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11月19日(土) 労働科学研究所の創立90周年を祝う [日常]

 都心の虎ノ門にある霞が関ビルまで行ってきました。35階の最上階にある東海大学交友会館で開催された労働科学研究所(労研)の創立90周年記念特別企画(秋期)「発展する労働科学と社会貢献」に出席するためです。
 窓から外を眺めたら、東京湾やレインボーブリッジが見えました。眼下には首相官邸、その右に国会、さらに右の方には皇居の緑が広がっています。

 労働科学研究所は大原社会問題研究所から分かれて独立した研究機関です。いわば、兄弟のような関係にあるということになりましょうか。
 生みの親は、どちらも倉敷紡績の大原孫三郎社長です。大原の手によって、先ず1919年2月に大原社会問題研究所が設立され、その2年後の1921年7月1日に大原社研から独立して倉敷労働科学研究所が産声を上げます。
 労研の初代所長だった暉峻義等さんは、大原社研の一員として医学的労働研究部門を担当していました。この暉峻さんが、大原の依頼で倉敷紡績万寿工場内に新しく専門研究所を創設し、生理学、心理学、医学、衛生学等の方法によって労働に関する基礎的な研究を行うことになりました。

 こうして、労研が誕生したわけです。「労働科学」というのは、暉峻の命名によるもので、医学と心理学を主要な方法とする労働及び生活に関する総合的研究の呼称だそうです。
 大原社会問題研究所は2年前の2009年に創立90周年を迎えました。その2年後に設立された労研も、今年、めでたく創立90周年を迎える運びになったというわけです。
 おめでとうございます。この場を借りて、お祝いを述べさせていただきます。

 当初、倉敷紡績の付属専門研究所として出発した労研は、1937年に日本学術振興会に寄託され、大原孫三郎と倉敷紡績の庇護を離れました。名称も、財団法人日本労働科学研究所と変更されています。
 大原社会問題研究所と同様に労研も、戦前の厳しい時代から今日にいたるまで、90年という長きにわたって働く人々の「安全・安心」と働きやすい職場環境の実現に向けて調査・研究してきたわけです。今日では当たり前となっているこのような調査・研究も、戦前の日本社会では厳しい目にさらされ、多くの困難に直面したにちがいありません。
 戦時下の厳しい時代を生き延びた労研は、戦後の1945年に文部省所管の財団法人労働科学研究所として再出発することになります。研究所は1971年まで東京都世田谷にありましたが、現在は神奈川県川崎市宮前区菅生にあります。

 さて、この日の「創立90周年記念特別企画」のプログラムは、第1部が「研究部プレゼンテーション」で、第2部が「大原ネットワーク・シンポジウム」です。私は第2部に、報告者の一人として出席しました。
 ここで「大原ネットワーク」というのは、大原孫三郎によって設立された公益機関(大原美術館、岡山大学付属資源植物科学研究所、倉敷中央病院、法政大学大原社会問題研究所、労働科学研究所)のゆるやかな結びつきのことです。90年ほども前に誕生したこれらの機関は、驚くことに、今も立派に存続し、活動しています。
 大原孫三郎は「ワシの眼は10年先が見える」というのが口癖だったそうで、城山三郎はこの言葉を大原孫三郎の伝記の表題にしました。その大原が設立した各種の公益機関が今もなおこのように精力的に活動しているわけですから、大原には10年どころか100年先まで見通す眼(先見性)があったということになるかもしれません。

 私も、その機関の一つを預かっている立場にあります。今更ながら、責任の重さを自覚させられた一日でもありました。

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