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3月29日(火) 原発事故が教える「選ぶこと」の大切さと怖さ [災害]

 「こんなもの、造らなければ良かった」と、多くの人は、そう思っていることでしょう。とりわけ、強制移住をさせられている福島第1原発から半径20キロ以内に住んでいた人々は……。

 しかし、酷な言い方になるかもしれませんが、それは皆さんが選んだ結果なのです。それは天災ではなく人災であり、自然に発生したものではなく人為的なものなのですから……。
 原発の設置には許可が必要であり、最終的には地元の同意がなければ建設することはできません。そこに建設されたということは、地元の自治体が受け入れたということであり、その自治体の首長や議員を選んだのは、そこに住んでいる人々だったのです。
 そもそも、「原子力の平和利用」という政策を掲げ、原発を推進するような政府を選んできたのは国民であり、中曽根さんや自民党に政権を委ねたのは有権者でした。原発に関して生じていることの全ては、主権者である国民や住民が選んだことの結果なのです。

 住民の多くが原発を望まず、その建設に反対していれば、賛成派は当選できず、議会で多数派になることもありません。原発推進を掲げた首長も、当選することはできないでしょう。
 もちろん、争点は多様であり、政策は多岐にわたっています。原発の是非だけが、選挙での争点ではなかったかもしれません。
 もしそうであれば、原発に関する争点や政策を軽視し、それよりも経済的な利益や交付金などを重視したということになります。その結果、原発は建設され、そこに存在することになったのです。

 原発が存在していなければ、事故など起こりようがありません。原因がなければ結果もなく、その原因は自らが選んだ結果だったのかもしれないのです。
 間違った結果をもたらさないためには、間違った選択をしないことが必要です。そして、自らの選択がどのような結果に結びつくかを想像し、予見するだけの「知力」を身につけなければなりません。
 そのためには、正しい情報と賢さが必要なのです。今回の原発事故についても、それを予見して警告を発した人々がおり、原発の建設に対しても、それに反対して「安全神話」に疑問を投げかけた人々がいたのです。

 恐ろしいのは、原発の推進に賛成した人々にも、その建設に反対した人々にも、事故によって漏れ出た放射能は等しく降りかかってくるということです。戦争になれば、賛成した人にも反対した人にも、等しく爆弾が落ちてくるのと同じです。
 誤った選択については、それを選んだ人だけでなく、その選択を阻止できなかった人もまた、責任を取らされてしまうのです。ここに、「選ぶこと」の大切さと怖さがあると言うべきでしょうか。

 間近に迫っている統一地方選挙の投票では、このような大切さと怖さを充分に自覚したうえで、一票を投じなければなりません。後で、「しまった」などと言わずにすむために。
 そして、この期に及んでもなお、「私は原発推進論者」などと公言している人物を選ばないためにも……。
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