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2月1日(水) 今、なぜ労働組合か―新自由主義改革に抗する教職員組合の役割 [論攷]

〔以下の論攷は、『クレスコ』No.131、2012年2月号、に掲載されたものです。〕

息を吹き返した新自由主義

 日本はどうしてこんなにひどくなってしまったんだ、と嘆いている方は多いにちがいない。一方で、非正規労働者が増えて、年収200万円に足りない人が5年連続で1000万人を越え、生活保護受給者が過去最高を更新した。他方で、億万長者が10年前の3倍以上になっているという指摘もあり、企業は内部留保を257兆円も貯め込んでいる。
 これを生み出した原因は、小泉元首相が推進した新自由主義改革だった。そして、対抗勢力が、これを阻むだけの力を十分に発揮できなかったからだ。とりわけ、働く現場で新自由主義改革に抵抗すべき労働組合の責任には大きなものがあった。
 グローバリズムの下で新自由主義改革は猛威をふるい、リーマンショック後の金融危機やEUの信用不安を生み出してきた。日本でも東日本大震災や原発の過酷事故を利用した「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン)によって新自由主義は息を吹き返し、野田政権は構造改革路線を引き継ごうとしている。
 このような状況の下で、新自由主義改革に抗すべき労働組合の役割は、ますます大きなものになっている。労働組合には、働く人々の団体としての役割と職能的な団体としての役割があり、教育の現場で働く教職員組合は、教育の内容とあり方に対して責任を負わなければならない。

日本の困難を解決するための役割

 今日の日本の社会問題をもたらしている「諸悪の根源」は、労働現場での働き方(働かせ方)にある。その典型は「少子高齢化」だと言える。高齢者の増大は、長生きの証拠であって問題とするには当たらないが、出生数の減少は大きな問題である。
 その原因は、子どもを「生まない」ことではなく、「生めない」ことにある。晩産化や無産化の背景には、雇用不安、非正規化、低賃金、長時間労働、過密労働などの問題が横たわっている。子どもを産んで育てられるだけの条件が揃っていないために、出産をためらう例が多い。根本的な原因は劣悪な賃金・労働条件にある。
 また、不健康社会の到来の背後にも、同様の問題が横たわっている。働く人々の精神をむしばむメンタルヘルス不全の背景には、長時間にわたる過密な労働や人員不足、成果・業績主義の導入などがある。
 その結果、日本の人口は減り始め、社会は崩壊に向かっている。総人口は2005年に戦後初めて自然減となった。15歳から64歳までの生産年齢人口は1995年をピークとし、その翌年から減少している。今後、人口の自然減と生産年齢人口の減少は、社会の縮小と活力の低下をもたらし、将来の負担増を招くことになるだろう。
 このような問題を解決するために、労働組合は人間らしい労働と生活の実現をめざさなければならない。ILOが目標としている「ディーセント・ワーク」の実現である。具体的には、以下の4つの課題に取り組むことが必要だろう。
 第1に、雇用の維持である。現代社会で雇用形態が多様化することは避けられないが、それが雇用の切断を生み出すようなことがあってはならない。また、正規労働と非正規労働のような雇用形態による処遇の違いも、平等なものへと是正される必要があろう。誰にでも働く機会が保障され、どのような働き方でも処遇が公平にされなければならない。
 第2に、賃金の引き上げである。普通に働いても生活できない「ワーキングプア」は異常であり、普通に働けば普通の生活を送れるだけの収入が得られるようにすべきである。早急に1000円の最低賃金を実現し、賃金の男女間格差、正規と非正規労働者との格差を是正しなければならない。
 第3に、労働時間の短縮である。働く人の健康を破壊せず家庭生活を阻害しない適正な労働時間にすることは、極めて重要な課題である。労働基準監督署の監督と産業医の権限を強め、労働基準法を改正して36協定に労働時間の上限を設けるなどの法的規制を強化し、不払い(サービス)残業を一掃することである。
 第4に、社会保障の充実である。日本的雇用慣行が崩れ、セーフティーネットの担い手は企業から行政へと変化した。失業給付を受けていない失業者は210万人で、全体の77%にものぼり(2009年ILOレポート)、生活保護受給者は205万人で最多だが、補足率は18%に過ぎないという現状を、改善しなければならない。
 労働組合は本来、労働者のためのものであった。しかし、働く人々が増え、働き方が社会問題を生み出している今日において、労働組合が果たすべき役割は、国民的なレベルに拡大してきている。そのために、新自由主義に抗して新福祉国家を実現することは、現代の労働組合にとって国民的な課題となっていることを忘れてはならない。

教育分野での労働組合としての役割

 自民党と文部省(当時)の教職員組合への攻撃によって、組合加入率は低下しつづけ、1960年以前に8割を超えていた日教組の組織率は27.1%となった。全教の組織率は6%で、これらを含めた教職員団体全体の加入率は42.3%である(文部科学省調査、2009年10月1日現在)。
 つまり、教職員の半分以上は労働組合に入っていない。これでどうして、労働組合の意義や役割を子供たちに教えることができるのだろうか。自分自身が、そのような団体に入っていないというのに……。
 そればかりではない。教育の現場では、先生への管理強化をねらって校長などの権限を強め、上意下達の体制を採り入れてきた。その結果、職員会議は形骸化し、民主的な討論の場ではなくなり、必要事項を伝達する場に過ぎなくなった。これでどうして、民主主義や討論の重要性を子供たちに教えることができるのだろうか。自分自身が、そのような場を保障されていないというのに……。
 政治は、教育に介入して意のままにしようとし、文科省は教科書検定を通じて教育内容を歪め、ついには日本の侵略戦争を美化する歴史教科書も現れ、その採択率が高まっている。「日の丸・君が代」を強制しないという約束は反故にされ、どのような教育がなされているかよりも、「君が代」斉唱で起立しているかどうかのほうが大きな問題とされるようになった。「君が代」を歌っているときに起立しなかったという理由で処分され、再雇用を拒まれた先生も出てきた。
 このような中で、先生は萎縮し、苦悩し、精神を病み、やる気を失い、情熱をもって子どもたちに接することが難しくなってきた。先生の危機は教育の危機を意味する。「失われた20年」とともに、日本の教育も失われつつある。
 その結果、日本の教育は大きく歪んでしまった。時代の要請に反する人間類型が続々と生み出されてきている。政治と政治家の劣化をもたらしている背景の一つがここにある。それは、このような政治家を選ぶ有権者が増えている要因の一つでもあるだろう。
 こうして、自主性をもたず自分の頭で考えない、たとえ理不尽な指示や要求でも従う、使いやすい「指示待ち」人間が増えてきた。ビジネス社会では、創造力豊かな「問題解決型」のビジネスマンが求められているというのに……。
 また、自分の意見や主体性をもたず、政治への関わりを避けようとする消極的な人間も増えてきた。現代社会では、政治への発言力を持った民主的な人格が求められているというのに……。
 さらに、日本の戦争責任や植民地支配の過ちを認めず、周辺諸国を貶み、民族的な差別に鈍感な「愛国者」が増えてきた。国際社会では、アジアの周辺諸国との友好を前提に、マイノリティに共感して民族の共生を尊重する地球市民こそが求められているというのに……。
 教育は国家の基礎であるといわれる。その教育が、このような形で破壊され、「期待されざる人間像」とでも言うべき子どもたちが輩出するようになってきたところに、日本がこのようにひどい状況になってしまった原因の一つがあるのではないだろうか。
 日本社会は、人口減によって量的に縮小しつつあるだけではない。質的にも劣化しつつあると言うべきだろう。それを阻むべき教職員組合の役割の重要性は、どれほど強調してもし過ぎることはない。

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