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8月9日(火) 増島宏先生のご逝去を悼む [日常]

 今日は66年目のナガサキ原爆の日です。この鎮魂の日に、悲しい知らせをお伝えしなければなりません。

 本日の『東京新聞』朝刊に報じられていましたので、すでに皆さんご存知かと思いますが、増島宏法政大学名誉教授が多臓器不全で急逝されました。享年87歳でした。
 通夜は11日午後6時から、告別式は12日午前10時半から、東京都中野区の高徳寺新井白石記念ホールで行われます。

 増島先生は、法政大学大学院時代にお世話になった私の恩師の一人でした。大学院での指導を受けただけでなく、ゼミ生を中心に政治史研究会を主宰され、私も参加させていただいたからです。
 当時、先生は法政大学の常務理事をされていて、大変、多忙でした。それでも、研究会には良く顔を出されていたように思います。
 当初、中林賢二郎先生のゼミで労働運動史や統一戦線論の勉強をしていた私が、次第に政治学や現代日本政治研究の方向に傾斜し、労働政治を専攻するようになったのは、この研究会での影響が大きかったように思います。

 私が初めて単行本に原稿を書いたのは、増島宏・高橋彦博編『現代日本の議会と政党』(学習の友社、1980年)でした。この本の中で私は、第5章「議会制民主主義の危機とファシズム」の「一 議会制民主主義の危機」「二 ファシズム」を分担執筆しています。
 この本は1980年5月に出ていますので、私が29歳の時です。記念すべきデビュー作品ということになりますが、それが可能だったのは増島先生のお陰でした。
 また、翌年の81年12月には、中野好夫・長崎肇・諏訪弘・陸井三郎・小谷崇・熊倉啓安・高橋彦博という錚々たる方々と共に『危局を読む―いつまでも極楽トンボではいられない』(労働旬報社、1981年)という本に書かせていただきました。私は「上からも下からも大きな網が―改憲・有事体制への国民合意・参加・統合」という論攷を分担執筆していますが、これは研究会で指導を受けていた高橋彦博先生の勧めによるものです。

 このように増島先生との出会いは、その後の私の研究者生活を大きく左右するものでした。増島・高橋両先生との出会いとご指導がなければ、現代日本政治に対する私の関心や研究が、このような形で進展することはなかったでしょう。
 労働問題だけでなく政治研究をも志すようになり、それなりの成果を上げることができたのは政治史研究会のお陰でした。この点で、増島先生の学恩を忘れることはできません。
 そればかりではなく、大原社会問題研究所のプロジェクトである「戦後社会運動史研究会」でも、大変、お世話になりました。この研究会が再編・発足したのは2002年のことでしたが、このとき増島先生は研究会に参加され、2007年に刊行された研究所叢書『「戦後革新勢力」の源流―占領前期政治・社会運動史論1945-1948』(大月書店、2007年)に、「序章 占領前期政治・社会運動の歴史的意義」を執筆されています。

 この研究所叢書の続編として今年3月に出されたのが、『「戦後革新勢力」の奔流―占領後期政治・社会運動史論1948-1950』(大月書店、2011年)でした。増島先生はこの叢書には執筆されませんでしたが、7月23日(土)の合評会でのご報告を買って出られ、ご報告されました。
 自宅に戻られた先生は「疲れた」と仰り、そのまま体調を崩して入院され、8月7日(日)の午後、帰らぬ人となられました。研究会でのご報告が負担となったのかもしれません。
 合評会が原因で体調を崩されたとすれば、ご高齢であることを十分考慮に入れず、配慮を怠った責めは私にあります。責任を痛感しており、慚愧に堪えません。

 ただ、先生は倒れられる直前まで、現役の研究者として合評会でのご報告を担当されました。87歳で倒れられるまで、生涯現役を貫かれた先生は立派であったと思います。
 ご報告では、これからの研究課題や意欲を語られていました。その課題を受け継ぐとの決意と共に、今はただ、増島先生のご冥福をお祈りするばかりです。

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