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6月24日(金) 原発は事故を起こさなくても放射能被ばくを前提とした「悪魔の施設」だった [原発]

 昨日の続きです。「ウラン鉱石の採掘、精製で生ずる放射能残滓、配管の清掃などに際して被曝は避けられず、使用済み核燃料の廃棄と最終処分についての技術も開発されていない」ということについて、説明しましょう。
 これについては、第1にウラン鉱石の採掘と精製、第2に原発稼働中の被ばく、第3に使用済み核燃料の保管と処分の問題があります。

 第1のウラン鉱石の採掘と精製による放射能汚染残滓の問題については、以前、このブログでも書いたことがあります。日本でも昔は人形峠でウラン鉱石を採掘していたことがありますが、今ではオーストラリアなどからの輸入です。
 その輸入されるウラン原料は、鉱山から採掘されます。ウランが含まれていますから、鉱山労働者は被ばくを免れません。
 輸送コストを下げるために、鉱石は近くの精錬所で細かく砕かれて水で洗われ、濃硫酸やアンモニア等の薬品によって精製されます。余った残滓は池に貯められたり野積みされたりして保管されます。

 ウランを含んだ土はトリウムやラジウムなども含んでおり、肺がんや骨肉腫などの原因となります。その水や土が洪水によって周辺の湖や川に流れ込んだりします。
 乾けば乾いたで埃となって飛び散り、回りの広範な土地を放射能で汚染するのです。現在、世界で14カ国がウランの採掘を行っていますが、100万トン以上が採掘されたといいます。
 その残土は16億8000万トン以上に達するそうです。国連科学委員会は人類の最大の被ばく源はウラン鉱山の鉱滓にあると指摘しているほどですが、原発の維持・推進を目指している人々は、この問題をどう考えているのでしょうか。

 第2に、原発が稼働している期間中の被ばくという問題もあります。これについてもほとんど注目されていませんが、無視できるような問題ではありません。
 これには、原発周辺住民の被ばくという問題と原発内で働く原発労働者の被爆の問題があります。前者の周辺住民の被爆問題については、『東京新聞』6月23日付朝刊の「こちら特報部」に、「事故なくても健康被害 一生涯に渡る調査を」という記事が出ていました。
 この記事は、「米国の原子炉や核実験場の周辺住民の乳がん発生率などの増加を示した著書が注目されている」として、ジェイ・マーチン・グールド『低線量内部被曝の脅威』(緑風出版)という本を取り上げ、この本を共訳した戸田清長崎大教授の「実は原発は、事故がなくても健康被害をもたらす。平常運転で放出される放射能で周辺住民が内部被ばくするからです」という言葉を紹介しています。詳しくはこの本をご覧になっていただきたいと思いますが、これまで稼働してきた、あるいは現在稼働中の全ての原発の周辺住民にも、既にこのような被ばくのリスクがあったということでしょうか。

 原発労働者の場合は、もっと直接的な被ばくです。原発はこれまで13ヵ月ごとに定期点検を義務付けられていますが、その際、放射能で汚染された配管などを清掃する必要があります。
 そのために配管の内部に入り込んで放射能を拭き取るという労働が欠かせませんが、その際、ぞうきんで拭き取っていたというのですから、驚くばかりです。さらに驚くべきことに、労働組合である電力総連は電力会社の正社員である組合委員にこのような仕事をさせず、協力社員にやらせるよう求めていたのです。
 このような最底辺の単純労働に従事してきたのが、協力社員と呼ばれる非正規の下請け労働者でした。各地の原発をめぐって被ばく覚悟の仕事に就いたため、「原発ジプシー」とも呼ばれました。

 これらの労働者は、何次にも及ぶ下請け構造の下におかれます。その結果、元請けが一日7万円で請け負った仕事の手間賃が最終的には1万円ほどにしかなりません。
 それでも日給1万円は良い仕事です。暴力団や手配師などを通じて借金でクビが回らなくなった多重債務者がこれらの仕事に送り込まれました。借金を返すために、「女は風俗、男は原発」というのが通り相場だったそうです。
 かつての炭鉱労働者、原発の建設によって土地を奪われた農民や漁場を追われた漁民の多く、近くの町の若者なども、このような仕事に就いたそうです。それが「原発による雇用の創出」の実態でした。

 第3に、使用済み核燃料の保管と処分の問題があります。これは極めて大きな問題であり、原発が「トイレのないマンション」などと言われるのはこのためです。
 これについても、技術、場所、期間の問題があります。これらのどれ一つとっても、解決のメドさえ立っていないのが現状です。
 放射能は技術的に減少させたり消滅させたりすることができません。将来、もしそのような技術が開発されればこの問題はなくなり、「原子力の平和利用」も可能になるでしょうが、現状では自然に減少するのを待つしかありません。

 それが放射能の半減期と呼ばれるもので、それぞれの核種によって異なっています。たとえば、放射性ヨウ素131は8.02日、ストロンチウム90は29年、セシウム137は30年、プルトニウム239は2万4千年、ウラン235は約7億年、ウラン238は45億年という具合に……。
 45億年などと言いますと、ほぼ地球が誕生してから今日までの年数に匹敵します。これからそれと同じ時間が経過しても、放射能は半分にしかなりません。それから45億年経ってさらに半分の4分の1、それからまた45億年で8分の1という具合に、半分ずつ減少していくのを待つだけなのです。
 フィンランドのドキュメンタリー映画『100万年後の安全』で扱われているのが、この問題です。使用済み核燃料の長期的保存といっても、放射能が減少する100万年先まで、どのようにして安全を確保できるのでしょうか。

 日本には、この映画が紹介している地下500mの高レベル放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」のような施設はありません。それは今後の課題として残されていますが、どのように解決できるかは誰にも分からないのです。
 これが、「場所」の問題です。どこに、最終処分場を作ったら良いのでしょうか。
 日本国内にそのような場所は見あたらないということで、アメリカと共同でモンゴルに作ろうという計画がスクープされました。でも、自国民にとって危険きわまりない「核のゴミ」を、他国に押し付けるようなことが許されるのでしょうか。

 このように使用済み核燃料の最終的な保管場所もはっきりしていないのに、各地の原発で使用された核燃料の「燃えかす」は増えるばかりです。それは、各地の原発内に一時的に保管されています。
 しかし、その保管場所も次第に満杯になりつつあり、全国平均であと8年もすれば一杯になってしまうと見られています。これが「時間」の問題です。
 使用済み核燃料を再処理して再び燃料として使用するというプルサーマル計画がありますが、これはいまだ「夢」の段階にとどまっています。原発推進を主張している人々は、この「核のゴミ」の後始末の問題をどう考えているのでしょうか。

 このように、原発は事故を起こさなくても、放射能による被ばくを前提とし、多くの問題と危険性を併せ持つ「悪魔の施設」だったのです。その「黒」を「白」と言いくるめて、各地に原発を作り続けてきたのが自民党であり、通産省(経済産業省)や電力会社でした。
 そこには「原発利権」と呼ばれる特別な「旨味」があったからです。しかし、その背後には、放射能に汚染された多くの人々が存在していました。

 原発は、初めからあってはならないものだったのです。電力会社の宣伝などによってこれまで隠されてきた「悪魔」の本質を誰にも分かるような形で明らかにしたのが、今回の福島での原発事故だったのではないでしょうか。

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