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3月19日(火) 書評:渡辺治著『渡辺治の政治学入門』 [論攷]

〔以下の書評は、雑誌『経済』2013 年4月号、に掲載されたものです。〕

 民主党政権の成立と変節の過程を分析した「攻防の政治学」――本書の特徴をひとことで言えば、そうなるであろう。本書の元になったのは雑誌『クレスコ』の政治学入門講座だが、それは二〇一〇年五月から始まっており、それ以降の「政治の動向を、運動と政治対抗の所産としてみる視角」が貫かれているからである。
 著者は民主党政権を、①二〇〇九年一〇月の政権発足から一〇年五月までの動揺期、②菅政権発足から一二年六月までの変節期、③三党合意成立以降の「事実上の『大連立』政治の開始期」という三つに区分している。
 本書は、この第二期と第三期の時期を直接の対象とし、その多くは現在進行形で書かれており、それを補う形で、「現在の時点からの長めの補足」が付されている。これも、本書が言及しているテーマの理解を助けるもので、有益だといえる。
 ◇
 本書は、鳩山首相の辞任と菅政権の成立、参院選での民主党大敗、菅と小沢が対決した代表選、社会保障と税の一体改革の提起、大震災と原発事故、菅退陣と野田首相の登場、消費税増税についての三党合意などの経緯をたどった民主党政権の側面史として読むことができる。著者はこれを「『新鮮な』素材を調理して、食べてもらうこと」だとしている。
 しかし、本書には「もう一つのねらい」があった。それは「個々の政治現象の分析、関連づけをおこなう際の方法、視角をできるだけ明らかにし」、「自ら目の前の問題に接近・分析する仕方を提供すること」である。
前者をタテ糸であるとすれば、後者はヨコ糸だとされている。本書を「あえて『政治学入門』とした」のは、この「双方を通じて、政治現象の読み方と、分析の方法の両方を明らかにしようという野心を持っていたため」だという。これは成功しているように見える。
 本書の特色は、この後者の「ヨコ糸」にある。そこで扱われている「主題」は、第一に政治家論である。具体的には鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎、橋下徹などが取り上げられ、個人が果たす役割(能動性)とその限界(構造への被規定性)の両面が分析されている。
 第二に、選挙、保守二大政党制、大連立政治、小選挙区制や議員定数、地方分権などの政治的制度であり、これらは歴史の段階や特定の政治的構造と対抗のなかで「独特の役割と機能を持たざるをえない」とされている。つまり、同じ制度でもその役割や機能は変化しうるというのである。
 第三に、マスコミという社会的装置の検討であり、第四に、原資料に当たることの重要性である。直接資料に当たることは、マスコミ報道への信頼性が大きく低下している今日、とりわけ重要になっている。

本書には学ぶべき多く知見がある。それに関連して、若干の論点を提起させていただこう。
 その第一は、「保守二大政党の地盤沈下」についてである。これは一〇年参院選から「始まった」もので、今回の総選挙でも「新党ブーム」があった。しかし、それは「あくまで過渡的現象」だとされている。そうだとすれば、この「過渡」はいつまで続くのか。その先にはどのような政党制があり得るのかが、次に問われることになろう。
 第二に、本書に繰り返し登場する小沢一郎の狙いと役割である。著者は「小沢一郎の政治的目標も、改革遂行のための政治体制づくり、具体的には保守二大政党制の確立にある」としているが、今回の総選挙の結果、日本未来の党は惨敗し、小沢は新党「生活の党」の代表になった。その狙いは挫折したのだろうか。再び、復活することはあるのだろうか。
 第三に、地域主権改革は、国のナショナルミニマム責任を放棄して自治体にゆだね、「自治体が自由に基準などを切り下げ」ようとするもので、橋下の国政進出はこれを全国に拡大する意味もあったとされている。日本維新の会「維新八策(各論)」に「地方の条例制定権の自立(上書き権)(「基本法」の範囲内で条例制定)憲法九四条の改正」などの項目が入っているが、それもこのためだと解釈して良いのだろうか。
 第四に、社会保障と税の一体改革についての二つの系譜が指摘され、安倍新内閣では、社会保障費の削減も消費税の増税も、という財界型が復活したとされている。極めて重要な指摘だが、それが生み出す軋轢や矛盾についても分析のメスを入れる必要があろう。
 第五に、安倍新政権は国土強靱化を口実に二〇〇兆円ものバラ撒き政策を実施しようとしている。このような古い自民党型の開発主義的政策と新自由主義政策の再起動との関連をどう考えたら良いのか。このような政策的不整合が生み出す葛藤への注目も必要ではないだろうか。
 これらの問いには本書の範囲を超えるものも含まれているが、今後、解明されるべき課題として提起しておきたい。

 本書は「私たちはどこまできたのか、どこへ向かっているのか」という章で閉じられ、軍事大国と構造改革の再起動が図られる「後期新自由主義時代」という「容易ならぬ情勢の入り口に立っている」との現状認識が示されている。
 そして、この「後期」を短期に終わらせ、次の新たな局面を切り開くことができるかどうかは、「私たちの運動」にかかっており、この「攻勢を逆に阻むことができれば、時代を私たちの手で掴むことできる」と指摘されている。「攻防の政治学」としての本書は、そのための有力な武器となるにちがいない。

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