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8月2日(木) 戦後革新と増島宏先生 [挨拶]

〔これは、7月31日に開かれた「増島宏先生を偲ぶ会」での「文書発言」です。当日、会場で代読していただきました。〕

 本日の「増島宏先生を偲ぶ会」に当たり、高橋彦博先生から、増島先生の「戦後革新の評価」について発言して欲しいとの要請を受けました。所要のため東京におらず、「偲ぶ会」に出席できないこともあって一度はお断りしたのですが、その日の夜、増島先生が夢枕に現れ、叱られてしまいました。
 というわけで、「偲ぶ会」に当たって、一言ご挨拶申し上げることにいたしました。前回同様、文書発言となることをお許し下さい。

 さて、高橋先生から求められたテーマは、増島先生による「戦後革新の評価」というものでした。しかし、増島先生にとって「戦後革新」とは、「評価」の対象であるよりも、先生の学問的人生における目標であり、課題であったように思われます。というのは、戦後日本の政治と社会の革新的な変革のために、先生はその生涯をかけられたからです。
 恐らく最後のまとまった業績だと思われる『「戦後革新勢力」の源流』(大月書店、2007年)の序章「占領前期政治・社会運動の歴史的意義」において、先生は次のように書いておられます。

 これらの政治・社会運動のなかで新しい民主主義思想を身につけた新たな人間類型が生み出されていった。そこには、戦後の民主化に夢と希望を託し、理想を掲げて新生日本の建設を担おうとした人々がいた。運動は紆余曲折を避けられず、少なからぬ誤りも犯したが、新しい社会を作り出そうとする人々の熱情に偽りはなかったであろう。
 これは、社会変革に向けての運動における新たな主体形成を意味し、やがては「戦後革新勢力」を生み出す萌芽となるものであった。同時にそれは、新しい憲法の下で国民全体が主権者としての自覚を高め、訓練される過程にほかならなかったのである。(17頁)

 増島先生ご自身こそが、「新しい民主主義思想を身につけた新たな人間類型」の先駆であったと申せましょう。そして、先生は「戦後の民主化に夢と希望を託し、理想を掲げて新生日本の建設を担おう」とされました。とりわけ、若者への教育を通じて、「新しい憲法の下で……主権者としての自覚を高め、訓練」することをめざし、新しい民主主義思想を身につけた変革主体の形成に生涯を捧げられたのではないでしょうか。

 最近、大原社会問題研究所では新しい研究プロジェクトとして「社会党・総評史研究会」を立ち上げました。そこでの聞き取りにおいて、加藤勘十氏の息子さんである加藤宣幸さんは、構造改革論についての研究会に、松下圭一、北川隆吉、中林賢二郎などの諸先生と共に、増島先生も出席していたと証言されています。
 この構造改革論をはじめ、革新統一戦線論、人民的議会主義論、民主連合政権論など、先生は「戦後革新」のための理論展開に尽力され、『現代政治と大衆運動』(先生の主著の一冊、大月書店、1966年)の解明に努められました。
 このような先生からすれば、昨年の「アラブの春」や「ウォール街占拠運動」などの世界的な大衆運動の高揚と政治革新の奔流は、どのように評価されたでしょうか。日本でも、首相官邸前の脱原発運動を始め、広範な民衆運動が政治と社会の変革を求めて胎動を始めました。せめてあと1年、長生きされてこのような世界史的転換の兆しを目にしていただきたかったと願うのは、私だけではないでしょう。

 とはいえ、これらの運動の高揚を準備するうえで、先生の学問的実践は少なからぬ貢献をされたと思います。また、先生の教えを受けた者の多くが、「地の塩」となってこれらの運動を支えているにちがいありません。
 私もまた、「戦後革新」に賭けた先生の夢と志を受け継ぎ、残された人生の時間と能力を捧げることをお誓いし、「偲ぶ会」に向けてのご挨拶とさせていただきます。

2012年7月31日
                         法政大学大原社会問題研究所  五十嵐 仁
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