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6月21日(木) 選挙制度改革をめぐる動き(その2) [論攷]

〔この論攷は、『法と民主主義』2012年5月号(No.468)に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

三 現状―制度改革の膠着による違憲・違法状態

(1)制度見直しに向けての与野党協議
 最高裁の判決を受けて、選挙制度の見直しは避けて通れない課題となった。この際、現行制度を維持した上での定数是正ではなく、抜本的な制度改革を行うべきだとの気運も高まっていく。このようななかで、一一年一〇月一九日に衆議院選挙制度に関する各党協議会が始まった。この協議では、主に四つの案が提起された。
 第一は定数の不均衡を是正するために五つの小選挙区を減らすというもの(〇増五減案)で、主に自民党が主張した。第二はそれに加えて比例代表区の定員二〇〇議席のうち八〇議席を削減するという案(比例八〇議席削減案)で、民主党だけが提案した。第三は小選挙区比例代表連用制(連用制案)で、公明党が提起し、第四は比例代表制への抜本改革(比例代表制案)で、共産党などその他の政党によって主張されている。
 第一の〇増五減案については、自民党だけでなく、基本的には民主党も反対していないが、さし当たりの湖塗策に過ぎず、かえって抜本的な制度改正を送らせるものである。それに、最高裁判決が問題とした「一人別枠方式」の是正にも手が付けられない。確かに、この是正策によって、当面は一・七八九倍となって二倍以下という条件がクリアーできる。しかし、人口移動によって、いずれは再改定が必要になるだろう。
 加えて、小選挙区制がもたらした害悪の除去という点では、この改定は全く無意味である。小選挙区の数が五つ減るだけで、制度の基本的な枠組みは残り、したがって、それがもたらす害悪もまた残存することにならざるを得ない。

(2)消費増税のための比例定数大幅削減案への固執
 第二の比例八〇議席削減案については、民主党以外の全ての政党が反対している。それを打開するとして、四月二五日の与野党協議会で座長の樽床伸二民主党幹事長代行は新たな私案を示した。それは、小選挙区を〇増五減の二九五議席とし、比例代表区の一一ブロックを廃止して全国単位としたうえで七五削減、残る定数一〇五のうち三五を連用制とする内容である。自民・公明両党に配慮した折衷案だが、野党はつぎはぎだらけで難解だと反発し、膠着状況はなお打開できていない。
 この私案では、比例区の削減議席数は八〇から七五に減らされたが、比例区定数の大幅削減という基本に変更はない。もし、このような改定がなされれば、小選挙区の比率は、現状の六二・五%から七三・八%へと、減るどころか増大してしまう。
 小選挙区が占める割合が増えるということは、その害悪もまた減るのではなく増えることを意味する。一体、何のための改革なのかと問わざるを得ない。今回の選挙制度改革論議は、定数不均衡の是正だけでなく小選挙区制がもたらした害悪の除去をも目ざしていたのに、後者の目的が達成されないどころか逆行することになる。
 各党協議での合意を得たいのであれば、座長の樽床民主党幹事長代行は民主党以外が反対する比例定数の大幅削減案を撤回すればよい。そうすれば、抜本的な制度改革に向けた具体的な協議を進めることができる。しかし、民主党はそのような対応ができない。
 それは、マニフェストで公約したからというだけではない。消費増税のための「身を切る改革」では、これくらいしか実行できるものがないからである。つまり、消費増税のための「言い訳」として比例区定数の大幅削減が利用されようとしており、そのために譲歩できず膠着状態に陥ってしまったことになる。
 そのうえ、そもそも民主党は合意を得て改革を進めようとしているのかという問題もある。選挙制度を現状のままとすることで、解散・総選挙を先延ばししようとしているのではないかとの疑念が囁かれているからである。それが事実かどうかは不明だが、国民主権を制度的に保障すべき選挙制度の改革を、政局にからめた思惑や党略によって左右するようなことは、断じて許されるものではない。

四 論点―連用制、中選挙区制、比例代表制

(1)小選挙区比例代表連用制の導入論
 今回の論議でにわかに注目を集めるようになったのが、公明党が強く主張している連用制である。その仕組みは、整数に小選挙区での獲得議席を加えて比例代表区の得票を割るもので、小選挙区での獲得議席が多いほど、比例代表区の議席は少なくなる。樽床私案では、比例定数一〇五議席のうち三五議席について連用制を導入し、小選挙区で三五議席以上獲得した政党には適用しないとしていた。
 この連用制について、私はすでに二〇年近くも前に、拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』(労働旬報社、一九九三年)で取り上げて批判したことがある。政治改革論議の中で、この制度が政治改革推進協議会(民間政治臨調)によって提案され、当時の社会党や公明党はそれまで主張していた「小選挙区比例代表併用制」を引っ込めてこの連用制に乗り換えたからである。
 この時の私の批判点は、①小選挙区制と「比例代表制」の結合ではなく、「反比例代表制」との結合である、②比例代表部分で投じられた有権者の意思は制度によって大きく歪められてしまう、③国民の選択が歪められ、逆転することを前提にした制度では国民主権の原理を実現することはできない、というものであった(前掲書、一五八~一六四頁)。
 基本的には、このような見解に今も変更はない。少数政党に不利にならないという点では並立制よりマシだとは言えるが、制度のカラクリによって有権者の意思が歪められるという点で「正当に選挙された国会における代表者」(憲法前文)という憲法上の要請を満足させるものではない。連用制について、「憲法違反の疑いもある」との否定的な考えが示されるのはこのためである。

(2)中選挙区制の復活論
 かつての中選挙区制の復活論も少なくない。そのための議員連盟ができたことは、すでに紹介したとおりである。ただし、かつての中選挙区制は一選挙区三~五人で、例外として二人区と六人区が存在した。今日、復活が構想されているのは三人区のようである。
 中選挙区制についても、前掲の拙著でその適否を検討している(一八四~二〇五頁)。そこでは、奇数区では小選挙区制的機能が出るが、基本的には準比例代表制であるとして、①少数政党も完全には排除されない、②民意をそれなりに反映する、③議員と地域との結びつきを可能にするなどのプラス面と共に、定数の不均衡による一票の価値の不平等という問題点を指摘した。
 そして、「定数の抜本是正、効果的で強力な独自の腐敗防止策、各政党内部での候補者の事前審査制度の導入などの措置と組み合わせれば、たとえ中選挙区制の下であっても、民意に対応した清潔な議会政治を実現することは、十分に可能なことだ」と主張した。この主張についても、現時点で変更する必要は認められない。
 また、その後刊行した拙著『徹底検証 政治改革神話』(労働旬報社、一九九七年)で、「せっかく導入された比例代表制」だから「この経験を生かすべき」だとして、私は比例代表制を基本とした選挙制度への改革を提唱した。この立場も、基本的に変わりない。
 「選挙制度の抜本改革をめざす議員連盟」は、今国会中に中選挙区制復活のための法案を提出するとしている。選挙区の定員を何人とするかは不明だが、何人であっても人口移動によって定数是正の必要性が生ずる可能性は高く、中選挙区制に戻したとしても定数不均衡の問題を根本的に解消することは難しい。

(3)比例代表制への転換論
 このように、連用制の導入や中選挙区制の復活でもない抜本改革をめざすべきだというのが、小論の立場である。それは、「全国一区の比例代表制、一一ブロックをそのままにした比例代表制、都道府県別の比例代表制」など、比例代表を生かした新しい制度への前進でなければならない。
 この場合、選出母体が大きければ大きいほど「死票」は少なくなり、投票数と議席との相関も強くなる。したがって、最も民主的なのは全国一区の比例代表制である。
 比例代表への転換を主張する理由の第一は、もちろん民意の縮図を作るためであり、国民主権に基づく「正当に選挙された」国民の代表を議会に送り込むためである。もう一つの理由としては、定数の不均衡やその是正が不必要になるということも大きい。比例代表になれば、「一票の価値」の平等は自動的に保障されることになるからである。
 もちろん、これには小政党が分立し、連立政権になるとの強固な批判がある。しかし、中小政党の存在は選択肢の多様化をもたらし、その分立が国民の選択であれば、それを否定することは民意を無視することになる。また、すでに九三年以降、一つの政党だけによって政権が担われたことはなく、この日本でも連立政権は二〇年近い歴史を持っている。世界では単独政権こそが例外であり、連立政権が普通の姿なのである。このような批判は、日本の経験も世界の趨勢も知らない俗論にすぎない。

むすび―「政治改革神話」と改革論者の責任

 昨年の東電福島第一原発の過酷事故は、「安全神話」の過ちとそれを振りまいてきた原発推進論者やマスコミの責任を明瞭にした。同じように、小選挙区比例代表並立制の下で生じた政治の劣化と閉塞状況は、「政治改革神話」の過ちとそれを振りまいてきた推進論者やマスコミの責任を明らかにしている。
 もっとも、私は一五年前に刊行した前掲拙著『徹底検証 政治改革神話』において、福岡政行白鴎大教授、佐々木毅東大教授、堀江湛慶応大教授、内田健三東海大教授の名前を挙げて、すでにこのような責任追及を行っていた。マスコミについても、「『政治改革』の先送りは許されない」(一九九四年一月一四日付「社説」)、「『改革』実現へ活路を求めよ」(一月二二日付「社説」)、「妥協し『政治改革』を決着させよ」(一月二七日付「社説」)などと焚きつけていた『読売新聞』などの責任が追及されるべきだろう。
 もし、原発の推進論者やマスコミがかつての「安全神話」発言を反省しているのであれば、原発の廃止と新エネルギーの開発に向けて積極的な役割を果たさなければならない。同様に、もし、政治改革の推進論者やマスコミがかつての「政治改革神話」を反省するのであれば、河野洋平元衆議院議長のように、抜本的な選挙制度改革に向けて積極的な役割を果たすべきではないだろうか。
 政治には結果責任が伴うことは、ここで繰り返すまでもない。政治改革の失敗に対しても結果責任が問われるのは当然だろう。日本政治の「荒廃」をもたらした小選挙区制を廃止し、選挙制度の抜本的な改革による「復興」に着手できるかどうか――今こそ、全ての政党や政治家に、この点が問われているのである。

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