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6月29日(水) 原発は莫大な送電線コストや電力ロスを生ずる無駄なシステムだ [原発]

 まだ続きます。今日は「原発は過疎地にしか建設できず、消費地である大都市への長距離の送電線を必要とし、多くの電力ロスを生んでいる」という点について説明しましょう。

 昨日の電源3法交付金についての説明で、「発電する施設と電気を利用する場所とが離れていて、施設のある地元にはメリットがないから」、「交付金によって受け入れるメリットを人為的に作り、発電所の建設などを促進しようとした」と書きました。それなら、「発電する施設と電気を利用する場所」とを接近させればよいことになります。
 東京電力の場合、東電の管内に原発は存在していません。東電が使用している原発の電力は、全て東電管内の外で発電されています。
 だから、「そんなに安全なら、東京に原発を作れば良いではないか」という意見が出るわけです。それはもっともな意見ですが、そうすることはできません。

 何故できないのかというと、1964年5月27日に原子力委員会によって決定された「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて(原子炉立地審査指針)」(1989年3月27日一部改訂)がるかあるです。この原子力立地審査指針によれば、「原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」とされ、過疎地にしか作れないことになっているからです。
 原子炉立地審査指針は「万一の事故に関連して、その立地条件の適否を判断するためのもの」であり、「原子炉は、どこに設置されるにしても、事故を起さないように設計、建設、運転及び保守を行わなければならないことは当然のことであるが、なお万一の事故に備え、公衆の安全を確保するためには、原則的に次のような立地条件が必要である」として、次のように述べています。

(1) 大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また、災害を拡大するような事象も少ないこと。
(2) 原子炉は、その安全防護施設との関連において十分に公衆から離れていること。
(3) 原子炉の敷地は、その周辺も含め、必要に応じ公衆に対して適切な措置を講じうる環境にあること。

 そのうえで、以下の3点を「基本的目標」に定めています。

a 敷地周辺の事象、原子炉の特性、安全防護施設等を考慮し、技術的見地からみて、最悪の場合には起るかもしれないと考えられる重大な事故(以下「重大事故」という。)の発生を仮定しても、周辺の公衆に放射線障害を与えないこと。
b 更に、重大事故を超えるような技術的見地からは起るとは考えられない事故(以下「仮想事故」という。)(例えば、重大事故を想定する際には効果を期待した安全防護施設のうちのいくつかが動作しないと仮想し、それに相当する放射性物質の放散を仮想するもの)の発生を仮想しても、周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないこと。
c なお、仮想事故の場合には、集団線量に対する影響が十分に小さいこと。

 こうして、「立地審査の指針」を、次のように示しています。

 立地条件の適否を判断する際には、上記の基本的目標を達成するため、少なくとも次の三条件が満たされていることを確認しなければならない。
1 原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。
 ここにいう「ある距離の範囲」としては、重大事故の場合、もし、その距離だけ離れた地点に人がいつづけるならば、その人に放射線障害を与えるかもしれないと判断される距離までの範囲をとるものとし、「非居住区域」とは、公衆が原則として居住しない区域をいうものとする。
2 原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること。
 ここにいう「ある距離の範囲」としては、仮想事故の場合、何らの措置を講じなければ、範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲をとるものとし、「低人口地帯」とは、著しい放射線災害を与えないために、適切な措置を講じうる環境にある地帯(例えば、人口密度の低い地帯)をいうものとする。
3 原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること。
 ここにいう「ある距離」としては、仮想事故の場合、全身線量の積算値が、集団線量の見地から十分受け入れられる程度に小さい値になるような距離をとるものとする。

 これが、原子炉建設の条件です。このような「立地条件」がなければ、原子炉建設に当たっての審査を通ることはできません。
 東京などの「人口密集地帯」ではなく、福島や新潟、福井などの「低人口地帯」でなければならないとされているのです。それは、「著しい放射線災害を与えないために、適切な措置を講じうる環境にある地帯(例えば、人口密度の低い地帯)」のことを意味しています。
 つまり、原子力安全委員会は、「大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また、災害を拡大するような事象も少ないこと」という「安全神話」に立脚しつつも、万一の事故があるかもしれないことをちゃんと「想定」していたわけです。

 しかし、その場合でも、「人口密集地帯」ではなく「低人口地帯」で「原子炉からある距離の範囲内は非居住区域」とすれば、「放射線被害」を防ぐことができると考えていました。このような考えがまったくの「空想」であったことは、フクシマの現実が雄弁に物語っています。
 いずれにせよ、原子力安全委員会が「人口密度の低い地帯」であれば、万一、事故が起きたとしても、「適切な措置を講じうる」と考えていたことは明らかです。ここには、人口密集地帯の大消費地のために、人口密度の低い農漁村地帯が犠牲になってもやむを得ないという考え方がかいま見えます。
 東京のために福島が切り捨てられるという構図は、原子炉立地審査指針で前提とされていたと言うべきでしょう。それが現実になったのが、今回の事故でした。

 このように、電力の大消費地の近くに発電所を作れないのは、原発の立地条件からして当然のことなのです。その結果として、電気を送るための長い送電線が必要になります。
 そしてそれは、新たな大きな問題を生みます。送電線のコストと電力ロスという問題を……。
 長距離の送電のためには高圧の送電線が必要になり、それには高いコストがかかります。そのような送電線でも、送電中における電力の喪失は避けられません。

 長い距離の送電を可能とするために、日本は100万ボルトという高圧の送電線を敷設しています。このような高圧線のコストは1キロメートル当たり10億円もかかりますから、青森にある東通原発から東京まで送るためには、送電線だけで2兆円ものコストが必要になります。
 このような高圧送電線でも、総発電量の5%ほどが喪失することは避けられません。その結果、2000年度には、1年間で約458億kWhの電力が送電中に失われました。
 これは100万kW級の原子力発電所6基分に相当します。もし、消費地の近くに発電所があり、これほど遠くから電気を送る必要がなければ、このようなコストは避けられ、送電ロスも生じません。

 ここに原発の放射能汚染と並ぶもう一つの弱点があり、小規模分散型の自然エネルギーの優位性があります。原発は大消費地から離れて立地せざるを得ず、高価な送電線と電力ロスを不可避にするからです。
 これに対して、小規模分散型の自然エネルギーは電力消費地の近くで得ることができます。事業所などで自家発電して消費すれば、送電する必要はなく、送電線のコストも電力ロスも生じません。
 この点で、自然エネルギーによる地産地消型の発電システムは原発に勝っています。このような無駄のない発電システムを、何故、促進しようとしないのでしょうか。

 原発は、危険に満ちた無駄な発電システムなのです。まともなビジネスマンなら、それがいかにペイしないものであるかは、容易に理解することができるのではないでしょうか。
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