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1月18日(水) 今の情勢をどう読み、どう行動するか(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、昨年の9月に秋保温泉で開かれた全農協労連全国労働組合セミナーでの講演です。『労農のなかま』No.533、2011年11月号、に掲載されました。4回に分けてアップします。〕


Ⅱ 東日本大震災から何を学ぶか

 (1)東日本大震災は「天災」だったのか

 民主党はこのような弱点を抱えた政党ですが、これから取り組まなければならない大きな問題を抱えています。それは、政治任せにしないで、われわれ自身が取り組まなければならない問題でもあります。いうまでもなく、東日本大震災に対する対応であり、震災被害からの復旧・復興という課題です。
 まず、この東日本大震災による被災は、果たして「天災」だったのかということです。震災は「天災」で、原発事故は「人災」だという意見がほとんどでしょう。原発事故はたしかに「人災」です。原発がなければ事故は起こらなかったわけですし、放射能汚染も生じなかったわけですから。
 地震はどうでしょうか。大地震そのものや大津波が発生したことは、たしかに天災です。その天災の結果として、1万5000人の人が亡くなり、今もって約4000人が行方不明になっています。しかし、この人々すべてが天災によって命を奪われたのでしょうか。
 亡くなった人のなかには、もしかしたら助かったかもしれない人々が沢山含まれています。事前に防災のための手だてが尽くされていれば助かった人たちもいたはずです。人手不足で救助が間に合わず、救うことができなかった命もあったでしょう。
 このような防災対策の不備や救援の遅れは人災です。天災の被害を人災によって拡大したのではないでしょうか。構造改革、三位一体改革、分権改革などで、すでに大震災前に東北地方が疲弊していたからです。
 「平成の大合併」によって小自治体の周縁化と切り捨てが行なわれたため、行政の手が隅々まで回らなくなりました。小さくても自治体であれば、それぞれ町役場や村役場があり、そこに行政組織があったはずです。ところが「平成の大合併」で、それらがなくなってしまいました。出張所などになって、コミュニティの中心部が消えてしまったのです。
 そして人員が削減され、行政のシステムや体制が弱体化してしまいました。公務員や教員が削減・非正規化され、外部委託が進められて行政対応や救援態勢の弱体化をもたらしました。医療・介護・福祉の切り捨ても行なわれ、それらに携わる人も削られました。『日経新聞』は「保健師応援足りない」「医師が不足している」と報じていますが、いったい誰が足りなくしたのでしょうか。それは、ぎりぎりまで行政の「スリム化」を図ってきた構造改革の結果ではありませんか。
 災害対策のために公務員が被災地に応援に行きました。しかし、自分の自治体でも人手が足りないのですから、長くはいられません。やっと、救援活動に慣れた頃に帰らなければならない。こうして、行政の対応は後手後手にまわってしまいました。構造改革や平成の大合併を行なって地方の疲弊を招いた小泉元首相の責任はきわめて大きいといわなければなりません。
 天災は防げませんが、人災は防げます。どのような天災であっても、被害を防ぎその規模を小さくすることはできるのです。地震や津波は、日本に住んでいる限り宿命のようなものですが、政治や行政が的確に対応できれば、その被害の大きさを減らすことができます。今回は、逆に増やす結果になってしまったのが残念でなりません。

 (2)構造改革型復興ではなく被災者の生活再建を最優先した新福祉国家型復興を

 震災からの復興について、先ず自らの努力が大切だという自助論によって公的責任を曖昧にする論調があります。それはきわめて罪深いものです。現在進められている特区構想、農地や漁港の集約化も非常に危険です。今がチャンスだということで、勝手に上から描いたビジョンを地域に押しつけることは極力避けなければなりません。
 被災者の要求や都合を最優先する。コミュニティの維持・再建、生産手段の取得による生業の回復を実現することが何よりも重要です。屋根があって雨露がしのげることは、最低限の保障にすぎません。その水準にとどまっていてはならないというのが、憲法25条の要請です。
 憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活」の保障を定めています。これをきちんと踏まえた新福祉国家型の復旧・復興が考えられなければなりません。加えて、生きていくためには生産手段が必要です。それがその人の責任でなく失われた場合には、政治や行政が補填するべきです。また、生きていくためには収入も必要ですから、働く場を作り出していかなければなりません。そのために地方自治体が全面的に下支えし、国がそれを支援することが必要です。
 そのために、国は復旧・復興の基本計画を早く提示するべきです。ぐずぐずしていると、みんな生きていかなければならないのですから、各自で勝手に再建を始めるでしょう。それでは収拾がつかなくなってしまいます。1日も早く、当面どうするかということとともに将来構想を踏まえた基本計画を立てて、そのための財政支出を保障するべきでしょう。
 財政支出で問題になっているのが復興増税ですが、消費税の引き上げはやらないと野田首相は言っています。なぜかというと、社会保障財源のために取っておきたいからです。復興増税は、企業増税と所得税でやろうとしています。
 所得増税については、累進税率を高めて高所得者、金持ちから取るべきだと思います。企業増税は5%の減税と抱き合わせですから、実質的には減税になります。これではだめです。企業には大企業を中心に257兆円の内部留保があります。これにきちんと課税しなければなりません。増税の基本は、あるところから取るということです。
 ヨーロッパ、特にドイツでは50人の資産家が「課税はわれわれからしろ」という運動をしています。彼らは頭がいい。貧しい人から税金を取ると、使える金が減って物を買わなくなります。それでは物が売れず、デフレに陥ります。今の状況がこれです。デフレで景気が悪くなれば、企業は利益を上げにくくなって株は下がりますから、株を持っている金持ちは困るわけです。
 逆に、貧乏人から税金を取らなければ物が売れて景気がよくなり、企業業績が上がって株が上がる。金持ちの資産も増えます。ところが、日本の金持ちは頭が悪い。そんなことは考えていません。社会に貢献しつつ自分の資産も増やすという論理は持ち合わせていません。
 野田さんは首相になってすぐに経団連に話を聞きにいっていますが、経団連は市場原理主義で日本の経済・産業をずたずたにしてきた張本人です。経済運営を失敗した人たちに意見を聞いて、これからうまくいくわけがありません。聞く相手を間違っています。話が聞きたかったら私のところに来なさい(笑い)、というのは冗談です。

 (3)災害多発地域にある日本は「防災国家」をめざすべき

 日本はプレートの境界が4つもぶつかっているところで、多くの活断層が存在しています。『毎日新聞』によれば、大地震の発生が懸念されるのは日本だけではないそうです。「頻発する大地震 地球全体が警戒期―東海・東南海・南海3連動 足音高まる首都直下」という記事が出ています。
 原発の立地指針というものがありますが、過去において過酷事故(シビア・アクシデント)がないこと、将来も考えられないことが、原発を立地する条件とされています。日本には、そのような場所はありません。立地指針を厳密に守るなら、日本には原発をつくることができません。
 地震だけでなく、日本は災害の絶えない国です。冬は雪害、梅雨時は集中豪雨や洪水、土砂崩れ、夏・秋は台風、秋雨。これらの災害が毎年のように繰り返されます。これにどう対処するかということこそ、政治が考えなければならない最大の問題です。
 憲法9条がそもそも含意していたのは、こういう国においては軍事的安全保障よりも災害対策を重視すべきだということです。非軍事・非武装による「レスキュー国家」をつくることこそが、憲法が指し示していた道だったのです。
 ところが歴代の自民党政権は、その道を歩まずに自衛隊をつくってしまいました。しかし、自衛するべきは侵略よりも災害なのです。防衛省を防災省に変え、自衛隊(定員27万人、充足数24万人)を改組し、本務を災害対策のための救助活動にするべきです。そして副次的任務を軍事にすればいいのです。
 今回の災害では自衛隊員が10万人出動しました。しかし、その時にも反対意見があったのです。防衛の空白を生む、北朝鮮が攻めてきたら大変だというわけです。攻めるならたしかに絶好のチャンスだったでしょう。しかし、攻めてなど来ませんでした。逆に、北朝鮮政府は日本に救援資金として10万ドル、金正日総書記は50万ドルを送ってきました。これについてはほとんど報道されていません。これも大きな問題です。


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