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5月15日(火) ふる里・上越市での9条の会で講演してきた [旅]

 12日からふる里の新潟県上越市に行き、昨日帰ってきました。5月の連休に続いての帰省ですが、今回は上越市9条の会7周年記念の講演という仕事です。

 天気はまずまずでしたが、初日は予想以上に寒かったです。講演当日は暖かくなりましたが。
 2週間ぶりの実家では、姉が山菜づくしのご馳走で迎えてくれました。タケノコと自生椎茸の煮物、タケノコ汁、ワラビのお浸し、ウドのみそ漬けに地魚の煮付け、白バイやタイ、マグロなどの刺身、それにベビーホタテ貝の入ったサラダ、ブロッコリーとウインナーの炒め物など、食べきれないほどのご馳走です。
 姪や姉の孫なども集まって、賑やかな夕食となりました。これが楽しみで、この仕事を引き受けたようなものです。

 講演会当日は絶好の好天になりました。でも、主催者は浮かない顔をしています。
 今、田舎は田植えの真っ盛りで、天気が良すぎると集まりが悪くなると言うのです。心配していたとおり人出は今ひとつのようですが、それでも80人くらいは集まってくださったでしょうか。
 講演では、昨年の東日本大震災や原発事故を契機に参事便乗型改憲論とでも言うべき危険な動きが強まっていること、このようななかで憲法審査会や各党の改憲論などの動きも活発化し、9条の会の活動もあって一時は低下した改憲世論が再び強まりつつあること、このような改憲の動きの芽を摘むための「不断の努力」を行うことが憲法の要請であり、そのような理念や精神を現実の政治や日常の生活に活かすことこそ「活憲」であるということをお話ししました。
 7月には同じ新潟県の阿賀野市9条の会でも講演を頼まれています。おそらく、似たような話しをさせていただくことになるでしょう。

 講演の始まりに、開会の挨拶と講師の紹介ということで、私を紹介してくださったのは上越市9条の会の呼びかけ人の1人であった大金辰三先生でした。大金先生は私の中学時代の恩師で、3年生の時の生徒会の顧問です。
 中学校卒業以来、ずっと個人的にもお付き合いがあります。大金先生は私の人生を変えた大恩ある方で、この先生と出合うことがなければ、おそらく私が政治や社会に関心を持つことも、故郷を離れて研究者の道にはいることもなく、新潟の専業農家の長男として家を継いでいたことでしょう。
 先生はすでに84歳だそうですが、矍鑠とされていて、17年間もの長きにわたって市民向けの歴史講座を主宰されています。この先生に、今回、このような形でお世話になることに大きな感慨を覚えました。

会場では、高校時代の恩師である井浦信作先生にもお目にかかりました。高校時代の弁論部の顧問だった先生です。
 この先生にも色々な形でお世話になり、また大きな影響を受けました。塩浜町の下宿や結婚されてからの糸魚川の新居、五智のお宅などに伺ったことがあります。
 数年前に脳梗塞で倒れられ、今はリハビリ中だということで車いす姿でしたが、お話はできました。私の話を聞きたいと、奥様に車いすを押してもらってわざわざに来てくださったそうです。

 講演会の後には、簡単な打ち上げ(懇親会)がありましたが、その会場は、「ラ・ソネ」でした。ここは、本来は洋菓子屋というかケーキ屋なのに、蕎麦屋というかレストランもやっていて、そこのご主人は先輩の曽根一郎さんです。
 曽根さんとは、直江津高校の美術部で出会いました。彼が3年で、私が1年生の時です。東京の四谷三栄町で1年ほど一緒に暮らしたこともあり、私の兄貴のような存在です。奥さんとも、中学生の時からの知り合いで、毎回、帰省する度に顔を出し、コーヒーをご馳走になってきました。
 そこでも昔話に花が咲きましたが、意外な方が私の過去と結びついていたことが分かりました。途中からは友人達も加わり、場所を変えて2次会でも愉しい時間を過ごすことができました。

 大金先生と出会ったのは14歳の時ですから、それから47年。その翌年に曽根さんと知り合いましたから、46年ということになりましょうか。
 半世紀近いおつきあいのお2人に、今回、このような形でお世話になりました。ありがたいことです。
 講演という形で、長い付き合いのある先生や先輩にご恩返しできました。このような日が巡ってくるとは思いもよりませんでしたが、私としては感慨深く、本当に嬉しく思ったものです。

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