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4月17日(火) なぜ急ぐ、大飯原発の再稼働 [原発]

 「オーイ、大丈夫か」と言いたくなります。大飯原発3、4号機の再稼働をめぐる動きです。

 どうしてこんなに急ぐのでしょうか。枝野経済産業相は脱原発を進めたいのでしょうか、それとも再稼働を急ぎたいのでしょうか。
 枝野さんは揺れています。悪く言えば、2枚舌を使っています。どちらが得になるか、首相への道を開いてくれるのか、計りかねているのでしょう。
 一方には、再稼働反対55%(『朝日新聞』調査)という世論があり、他方には、電力危機を回避せよという財界からの圧力があります。この世論と財界の間で判断に迷っているために、発言がブレてしまうのです。

 枝野さんは15日の講演で、北海道電力泊原発3号機が5月5日に定期検査で運転を止めると、「5月6日から(国内で稼働する原発は)一瞬ゼロになる」と述べました。大飯原発の再稼働が間に合わなくなることを認めたようです。
 それとも、稼働している原発がゼロになったら大変だから、たとえ「ゼロ」になっても、「一瞬」のうちに再稼働すべきだと言いたかったのでしょうか。そうしなかったら、大変なことになると。
 この場合の「大変」には、二つの意味があります。一つは、供給不足になって電力危機が生じたら大変だという意味であり、もう一つは、供給が減っても電力危機にならなかったら大変だという意味です。前者は再稼働に向けての脅しです。後者はそうなったら再稼働できなくなってしまうかもしれないという危機感です。

 このような脅しの根拠になっているのが、関電側が示した今年の夏の電力需給の見通しです。関電は、①原発が再稼動せず、2010年の夏のような猛暑に襲われると、ピーク需要に対し19.6%の電力が不足する、②11年並の暑さで節電しても7.6%の不足する、③3火力発電所がトラブルで停止すると最大23.3%が不足するというものです。
 しかし、このような数字には、需要側の節電努力が考慮されていません。昨年夏、東京では供給能力の90%を越えた日は1日しかありませんでしたが、それは需要側が節電したからです。
 国民の生活スタイルは、震災前とは変わってきています。電気を自由に好きなだけ使えた時代との比較は無意味です。

 電力危機とは、最も需要が高まる夏の平日午後1~4時頃のピーク時に供給が追いつかなくなることを言います。そうなれば、家庭でブレーカーが落ちるように、一斉停電が生じます。
 家庭であれば、ブレーカーが落ちないように電気の使い方を工夫するはずです。夏の暑い盛りの真っ昼間に、冷房をガンガン効かせて、テレビを見ながらホットプレートで焼き肉をするようなことは避けるでしょう。
 別の日にするか、電力消費量の多いホットプレートを使わずに焼くか、テレビを消すか、何らかの工夫をすればブレーカーは落ちません。社会全体でこのような意識的な対応を行えば、ピーク時の電力使用量を減らして平準化することができます。

 政府が今やらなければならないことは、このような工夫を国民に呼びかけることでしょう。揚水発電や蓄電池によるピークシフト、電力会社間の融通、電力需給を自律的に調整するスマートグリッドの普及など、そのための手だてを尽くすことこそ緊急の課題なのです。
 しかし、それで電力需要のピークを乗り切られたら困るというのが、財界や原子力ムラの心配なのです。だから、政府も腰が引けて、この緊急課題に取り組むことができないのでしょう。
 与党民主党も、「脱原子力依存」に向けて政策転換を先導する形にはなっていません。仙谷政調会長代行など、「脱原発依存が実現するまで、真っ暗な中で生活を送るわけにはいかない」、あるいは「止めた原発を一切動かさないなら、日本は集団自殺するようなことになってしまう」と脅している始末です。

 原発だけが発電しているわけではありません。このような荒唐無稽な脅しで世論をミスリードするようなことはやめるべきです。
 このような根拠のない脅し発言を、あの仙石さんがやるとは情けない。人権派弁護士といえども、権力の座にすわるとどこまで腐ってしまうかを、象徴的に示すような事例ではないでしょうか。

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