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8月30日(木) 何故、90年代の大変化を真正面から説明しないのか?-水口憲人・北原鉄也・久米郁男編著『変化をどう説明するか:政治編』についての若干のコメント(3) [論攷]

〔本稿は、2000年4月に私のホームページで連載したものです。前回の久米郁男『日本型労使関係の成功』についての批判的論評の続編という意味もありますので、3回に分けて再掲させていただきます。ご笑覧いただければ幸いです。〕

4 久米論文「雇用政策の展開と変容」について

 何故、90年代の「雇用政策の転回」を分析しないのか

 さて、いよいよお待ちかねの久米さんの論稿「雇用政策の展開と変容―アイデア、利益、制度」を取り上げましょう。この久米さんの論稿は、さきに私が取り上げた著書『日本型労使関係の成功』ほどには問題は多くないようです。しかし、それは「前著に比べれば」ということであって、問題がないわけではありません。首を傾げざるを得ないようないくつかの問題点があるように思われます。
 まず最初に挙げなければならない点は、本稿の分析対象に関する疑問です。これは、連載の「その1」(本稿第1章)で触れた点にも関わっています。
 久米さんは、「はじめに」の所で、長期不況の下での雇用システムの見直しの動きに触れ、現在の雇用政策において、労働力の流動化を目指す動きが強まっていると指摘します。それは「既存の雇用政策が労働力の流動化を妨げることで問題を抱えているとの認識に立っている」ためであり、これは「戦後の雇用政策は、一貫して企業内での雇用維持を助ける機能を果たしてきたという認識がとられている」ことになるのだといいます。
 もうここで、疑問が生まれます。「既存の雇用政策が労働力の流動化を妨げることで問題を抱えているとの認識」は、「戦後の雇用政策は、一貫して企業内での雇用維持を助ける機能を果たしてきたという認識」と同じものなのでしょうか。「既存の雇用政策」とは、現に存在している雇用政策にすぎないのであって、それが直ちに「戦後の雇用政策」全体を指すものでないことは明らかです。この両者をつなぐためには、「戦後の雇用政策」が変更されていないと認識されていることを証明しなければなりません。
 しかし、久米さんはそのような論証を行うことなく、この両者を結びつけて、次のように反論するわけです。
 「しかしながら、戦後日本の雇用政策の歴史を振り返るならば、1960年代に導入された雇用政策は、むしろ改革論者が現在唱道するような労働市場の流動化を志向する政策であったことがわかる。雇用政策は70年代に入ってその性格を変えたのである。本稿は、この雇用政策の転回が何故生じたのかを分析する。」(237頁)
 久米さんは、235頁の「はじめに」の最初から237頁の下から9行目まで、90年代における「労働市場の流動性」や「雇用の流動性」を強める政策志向、「労働力流動化」を目指す動きについて書いています。ところが、最後の9行目以下では、突然、時代が一気に遡って、60年代と70年代の話になってしまいました。
 「雇用政策の転回」を分析するのであれば、何故、現在のそれを取り上げないのでしょうか。「雇用政策の展開と変容」をテーマにするのであれば、何故、今日の大変化を真正面から問題にせず、20年以上も前の事例を取り上げるのでしょうか。確かに久米さんは、70年代の雇用政策について、すでに『日本型労使関係の成功』(前著)の「第5章 雇用保障の政治過程」で一度取り上げたことがありますので、書きやすいということはあるでしょう。しかし、一度取り上げたことがあるのならなおさら、何故、それを発展させて新しい領域に挑戦しようとされなかったのでしょうか。
 しかも、本稿の分析対象とされている70年代の「雇用政策の転回」は、「1960年代に導入され……むしろ改革論者が現在唱道するような労働市場の流動化を志向する政策」からの「転回」です。同じ「転回」とはいっても、それは今日めざされている方向とは逆になっています。政策的には逆のベクトルを持つ「転回」が、何故、ここでの分析対象として選択されたのか。この点も、私には理解しがたいものがあります。

 前著との整合性をどう図るのか

 以上の論点と関連するもう一つの疑問点は、前著で主張していた説との整合性をどう図るのかという問題です。久米さんは、雇用政策について、前著では次のように主張していました。
 「日本に戻るなら、民間製造業の労働組合が、経営者と協調して手厚い雇用保障政策を政府から引き出すのに成功していることが注目される。そこでは、日本の労働運動が分裂していたことは障害ではなかった。全国レベルでのダイナミックな政治過程を通して労働が成果を獲得する可能性を見過ごしてはならない。」(285頁)
 久米さんはこう述べて、分裂しているにもかかわらず日本の労働運動は「手厚い雇用保障政策」という「成果」を獲得しており、したがって日本の労働は弱くないと主張していました。
 ところが今回の論稿では、「しかし、現在そのような雇用レジーム自体が批判の対象となっている」との認識を示して、「『改革』論者は、日本の労働市場の流動性を高めるべきことを主張するのである」と指摘しています。従来の「手厚い雇用保障政策」が変化しつつあることを認めているわけです。そしてそれは、事実です。
 現に、昨年6月には改正労働者派遣法と改正職業安定法が成立し、労働者派遣も民間の職業紹介事業も原則的に自由化され、「労働市場の流動性」は一段と高まりました。これは、労働の側の強い反対を押し切って実行されたものであり、特に、労働者派遣法の改定については連合も最後まで反対の態度を崩さず、6月30日の可決・成立に際して、「結論は不満足であり、残念である」との談話を発表しています。このようにして、現在、「労働の成果」は失われようとしています。この事態を久米さんは、どのように説明されるのでしょうか。
 前著の中で、「日本の労働組合は、新保守主義の時代とされた1980年代を経ても、その政治的重要性を減じなかったばかりでなく、それを増したように見える」(244頁)、「1980年代において、日本の政策決定過程における労働の影響力は強くなったとさえ見てよい」(267頁)と口を極めてその強さを褒め称えていた日本の労働組合は、何故、このような窮地に追い込まれることになったのでしょうか。「経済自由主義と民間の活力を重視する1980年代の新保守主義的潮流の中でも、日本の労働はその力を失うことがなかった」(272頁)はずではありませんか。「分権的で分断されていた日本の労働組合が、80年代の小さな政府の時代を生き残った」のが「事実」(同前)だったとすれば、連合でさえ認めている現在の労働の弱さをどう考えたらよいのでしょうか。
 現に連合は、昨年10月の第6回定期大会の議案書で「『日本の進路』で示した目標にどこまで到達しえたか、毎年の春季生活闘争の結果がどうだったかなど、この間の運動は必ずしも満足な成果があがっているとはいえない。組織率の低下にも歯止めがかからない。状況の変化に対応して十分な取り組みであったかどうかなど、反省点も多い」と述べています。また、連合の笹森事務局長も、大原社研のシンポジウムで、連合の掲げてきた政策が「この10年間実現をしてきたのかどうかということになると、すべてがだめだというふうには言いませんが、点数的にはかなり辛い評価を受けるのではないかと思っています」(『大原社会問題研究所雑誌』第497号、2000年4月、5頁)と発言しました。
 私は司会者として横で聞いていて、笹森さんのこの率直な発言に驚くとともに、ある種の誠実さを感じました。いずれにせよ、これらの連合の自己認識が、久米さんの言う「強い労働」とは対極的なものであることは明らかでしょう。
 ここでも、久米さんの議論の破綻は明白です。久米さんは、「日本型労使関係の成功」をいわんがために、日本の労働の強さを強調し、その獲得した成果を高く評価し、分権的で分断されていることをそのための有利な条件として挙げました。しかし、これは事実に反しています。日本の労働はそれほど強くはなく、したがってその達成物も大きくはなく、分権的で分断されていることは不利な条件として働いてきました。決して、「日本型労使関係」は「成功」したわけではありません。
 このような事実は、長期不況の下で、今日、誰の目にも分かるようになってきています。それが分かるようになりつつあったとき、1998年9月に、久米さんは『日本型労使関係の成功』という表題で前著を公刊されました。そしてその直後から、久米さんの議論を真正面から否定するような事実が次々と明らかになってくるわけです。
 わずか2年で、久米さん自身が、前著とは矛盾する事実にあえて言及しなければならなくなったのは、そのためです。つまり、前著の「賞味期限」がわずか1年ちょっとでしかなかったことを、久米さん自身が今回の論稿で証明したことになります。

前著の一部の要約

 本稿の第1章は「日本における雇用政策の展開」となっており、そこで最初に取り上げられるのは「(1)石炭産業における政策転換闘争と新たな雇用政策」です。この問題も、すでに久米さんは前著の中で取り上げています。
 この第1章の最初の部分を読んで、どこかで見たような文章だナーと思って、一応確かめてみましたら、238頁の第2段落から244頁の第2節の前までの文章が、前著の208頁から215頁までとほぼ対応しておりました。本稿の第1章第1節は、前著の第5章第2節の中の「政策転換闘争」を要約したものだったわけです。
 これは多分、直ちに問題視されるべきことではないでしょう。特にこの部分は事実経過にあたる所ですから、異なった主題とコンテキストの下で同様の事実を扱うことは当然あり得ると思いますし、その一部に前稿の要約が用いられることもあり得ることだと思うからです。ただ、先に「一度取り上げたことがありますので、書きやすいということはあるでしょう」と書きましたが、この「書きやすさ」のうちには、このようなやり方も含まれていたということなります。

 「政治的機会構造論」はもともと破産していた

 実は、今回久米さんの前著のこの部分を読み直してみて、改めて久米さんの主張の誤りと混乱に気付かされました。それは、労働組合の「資源動員」の有効性を否定する仮説(「政治的機会構造論」)の誤りと混乱です。
 ここで記述されている炭労の石炭政策転換闘争の過程を追っていけば、社会党・総評との石炭政策転換最高指導者会議の設置、全炭鉱・炭職協との共闘会議の結成、炭労メンバーの中央への動員と石炭政策転換大行進の組織、ゼネストの設定と無期限スト突入の方針(ストは回避)、飛び石の48時間ストなど、まさにありとあらゆる「資源」を動員して闘争を強めたことが明らかになります。これについての久米さんの叙述自体が、「炭労が、労使の共闘を組織するとともに、大衆動員をも組み合わせながら政府から石炭産業への保護を次々と引き出していった経過を明らかにしてい」(前著、215頁)るわけです。「政府案は、この経過の中で石炭労働者に次第に手厚いものとなっていった」わけですから、このような労働組合の「資源動員」はそれなりの成果を収めたということになるでしょう。
 この経過と結果については、久米さんも否定できなかったため、炭労の政策転換闘争を「労働が経済危機に瀕してそれへの対応を政府に求め、その獲得に相当程度成功した事例」(前著、227頁)として認めています。また、「石炭産業のケースでは相対的には『激しい』運動を組織することによってそれを獲得した」ことも認めています。
 しかし、このすぐ後で、久米さんは、組合の組織率の低下や当該産業での争議関連の指標の低下によって、このようなとらえ方を否定しようとします。このような論法は、個別具体的な事例を一般的な指標によって否定するやり方だと言えるでしょう。つまり次元の異なる問題をごっちゃにして論じ、自らにとって都合の良い結論を導き出しているわけです。このような論法をとれば、組織率が低下し、争議関連の指標が低下している時代には、「資源動員」による成功の事例はあり得ないということになってしまいます。「資源動員」が有効であったか否かは、個別具体的な事例に即して検討されるべきでしょう。
 とはいえ、さすがに久米さんも、炭労の「資源動員」を全面的に否定するわけにはいかなかったようです。「労働組合の資源動員」を分析した箇所で、久米さんは次のように繰り返し書いています。
 「しかし、われわれの事例をより子細に検討するならば、労働の成果は、動員された資源量のみでは説明できないことが明らかとなる。」(228頁)
 「そうであるならば、労働組合の動員した資源量によってのみ、炭労の成果を説明することはできない。」(229頁)
 「われわれは、本稿の事例が示した労働の成果を、労働の資源動員によってのみ説明することはできないのである。」(229頁)
 わずか2頁の中に、3回にわたって「のみ」が用いられています。この点に、久米さんがいかにこだわったかが、如実に読みとれる「事例」だと申せましょう。
 この問題について、すでに私は、「権力資源論」(A)に代えて「政治的機会構造論」(B)を提唱する久米さんの議論を取り上げ、久米さんの主張は「(A)プラス(B)」なのか、それとも、「(A)ではなく(B)」なのかが不明だと批判し、「『労働政治を、労働による一方的な『資源動員』の過程としてではなく、『階級』の枠を超えた政治的連合形成過程として見る』ということからすれば、久米さんは『(A)ではなく(B)』を提唱しているように読めますが、それは一貫せず、揺れています」と指摘しました(『政経研究』第73号、127~128頁)。
 その「揺れ」の実例がここにあります。ここでは繰り返し「資源量」や「資源動員」(A)「のみ」では説明できないと主張されています。つまり、「(A)プラス(B)」によって説明できるというわけです。
 前著を書き終えた後、久米さんは、「戦後日本労働政治の謎―『日本型労使関係の成功』を書き終えて」という論稿を『書斎の窓』1999年1・2月号に発表します。この中で、久米さんは「労働が成果を獲得しうるか否かは、労働側からの一方的な『資源の動員』によってだけではなく、労働にとり利用可能な政治的機会によって決まるというものである」と書きました。これについて私は、「「『労働政治を、労働による一方的な『資源動員』の過程としてではなく、『階級』の枠を超えた政治的連合形成過程として見る』という主張と矛盾することになり、ひいては「『統一と団結こそが労働の力の源泉』という一般命題を否定する」こともできなくな」ると批判し、「これは久米さんにとって、論理的な破綻」であり、「かくして、『政治的機会構造論』は破産するにいたりました」と指摘しました(同然、128頁)。本書を改めて読んで、このような「論理的な破綻」は、後に書かれる論稿を待つまでもなく、すでに前著の中で明らかであったことを確認することができたという次第です。久米さんが新たに書かれた論稿「雇用政策の展開と変容」を読んでの、思わぬ「副産物」ということになりましょうか。

 理論的前提の疑わしさ

 おっと、いささか話がそれてしまいました。話を戻しましょう。本稿の結論部分にあたる第2章「分析」の「(2)利益、アイデア、制度」で、久米さんは次のように問題を提起しています。
 「政策の創発、生成、発展を説明しうる要因として、利益、アイデア、そして制度をとりあえず挙げることができよう。日本における雇用政策の展開は、それぞれの要因によってどの程度説明されうるのだろうか。」(236頁)
 ここでは、「政策の創発、生成、発展を説明しうる要因」は、「利益、アイデア、制度」なのかという疑問がすぐに沸いてきます。そもそも政策的対応が必要になるのは、社会的なレベルでの問題の発生ではないでしょうか。それがある特定の階層にとって利益または不利益を生じ、それを解決するための政治的な対応が「政策」なのではないでしょうか。また、このような政治的な対応を促すものとして社会運動の発生が挙げられるでしょう。不利益を被っている特定の階層が問題の解決を求めて行動に移ったとき、そこには「運動」が生まれます。社会的なレベルで発生した問題は、「運動」を媒介にして政治化され、対応策(アイデア)が検討されることになります。つまり、「利益」の背後には問題の発生があり、「アイデア」の背後には運動の発展があると思われますが、久米さんの議論では、これらの「要因」は欠落しています。
 また、「制度」は、「利益」や「アイデア」のあり方、政策の「発展」に影響を与えるのは確かだと思われますが、「政策の創発」をどのようにして説明するのかという疑問も湧いてきます。「政策の創発」とは、政策的対応の必要性が生じ、政策が生まれることです。久米さんは、日本とスウェーデンの雇用政策発展の背景として、「雇用政策を所管する行政機関が一貫して存在」してきたこと、政策分岐を生み出した両国の大きな違いは「労働の組織のされ方にある」ことを挙げています。これはいずれも、政策の生成や発展に関わるものであって、「政策の創発」そのものを説明するものではありません。「雇用政策の発展と変容」を「アイデア、利益、制度」から説明しようとする久米さんの議論は、理論的前提からしてすでに疑わしいものだといわざるを得ません。

「制度」による変化の説明?

 さて、このような理論的前提に立って、久米さんは、労働者の利益、経営者の利益、労働省の利益を検討し、いずれにおいても、政策の変化を説明するのは困難だとしています。次に、「新しい政策アイデア」について検討しますが、「どのアイデアが生き残るかは、アイデア自体に注目することからは説明できない」としています。これは当然です。「アイデア」はあくまでも問題解決の方策ですから、それに適合的なものだけしか生き残れないのは当たり前でしょう。
 こうして最後に、「制度」に注目するわけです。「どのような政策アイデアが生き残るかは、それが選択されていく過程に存在する制度の影響を受けるであろう。」これに続けて、日本とスウェーデンで雇用政策が発展したのは「雇用政策を所管する行政機関」(労働省)という制度のおかげで、この両国での違いが生じたのは、「企業レベルに重心をおく労使関係と全国レベルで集権化された労使関係」という制度的な相違のためだというわけです。
 しかし、「以上の説明はやや静態的、機能的」であり、「労働者は、自らが位置する制度的コンテクストの中において政策選好を持つに至るであろう」から、「このダイナミクスが同時に重要」だとも指摘しています。この点についても、大きな疑問があります。

 日本とスウェーデン両国の「変化を説明」できるのか

 それは、このようなとらえ方は、雇用政策の継続的発展と日本とスウェーデンの政策的分岐を説明できるとしても、両国の雇用政策が60年代において労働力の流動化をめざし、70年代において安定化に転じ、今また流動化の方向を強めるようになっているという変化が何故生じたのか説明できるのか、という疑問です。もう一つあります。このような変化が、何故両国で、同じような時期に、同じような方向性を持って生じたのか、という疑問です。さらに付け加えれば、70年代と今日における政策的ベクトルの逆転が何故生じたのかということも、どのように説明されるのでしょうか。
 まず、久米さんは、70年代の転換における両国の類似点について、次のように指摘しています。
 「これら両国における雇用政策には興味深い類似点が見られる。両国ともに、積極的労働力政策をとり企業間、産業間労働移動の促進を目指したが、70年代の景気後退期には先述したように日本において企業内での雇用の維持を目指す政策への変換が行われ、スウェーデンにおいても企業内の雇用維持を支援する政策が採られた。」(254頁)
しかしその後、この「政策の有効性にも大きな疑問が投げかけられるようにな」り、「市場への適切な介入施策によって先進国内でも最も良好なパフォーマンスを日本とともに維持してきたスウェーデンにおいても、雇用政策の見直しが言われるようになってき」ました。こうして、「日本とスウェーデンが共に、従来の政策の再考を迫られ」ます。
 変化は、両国において同じように生じているわけです。ところが、久米さんはこのような「変化」それ自体の分析には向かわずに、次のように述べて、ここで突然方向転換してしまいます。
 「しかし、本稿では、積極的労働市場政策がその当初の形態から変異した点を重視する。……以下では、日本において1960年代に成功裏に導入された積極的労働市場政策が、何故にその性格を変えていったのかを、スウェーデンにおける雇用政策と比較しつつ検討しよう。」(256頁)つまり、ここでもまた、70年代における転換に逆戻りしてしまうわけです。
 それはともかく、こうして、両国の比較によって、70年代の転換における相違は、「企業レベルに重心をおく」日本の労使関係と、「全国レベルで集権化された」スウェーデンの労使関係という、「労働の組織のされ方」によって生じたものだと説明し、「70年代に日本において、雇用政策が企業内における雇用維持の方向へと変容し、他方スウェーデンにおいて同じく70年代に出現した企業内の雇用維持のための補助金が付いていなかった理由をここにみることができ」ると指摘します。しかしこの説明は「やや生態的、機能的」だから、労働者の「政策選考」という要素を入れなければなりません。その結果、「企業をアイデンティティーの基礎とする労働者意識」に支えられた日本と、「企業を越える労働者のアイデンティティー」が存在するスウェーデンとで異なった「政策選考」がなされたというのが、久米さんの結論です。「このように、利益は制度を通して政策選考と言うアイデアに具体化されていく」わけです。
 さて、このような久米さんの説明が正しいとすれば、日本とスウェーデンの違いが生じた理由はそれなりに理解されます。しかし、この点での説明能力が高ければ高いほど、両国の類似が何故生じたのかという点での説明能力は低下していきます。「労働の組織のされ方」という制度的要因が異なり、両国の労働者の「政策選考」が違っているのに、何故、同じような転換が、同じような時期に生じたのでしょうか。そしてこの転換が、何故、それ以前の政策と異なった方向を持ち、何故、両国はこの点でも共通していたのでしょうか。両国の違いについて、久米さんが説得的な議論を展開しようとすればするほど、このような疑問は大きくなり、矛盾が拡大することになります。

 むすび

 本書は「変化をどう説明するのか」という表題で、「政治」を取り上げています。「政治における変化を説明するための理論的な方法が検討され」、「変化をいかに説明するかという方法論への関心に導かれている」(「序」)本書の最後の論稿で、その理論的な方法それ自体に対する疑問が生じているわけです。
 本書には、その表題とは裏腹に、最大の変化であり、最も重要な変化だと思われる90年代の変化を真正面から分析していないという問題があります。それとともに、久米さんの論稿は、「政治における変化を説明する理論的な方法」についても、必ずしも説得的な議論を展開できていないのではないかという、もう一つの問題の存在を明らかにするものだと言わざるを得ません。
 しかも、「序」において久米さんが述べているように、本書において、「政治における変化を説明するための理論的な方法」が「検討」される際に注目されているのが、「利益、理念、制度である」わけです。つまり、久米さんが採用している「理論的な方法」は、一人久米さんのみのものではないということになります。そして「経験的な分析においてそれぞれのアプローチの有効性が試される」わけですが、少なくとも「雇用政策の展開と変容」という「経験的な分析」においては、その「アプローチの有効性」が示されたようには思われません。「変化をどう説明するか」という表題の最後の論稿において変化が十分に説明されていないというのが、本稿を読んでの私の結論です。                                               (終わり)

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