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10月28日(金) 野田新政権をどうみるか―民主党はなぜマニフェストから離れていったのか [論攷]

〔以下の論攷は、労働者教育協会『学習の友』第699(2011年11月)号に掲載されたものです。〕

 野田佳彦新政権が発足しました。政権交代後の民主党政権としては、鳩山由紀夫元首相、菅直人前首相に次いで三人目になります。その前の自民党政権も、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と三代の政権が続きました。
 過去五人の首相は、いずれも一年ほどで交代しています。平均すると在任期間は三六一日になりますから、正確にいえば一年に満たないわけです。どうして、これほど政権が不安定になってしまったのでしょうか。何故、首相は1年で使い捨てのような状況が生まれ、日本の政治は劣化してしまったのでしょうか。

 政権不安定化、政治劣化の背景

 その背景には、客観的なものと主体的なものがあります。大きなものとして、三点ほど指摘しておきましょう。

●世界の構造的変化の中でもアメリカに追随
 第一は、世界が構造変化の時代に入ってきたということです。アメリカ一極支配の時代から多極化が進み、中国などBRICSと呼ばれる新興国やヨーロッパ諸国の台頭によってアメリカの地位は相対的に低下しました。「アラブの春」と言われるような中東地域の激変もあります。
 このようななかで、アメリカ自身、アフガニスタンへの軍事介入やイラク戦争、リーマン・ショックをもたらした金融政策など、政治・経済の両面で大きな失敗を犯しました。自ら地盤沈下を進める結果を招いたのです。「日米同盟」で深く結びついている日本は、このアメリカと歩調を合わせ、失敗を共有することになりました。

●九〇年代、政治改革の失敗
 第二は、政治改革の失敗です。日本では、一九九四年に金権・腐敗政治を止めさせ、政策・政党本位の政治を実現するという掛け声の下、政党助成金が導入され、衆議院の選挙制度が小選挙区比例代表並立制に変わりました。
 しかし、「政治とカネ」の問題は解決されませんでした。そのために、今もなお「陸山会」の土地取引に絡む政治資金規正法の虚偽記載などによって「小沢問題」が生まれ、民主党は小沢対反小沢で揺れ続けてきました。また、小選挙区では一人しか当選できないために「二大政党化」が進み、中小政党の排除が進んで多様な意見が国会に反映されないなど新たな問題も生じました。

●旧来の政治の枠組みが是正されず
 第三は、政権が交代したにもかかわらず、アメリカ追随、財界奉仕、官僚主導という日本政治を歪めてきた大きな政治の枠組みが基本的に是正されなかったことです。「日米同盟」に縛られた自主性のない外交・防衛政策をはじめ、ひたすらアメリカの言うことを聞く対米従属の政治、大企業の利益を図り、国民生活を犠牲にする財界本位の政治、政策の執行だけでなく、その立案まで省庁任せにしてしまうような官僚主導型の政治――自民党が政権を失ったのは、このような政治の枠組みが破綻したためでした。それにもかかわらず、民主党はこのような政治の枠組みを根本的に転換して欲しいという国民の要求を実現できませんでした。
 民主党も当初は、「東アジア共同体」を掲げて対米自立をめざし、「国民の生活が第一」だとして財界本位の政治から離脱するかのような姿勢を示しました。また、「政治主導」を唱えて官僚主導型の政治を改めようとしました。しかし、そのいずれも中途半端に終わり、古い自民党政治の枠組みへと逆戻りしつつあることは、皆さんが目にしているとおりです。

 自民党政治へ逆戻りしつつある理由

●野田新政権で、より明確化する「先祖がえり」
 このような古い自民党政治の枠組みへの「先祖返り」は、野田新政権ではいっそう明確になっています。たとえば、野田首相は組閣前に米倉,弘昌経団連会長など財界首脳と懇談し、自民・公明両党とも党首会談を開いて協力を要請しました。また、鳩山政権時代に廃止され菅政権時代に復活した政策調査会(政調会)の会長を自民党時代と同様に閣僚から外し、東日本大震災後に事務次官を集めてつくった「各府省連絡会議」を定例化して国政全般のテーマを扱うなど、事実上、復活させています。このような「先祖返り」はどうして生じたのでしょうか。これについても、主な背景を三点指摘しておきましょう。

●選挙互助会的性格の色濃い民主党
 第一に、民主党という政党の性格についてです。民主党は、小選挙区制に対応して急ごしらえされた選挙互助会としての性格を色濃く帯びています。小選挙区制では一人しか当選できず、小政党では自民党に勝てませんから一つにまとまったのです。現職の自民党候補に対抗するために入党した人も沢山います。
 そのために、色々な政党の出身者や本来なら自民党から出るような人も民主党に加わりました。民主党は綱領をもっていませんが、無理して作れば党がまとまらなくなってしまうからです。選挙でのマニフェストも、最大公約数的であいまいなものになるのは当然です。

●ねじれ国会のもとで自民・公明にひきよせられ
 第二に、国会のねじれ状態という問題です。民主党は衆院で三〇一議席をもつ与党ですが、参院では八三議席の自民党が第一党です。このような、衆参で多数が異なるねじれ状態のために、法案が通らなくなりました。衆院で再議決して成立させるためには三分の二の多数が必要ですが、民主党などの与党系では四八〇議席中三〇七議席で足りません。
 こうして、法律の成立には野党との協力が必要になります。これを利用して自民党と公明党は民主党に揺さぶりをかけ、マニフェストからの転換を求めました。その結果、「三党合意」が結ばれ、民主党は自民党へと引き寄せられることになったというわけです。

●根本原因にある小選挙区制
 第三に、このような問題を生み出した根本原因は小選挙区制です。民主党が選挙互助会として結成されたのも、理念や政策での一致よりも選挙での当選を優先するのも、一人しか当選できない小選挙区で勝たなければならないからです。その結果、選挙で当選したい、政権交代を実現して大臣になりたいという人が集まってくることになりました。議員や大臣になって何をやりたいのか、理念や政策、めざすべき国家像などが不明瞭なままに……。
 また、小選挙区で当選するためには、相手を少しでも上回る必要があります。中間層の奪い合いや相手の支持者の切り崩しが始まり、知らず知らずのうちに政策が似通っていきます。しかし他方で、選挙では敵対しますから連携や連合は難しいというジレンマに直面します。こうして、政党政治は身動きのできない自縄自縛状態に陥ってしまいました。
 そこから抜け出すためには、政治改革のやり直しが必要です。でも、そのようなことは可能なのでしょうか。

 政治は変えられる

●問題の可視化と新たな運動の高まり
 それは可能です。その根拠として、政治の問題点が見えやすくなってきていること(可視化)と問題解決に向けての新たな運動の高まりが生じていることを指摘したいと思います。アメリカによるアフガン介入やイラク戦争の誤りと反戦運動の高まり、新自由主義に基づく構造改革の失敗と反貧困運動の展開、そして、未曾有の原発震災の発生による「安全神話」の崩壊と反・脱原発運動の高揚などがその実例です。原発ゼロをめざして六万人の人々が集まった九・一九集会のように、政治の問題点が目に見えるようになり、問題の解決を求めて政治を動かすために人々は行動し始めています。
 それに、野田首相は増税論で知られ、復興増税や消費税増税を狙っています。大震災からの復旧・復興と原発事故対応、脱原発依存方針からの後退や原発再稼働問題、「三党合意」による縛りとマニフェストからの転換、「政治とカネ」の問題や「小沢処分問題」の処理、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加など、野田政権の施策には批判を浴びる要素も多々あります。

●国民に、政治を変える力があることは実証済み
 私たちは三年前の夏に政権交代を実現しました。その結果は国民の期待を裏切るものでしたが、政治は変わるということ、政権を交代させることができるということは、はっきりと実証されました。
 政治は明日の天気とは違います。変えることができるのです。そして、私たちは実際に変えた経験を持っています。
 この経験を生かし、さらに行動を積み重ねていけば、世論を変え、政治を動かすことができるはずです。原発震災の惨禍から立ち上がり、国民運動の力によって世論を変え、原発ゼロに向けて大きく政治を動かしつつあるように……。

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