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12月5日(月) 福島第1原発事故と脱原発社会に向けての政治の責任 [論攷]

〔以下の論攷は、立教大学で開催された第16回東京科学シンポジウムの予稿集に掲載されたもので、昨日の私の報告の概要です〕

 福島第1原発事故は、日本が経験した第4の核被害であった。ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマという形で、人類史上まれに見る核被害を被った日本の科学者や政治家は、その教訓を明らかにする責務があり、それを踏まえて新しい社会への構想を示すのが政治の責任である。

Ⅰ。「原発震災」後に明らかになったこと
(1)判明してきた原発事故の規模
 福島第1原発の事故はメルト・ダウンとメルト・スルーを引き起こし、地下水が汚染され海に流出する危険性が生じた。その原因は、大地震に伴う巨大津波とされているが、大きな揺れによって配管などが損傷した可能性も大きい。
 そもそも、津波に対する脆弱性もあってはならないものだった。「原子炉立地審査指針」では「大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと」を前提としており、大津波が襲うような場所に立地できないはずだ。
 過酷事故における電源喪失の危険性も想定されておらず、暴走への備えはなされていなかった。原子炉の冷温停止に向けては長期にわたる対策が必要で、その間、放射能の放出は続くことになる。
(2)放射能被害の大きさと影響
 当初、レベル5とされていた事故の規模はレベル7に引き上げられた。起こるはずのなかったチェルノブイリ原発事故と同規模だが、事故を起こした原子炉が4機にもなった点で、チェルノブイリを上回っている。
 事故の結果、10万人が故郷を追われて避難を余儀なくされ、遠隔地でも高濃度に汚染されたホットスポットが出現した。稲藁の汚染や牛肉の出荷停止など、農業に対して絶大な脅威を及ぼした。
 「風評被害」も拡大し、子どもへの差別、野菜の販売不振、中古車や日本製品の輸入規制などまで生じた。福島の子供の45%が甲状腺被ばくと診断され、健康被害は将来にわたって拡大し、原発周辺地域への長期立ち入り禁止によって故郷が失われた。
(3)「原子力村」の実態-六角形(政・官・業・学・報・司)の利益共同体
 原発推進によって形成された利益共同体=「原子力村」の中核は政官財(業)であるが、これに学者や報道を加えて「ペンタゴン(5角形)」と言われるようになった。これに、司法も加えたい。
  「原子力村」は利権を介在した癒着を特徴とし、北海道知事の資金管理団体会長は元北電会長、自民党県議77人が東北電力の役員として年200万円を受領、経産省原子力安全・保安院の歴代院長6人のうちの5人が資源エネルギー庁に在籍(東京8/19)等の事実が明らかになっている。九電の「やらせメール事件」も、古川佐賀県知事と資源エネルギー庁の担当者による「示唆」が発端だった。
 電源3法交付金・固定資産税などの「原発マネー」は66年以降、2.5兆円(毎日8/19)にも上る。これは電気料金として徴収されるため、原発は容易に利権を生むシステムとなった。こうして、利権と「原子力村」を維持するために原発を推進するという転倒した構図が形成されていく。

Ⅱ。「原発ゼロ」をめざして
(1)「安全神話」の崩壊と「地震付き原発」の危険性
 人間のやることに「絶対」はあり得ない。今回の事故で「安全神話」は崩れ、原発は危険でダーティー、「金食い虫」であることが明らかとなった。「国策民営」による原発の推進、核兵器開発の潜在的能力の保持という目論見も誤りだった。
 日本は環太平洋地震帯の上にあり90年代から地殻変動の活動期に入っている。地震の少ない東海岸に立地する米国や古い地層が大半のフランスとは違う。激しい揺れによる直接的な被害、巨大津波の脅威、地盤の隆起・陥没・液状化の可能性は否定できず、日本の原発は豆腐の上にあるようなものだ。
(2)明らかになった限界と制約
 第1に、技術的制約がある。今回の事故が起きなくても、「川上」と「川下」での放射能汚染、使用済み核燃料の処分、取り出したプルトニウムの活用、冷却した温排水による直接的な海水温の上昇などの問題がある。
 第2に、コスト上の制約がある。国策による支援がなければ成り立たず、いったん事故が起きれば莫大なコストがかかる。これらのコストは国が税金として電力会社に負担させ、消費者に転嫁するというかたちで電気料金に上乗せされてきた。国の支援なしでは原発はペイしない。原発から撤退すれば、電気料金は下がるだろう。
 第3に、政治的な面での制約も強まっている。事故被害の大きさを知った国民は新増設を許さないし許してはならない。さまざまな反対運動や裁判もおこる。もはや原発は安全でないことが実証されたから、裁判官はこれまでのようにゴー・サインを出すわけにはいかないだろう。
 これらの制約からして、原発からの撤退は長期的には不可避。それを早めるには、大きな運動と世論の後押しが必要である。
(3)大きく変化した政策と世論
 世論は賛成から反対に転換し、原発は「時間をかけて削減すべきだ」74%という結果もある(毎日8/21)。エネルギー基本計画も見直しの方向であり、再生可能エネルギー法の成立、原子力安全庁の新設などの新たな動きもある。このような変化を生かして、できるだけ早く「原発ゼロ」へと転換することが必要だ。
 そのためには、総額原価方式などの料金体系、発電、送電、配電のあり方、10電力会社による地域独占、エネルギー特別会計の内容などを改革しなればならない。原発を食い物にする「原子力村」を解体し、原発を「儲からないビジネス」に変えれば電力会社は撤退するにちがいない。

Ⅲ。豊かな自然エネルギーの可能性
(1)日本は自然エネルギー大国
 日本の現状は、再生可能エネルギー9%(水力が8%)、原子力29%、火力62%(石炭25%、LNG29%、石油等8%)となっている。これからは、中小水力(1000kw以下)、地熱、太陽光(熱)発電、風力、潮力(波力)、バイオマス、雪氷熱利用、温度差熱の利用などによって、再生可能エネルギーの比率を高めなければならない。
 岩手県葛巻町では、風車15基、太陽光発電、牛200頭の糞尿からのメタンガスによる37kwの発電によって180%以上を自給している。海に囲まれ、森林や水資源が豊富で世界第3位の地熱大国である日本は、豊かな資源に恵まれた自然エネルギーの大国なのだ。
(2)将来の可能性-地域起こしと輸出産業
 原発は大規模集中型だが、自然エネルギーは小規模分散型産業である。地場産業としての中小エネルギー産業による雇用の創出を図り、地域起こしの手段として活用すべきだ。
 再生可能エネルギーにおける日本の技術力は高く、地熱発電は世界シェアの7割を占めている。発展途上国におけるエネルギー需要の高まりに対しては、原発ではなく環境技術を輸出するべきだ。
(3)脱原発社会と「第4の革命」に向けて
 福島の人々は大きな犠牲を強いられたが、それによって日本が救われなければ報われない。福島の人々の犠牲を無駄にせず、脱原発社会に向けて「第4の革命」を主導するのが政治の責任だ。
 第1の農業革命は定住化を進行させ、第2の産業革命は石炭・石油をエネルギーとし、第3の革命はIT(情報化)革命だった。これからの第4の革命は、環境革命・新産業革命だ。
 この方向に意識的に転換し、「FEC自給圏」の形成を目指すべきだ。Fは食料と農業(フード・ファーム)、Eは再生可能エネルギーと環境産業、Cはケアとコミュニティーである。これらの地域内自給による循環型システムを構築し、持続可能な社会への転換を実現するのが政治の役割ではないだろうか。

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