下の論攷は、東京土建の機関誌『建設労働のひろば』No.74(2010年4月号)に掲載されたものです。〕

鳩山民主党政権の半年を採点する-参議院選挙では何が問われるのか

「名ばかり政権交代」なのか

 一時期、「名ばかり管理職」や「名ばかり店長」という言葉がはやった。「なんちゃって管理職」などというのもあった。「管理職」や「店長」と言っても、それは名前ばかりで、実質的な中身や処遇がともなっていないことを端的に表現する言葉である。
 それとの類推で言えば、昨年8月の総選挙で実現した政権交代は、「名ばかり政権交代」「なんちゃって政権交代」と言えるかもしれない。「政権交代」と言っても、それは名前ばかりで、実質的な中身や政策転換がともなっているようには見えないからだ。
 しかし、せっかくの政権交代である。そう断言するには早すぎる。民主党政権に対する採点は、過去半年の実績を冷静かつ客観的に評価してからでも遅くはあるまい。
 とはいっても、それは簡単な作業ではない。自公政権の下で国民生活は破壊され、そこからの脱出路として選択された民主党政権への期待は高く、現実の姿との落差は大きい。どうしても、採点は辛くなりがちだからだ。
 しかも、このような落差を拡大するかのように、鳩山政権は迷走を繰り返し、総選挙で示された国民の期待を裏切り続けている。さらに、それを増幅するかのように、マスコミの一部は政権の裏面や恥部にことさら光を当てる。もちろん、マスコミは権力を監視し、批判的な立場からの報道を使命としているが、同時に、事実に基づいた公正で客観的な報道に努めるべきことは言うまでもない。
 以下、本稿では、まず、政権交代の前進面と鳩山政権の限界を示すことにしたい。次に、旧体制による巻き返しと鳩山政権の弱点を検討する。そして最後に、来るべき参院選の意義と現局面を明らかにすることにしよう。

新自由主義的「構造改革」路線の転換と残存

 政権交代による最大の前進面は、新自由主義的「構造改革」路線が否定されたことにある。鳩山首相は昨年10月の第173臨時国会の冒頭、所信表明演説で「市場にすべてを任せ、強い者だけが生き残ればよいという発想や、国民の暮らしを犠牲にしても、経済合理性を追求するという発想がもはや成り立たないことも明らかです」と述べた。
 ここで市場原理主義からの離脱を明言したように、鳩山首相は「構造改革路線」からの転換を志向している。ただしこれは、“基本的には”という留保条件付きである。民主党も鳩山首相も、元もとは新自由主義的な政策志向を持っており、その形跡が多くの政策分野に残存していることも否定できない。
 実は、このような「構造改革」路線からの「反転」は、自民党時代から始まっていた。たとえば、2000年の大店立地法改正によって郊外への大型店の出店が“自由化”され、中心市街地はシャッター通りに変貌したが、06年の都市計画法の改正によって市街化調整区域での大規模集客施設の建設は原則として禁止された。また、02年の道路運送法の改正によってタクシーの台数制限が撤廃され、届け出制に変わって新規参入や増車が容易になった。その結果、タクシー台数の激増、収入の減少、交通事故の多発などの問題が生じ、昨年6月にタクシー適正化・活性化特別措置法が成立して新規参入規制などが強化された。さらに、「骨太の方針06」で示された社会保障費の自然増2200億円の削減方針についても、麻生内閣の「骨太の方針2009」によって事実上撤廃された。
 私は、拙著『労働再規制』(ちくま新書、2008年)において、労働分野における「構造改革」路線からの「反転」を指摘したが、これも労働者派遣法の改正という方向で具体化された。それは「抜け穴」や「先送り」という大きな問題を抱えてはいるが、登録型派遣や製造業派遣の原則禁止を打ち出した点は「反転」と評価できる。
 このような「反転」は、労働分野だけでなく、様々な領域で生じていたのである。そして、そのような「反転」の政治的な結節点こそが、昨年秋の政権交代にほかならなかった。
 したがって、鳩山政権は、このような「反転」の流れを強め、さらに前進させるべき歴史的な役割を担っている。新自由主義的「構造改革」によって破壊された日本経済、疲弊した国民生活、瓦解に瀕した地方・地域のコミュニティを立て直すことこそ、鳩山政権が取り組むべき課題だったのである。鳩山政権が、小泉「構造改革」の「本丸」とされていた郵政民営化の見直しに着手したのは、極めて当然のことだったと言えよう。
 ただし、この面でも、多くの限界や不十分さが残されている。たとえば、国民的な関心を集めた「事業仕分け」だが、民間仕分け人の人選は旧大蔵省OBで構造改革を推進した民間シンクタンク「構想日本」の加藤秀樹代表に任され、そこには福井秀夫政策研究大学院大学教授など構造改革を主導した人物も含まれていた。
 また、子育て支援では、子ども手当などの現金給付が重視される一方で、保育所や高齢者福祉施設などの基盤整備が軽視され、市場重視の仕組みに歯止めをかけるものとなっていない。さらに、地域主権戦略会議による「地域主権戦略の工程表案」で打ち出された義務付け・枠付けの見直しは構造改革路線を踏襲しており、保育所の面積基準の緩和などは「待機児解消」を名目に規制緩和路線を継続するもので、新自由主義的「構造改革路線」の残存と言わざるを得ない。

旧体制勢力による巻き返し

 このような鳩山政権の限界や不十分さに付け入る形で、自民党、官僚、財界、アメリカ、マスコミなどの旧体制勢力は強力な巻き返しに転じている。これらの旧勢力は、ことあるごとに鳩山政権の足を引っ張ろうとしているが、それには明確な理由がある。これら旧体制の支配システムの転換も、民主党政権が担うべき課題の一つになっているからである。
 自民党は1955年に結成されて以来、一時期を除き、半世紀以上に渡って政権政党としての地位を維持してきた。このような支配を支えたのは、右派イデオロギー(反共主義)と利益誘導型政治(開発主義)であった。この自民党支配の2大支柱は80年代頃までは有効に機能したが、やがて、「冷戦体制」の崩壊と「右肩上がりの時代」の終焉によって前提条件を失い、それぞれ右傾化と金権化という2大宿痾(不治の病)を生み出すなど逆機能を発揮するようになる。
 その結果、官僚主導の「古い自民党政治」に代わって、新自由主義の「新しい自民党政治」が登場した。その頂点が、「首相支配」や「官邸主導」と言われた小泉首相による「構造改革」であった。しかし、政治家(自民党)・官僚・財界(業界)の癒着と官僚主導型の利益誘導政治は、その下でもしぶとく生き延びた。
 かくして、政権交代によって転換されるべきターゲットとして、新自由主義の「新しい自民党政治」だけでなく、官僚主導の「古い自民党政治」も据えられることになる。鳩山政権が「脱官僚政治」をスローガンに、事務次官会議の廃止や「政治主導」のための改革課題を打ち出しているのは、そのためである。
 したがって、これら旧体制勢力による抵抗もまた、熾烈なものとならざるを得ない。当初、政権から追い出されて茫然自失となった自民党は反攻に転じ、官僚は自己の保身とプライドをかけて隠微な巻き返しを図り、財界は陰に陽に政権批判を行い、マスコミは側面から世論工作を試みた。海の向こうのアメリカでは、「日本ハンドラー」と呼ばれる「知日派」の外交官、政治家、学者が暗躍を始める。

鳩山政権の弱点

 こうして、旧体制勢力が総力を挙げて民主党政権の足を引っ張ろうとしたその時、困ったことに、民主党は引っ張られるような「足」を出してしまった。「政治とカネ」をめぐる問題が、その典型である。政権トップの首相と政権与党の幹事長が、いずれもこのような弱点を抱えている。それ自体、解明されるべき重大な問題であることは間違いないが、同時に、それが政権交代の成果を国民に見えなくさせるための「煙幕」として利用されたことも見逃せない。
 政策課題での鳩山内閣の弱点は、たとえば沖縄米軍普天間飛行場の移設問題に示されている。普天間飛行場の移設は、地元の理解を前提とする限り国内では不可能である。アメリカが最善だとする辺野古沖移設の現行案は、これまでも実行できなかった最悪の案であり、結局は現状を固定化することになる。世論がここまで沸騰している以上、国外撤去以外に解決策はなく、それを実行できなければ「撤去」されるのは鳩山首相の方になろう。
 今後、大きなアキレス腱として浮上してくるのは、財源問題である。その唯一の解決策として提起されているのが消費税の税率アップだが、このような「悪魔のささやき」に惑わされてはならない。
 第1に、税は富める者から取り、貧しい者に分け与える再分配政策の手段として機能させるべきである。大企業や金持ちを優遇する逆累進性を逆転させ、新自由主義的な税制による歪みを正すことこそ、税制改革の目標でなければならない。
 第2に、貧困と格差の増大の下での消費税の増税は、これらの問題を解決するどころか、さらに深刻にするだろう。持続可能な社会保障制度の確立を名目とした庶民増税によって社会そのものの持続可能性が奪われるというのでは、全くの本末転倒である。
 第3に、大企業や金持ちへの増税は、自民党政権にはできないが、民主党政権なら可能性がある。自民党の「口車」に乗ってはならない。自らが増やしてきた財政赤字の尻ぬぐいをさせ、大企業や金持ちへの増税を回避するとともに、あわよくば、民主党政権を転覆する手段として消費税増税を利用しようとしているからだ。

政治を前進させるチャンス

 長い間待ち望んでいた政権交代が実現したにもかかわらず、それは「名ばかり」ではないかと失望させられてしまうのは、自民党に代わって政権についたのが民主党だったからだ。国民は、自民党を政権から追い落とすために、野党第一党の民主党を使わざるを得なかった。一人しか当選できない小選挙区制という選挙制度に強いられた、やむを得ざる選択だったのである。
 しかし、民主党は出自を異にする政治潮流のミックスであり、そのリーダーとリーダーシップには大きな問題があった。政治理念や将来ビジョンは不明確で、つぎはぎの政策を掲げ、指導部には自民党出身者も多い。しかも、鳩山首相、小沢民主党幹事長、岡田外相などは利益誘導型政治の旧田中派出身だ。
 政権樹立後、半年経過して、とりわけ大きな問題になっているのは、鳩山首相のリーダーシップであろう。優柔不断で発言が一貫しないという点では、出ては消えていった過去3代の自民党出身の首相と変わらない。民主党という政党も鳩山首相も、自民党を排除して政権を交代させる手段としては大いに役立ったが、その後の政治転換と新しい政治の推進という点では機能不全に陥っている。
 政権交代が日本政治に新たな局面を開いたことは間違いない。しかし、それを有効に活用する力を、民主党は持っていないように見える。かくして、日本の政治を変革する道は、過渡的中間的段階にとどまらざるを得なくなった。
 このような中途半端な停滞を打開することこそ、来るべき参院選の最大の課題であろう。政治を前進させるチャンスとして、参院選を活用することである。そのためには、明確な政治変革の構想を持つ共産党のような政党を選ぶこと、民主党という党ではなく個々の候補者をきちんと見定めて投票することが必要だ。

民意の争奪戦が始まった

 同時に、いかに民主党が期待はずれで不満があっても、間違っても自民党の復権に手を貸してはならない。民主党政権は確かに「踊り場」ではあるが、階段を上ってきたからたどり着けた場所なのだ。まだ「2階」ではないからといって、「1階」に下りるような愚を犯してはならない。細川・羽田政権の教訓を思い出すべきだろう。
 政治を前に進めるためにどうするべきか、「2階」に上るために何が必要なのかが問題なのだ。政権交代によって、世論や政策、政治の可変性が増大している。政治・社会運動、労働運動の意義と役割が高まっており、政党支持も流動化している。
 民主党の迷走によって反自民・非民主の流れが生じ、政治変革に対する期待が宙に浮いてしまった。この浮遊する民意を、どこが引き寄せるのか。参院選を前に、本格的な政治転換に向けての民意の争奪戦が始まったのである。


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西岡三郎

私も日本共産党サポーターであるが、現時点での同党の存在意義は昨年の政権交代によって生まれた政治の前向きの流れを守るために、自公勢力やその別働隊に他ならないみんなの党などの新党群を総体として国民のなかでの少数派とし、政権勢力として復活する芽を断つことにあると思う。
そのためには民主党政権の批判するべきところは批判しながらも、「国民の生活が第一」をかかげる同党に、この公約どおりの政策を実行するように促すことであり、そのための選挙戦略の展開であると思う。
まちがっても「自民も民主もダメ」という俗論に乗りながら、「たしかな野党」としての自党の党勢拡大を第一とした選挙戦略をとることで、全選挙区立候補の愚を繰り返し、旧与党勢力を利することではないだろう。

by 西岡三郎 (2010-05-09 09:51) 

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