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1月20日(金) 今の情勢をどう読み、どう行動するか(その4) [論攷]

〔以下の論攷は、昨年の9月に秋保温泉で開かれた全農協労連全国労働組合セミナーでの講演です。『労農のなかま』No.533、2011年11月号、に掲載されました。4回に分けてアップします。〕

Ⅳ 労働組合の任務と役割

 (1)人間らしい働き方(ディーセントワーク)を実現するための三つの課題

 以上に述べたことを前提に、今日における労働組合の任務と役割について、簡単に触れておきましょう。まず、人間らしい働き方(ディーセントワーク)を実現するために、労働組合は次のような3つの課題に取り組まなければなりません。

 ①普通に働けば普通の生活を送れるだけの収入が得られること
 日本の労働者の働き方で、EUなどと比べて最もおかしなことは働いているのに食えない、生活できないということです。就職のための特別の取り組みを「就活」と言うのと同じように、最近では、「生活」とは生きるための特別の取り組みのことだという意見さえ出ています。特別の努力をしなければ生きることさえ難しい世の中になってきたということでしょうか。
 外国から来る研究者に質問されて困るのは、「働いているのに、どうして生活できないのか」ということです。「生活するために、働いているのではないか」と。生活できない理由は、はっきりしています。給料が安すぎるからです。最低賃金(最賃)が生活保護費よりも低いところがあるくらいですから。今年の最賃は時給737円(全国加重平均)に引き上げられましたが、引き上げ率は鈍化しました。これはもっと引き上げられなければなりません。1000円が目標です。
 失業率で日本は外国に比べて低い数字になっていますが、働いていても生活できない劣悪な労働についている人が多いからです。非正規労働者の74%が年収200万円以下ですから。外国の場合は、働いていなくても失業手当や雇用保険などで、それなりに生活できるようになっています。働いても食えない日本と働かなくても食えるEUという違いがあります。大事なことは、失業率などのうわべの数字が改善されることではありません。その国の国民が、どれだけきちんとした人間らしい労働と生活ができるかということです。

 ②働く意思と能力があれば誰にでも働く機会が保障されること
 現代の社会では働き方が多様化していることは事実ですし、いろいろな働き方ができるということは大切なことです。朝から夕方までの決まった時間より、短い時間で働きたいという人もいるでしょう。しかし、大事なことは、たとえ働き方は様々でも働くということ自体はきちんと保障されなければならないということです。
 働く意思と意欲のある全ての人々に働く機会が提供され、自らの意思に反してその機会が奪われてはなりません。また、健康状態などの何らかの事情によって仕事に就かない期間があっても、その間も生活できるようにしなければなりません。労働力は生きた人間の中にあるのですから、次に働く機会を得たときに、きちんと働けるように普通の生活が保障されなければならないのは当たり前のことです。

 ③働く人の健康を破壊せず家庭生活を阻害しない適正な労働時間への短縮 
 労働時間の問題も重要です。人間的な暮らし、生物としての生存を脅かすような、家庭を破壊するような働き方はもってのほかです。「過労死」や「過労自殺」という苛酷な働き方がありますが、これも外国人には理解できないようです。「どうして死ぬまで働き続けるのですか。人は生きるために働いているのではありませんか」と聞かれます。当然の疑問でしょう。
 もう一つの問題は「サービス残業」です。その本質は不払い労働です。何もすすんで「サービス」しているわけではありません。働いて対価をもらうのが労働ですが、サービス残業は、働いているのに対価をもらうことができないという理不尽な働き方です。
 これらの問題を解決して、人間らしい働き方(ディーセントワーク)を実現するためには、労働組合がもっと力を持たなければなりません。職場のあり方や働き方を、人間にふさわしい適切なものとなるように規制し、基本的な労働基準を実現していくことが必要です。
 そのためには、労働基準法を改正して三六協定に労働時間の上限規制をきちんと入れることです。たとえ労使で協定を結んでも、これ以上の時間は働かせてはならないという上限を定めなければなりません。EUでは、今日の仕事のあと明日の仕事を始めるまでに11時間の休息時間を取らなければならないことになっています。このような休息時間による規制を採り入れることも有効でしょう。

 (2)脱原発に向けてのエネルギー転換を主導せよ

 次に、脱原発に向けての労働組合の役割です。連合は昨年8月に、「ベストミックス論」に立って原発推進へと転換しました。自治労は原発に反対してきましたが、やはり「ベストミックス論」を認めて強力な反対をしなかったため、連合全体としては推進論でまとまってしまいました。
 ところが、その半年後の3月に、今度の福島第1原発での事故が起きました。連合は慌てて推進論を「凍結」しました。10月に大会がありますが、どんな結論になるか注目されています。自治労はすでに完全に反対論に復帰しました。電力総連は推進論の立場です。鉄鋼や造船関係の労働組合である基幹労連も推進論です。電機連合も推進論だったのですが、原発から自然エネルギーに乗り換えつつある企業も出てきていますので微妙です。
 このように、連合系の組合は企業の方針に強く影響されています。原発推進方針を凍結するだけでなく、労働組合はむしろエネルギー転換を主導していくよう企業や社会に働きかけてほしいと思います。
 電力会社の労働組合で、原発で働く労働者を組織している電力総連が原発推進論を採ること自体、本当はおかしいのです。組合員の中にも、放射能に汚染されるような危ない作業をさせられている人が大勢いるのですから。組合員を守るという立場であれば、危険な原発労働からの撤退を要求するべきでしょう。
ところが、電力総連は危険な被ばく作業を組合員にはさせないでほしいという要求をしています。非組合員の下請け会社の労働者にやらせろというわけです。そういう人たちは被ばくしてもかまわないというのでしょうか。働くものの連帯感などとは無縁のとんでもない対応です。
 「原発ジプシー」といわれる下請け労働者は、原発で1日働くと1万円稼げます。本当は、電力会社からは7万円ほど出ているのですが、下請け構造が何層にもなっているために現場の労働者には1万円しか届きません。
 原発は、このような被ばく労働を前提にして成り立っているシステムです。このような非人間的な労働を前提にしたシステムを残してはなりません。このようなことは、電力総連こそが先頭に立って言うべきものでしょう。労働者を守るのは、労働組合の最低限の役割なのですから。

 (3)労働運動の活性化のために――労働と生活・社会を結びつけた運動の展開

 最近、社会運動的労働運動(社会運動ユニオニズム)といわれる新しい運動が注目されています。職場の中だけでなく、それぞれの地域社会での関連する諸団体と手を組んで、連携しながら社会的なレベルでの運動に取り組む。労働運動も地域づくり・地域興しと結びつけて展開することが必要ではないかという考え方です。
 労働組合は反貧困運動やさまざまなNPO団体、社会運動団体、民商や生協、中小企業家同友会などの民主団体とも一緒に運動するということです。これからは、反原発運動でも多様な運動団体と提携することになるでしょう。原発をストップさせるだけでなく、新しい産業革命に向けた再生可能なエネルギー・ビジネスを共同の力でぜひ事業化してもらいたいと思います。
 非正規労働者や青年に対する働きかけを強めることも、大変重要になっています。また、労働運動についてのステレオタイプ化された固定的イメージを打破し、新たな情報通信手段を活用することが必要です。ブログやツイッター、携帯電話、ウェブマガジン、ユーチューブなどを大いに活用して下さい。反原発・脱原発の集会やデモにも、ツイッターのよびかけなどで若者たちが集まってきています。
 地域起こしという点でも、労働組合は新たな役割を果たすべきです。第1次産業(生産)、第2次産業(加工)、第3次産業(販売)を結合して、第6次産業というものが登場しています。私は販売に観光事業も加えて考えたいと思います。
 そのカギになるのは情報通信手段による情報の発信です。ものを作り、その場所で加工し、販売するのが第6次産業化ですが、インターネットを使えば地域的制約を打破して全世界を相手にできます。これもまた、新産業革命の一つの形ではないでしょうか。
 労働組合は「なかまのいる幸せ」を感じられる場所です。一方で、いまの日本は「無縁社会」と言われています。みんながバラバラな存在になって、隣の家の人が死んでいても気づかない社会になっています。
 こういう世の中にあっても、なかまのことを気遣い、お互いに悩みを打ち明けたり相談したりできる人がいる。そのことだけでも幸せだと言うべきでしょう。今のような社会では、労働組合は存在するだけでも価値があります。そのうえ、労働条件の向上や賃金を引き上げることで成果を上げればもっといいわけです。
 今日のようにみなさんが集まって、話し合ったり相談し合ったりすることは、いまは大変少なくなっていますが、それだけに極めて大事になっています。人と人との絆、支え合うことのできるネットワークを提供できる組織としての労働組合の存在価値を、もう一度見直してみる必要があると思います。

◇むすび

 福島第一原発事故の衝撃を受けて、ドイツ、スイス、イタリアは方向を転換しました。すでに脱原発を決めています。しかし、福島はどこの国でしょうか。この日本ではありませんか!福島があるこの日本でこそ、脱原発・反原発の国家モデルをつくらなければならないと思います。
 ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマという核による惨禍を4度も体験したことで、私たち日本人は反核・反原発の国家を実現する歴史的任務を帯びることになりました。われわれ日本人は、奇しくも4度にわたる核の被害を受けることになったわけですが、その結果、核の恐ろしさや核なき世界の必要性を世界に訴えるべき歴史的役割を担うことになったのです。
 東日本大震災で多大な犠牲が発生しましたが、この機会に、脱原発による持続可能な社会をめざして、災害に強い「レスキュー国家」という新しい日本に生まれ変わることができれば、多くの犠牲者に報いることができると思います。また、そういう形で報いなければ、これらの多大な犠牲者は浮かばれません。
 そのような転換を生み出すことこそ、皆さんの重要な努めなのです。みなさんがその責務を果たしていく先頭に立たれることを期待し、私の話を終わらせていただきます。


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