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7月12日(金) 規制緩和をめぐる誤解と謬論 [規制緩和]

 昨日の『朝日新聞』に興味深い対論が掲載されていました。規制緩和について、「推進派」である山本哲三早大教授と、「慎重派」である松原隆一郎東大教授のお二人が、それぞれの立場から「規制緩和」について論ずるというものです。
 「推進派」の山本さんは「半永久的に取り組む体制を」と主張し、これに対して「慎重派」の松原さんは「技術革新への投資こそ必要」と反論しています。私は、基本的には「慎重派」ですので松原さんの側です。

 まず、「規制改革」そのものについてのとらえ方ですが、規制が多いとか、少ないとかという議論には意味がありません。必要な規制は行わなければならず、必要がないものや必要がなくなった規制は、緩和したり撤廃したりすればよいだけのことです。
 問題は、規制が多いか少ないかではなく、それが必要か必要でないかということです。それは、それぞれの規制について、個別具体的に判断されなければなりません。
 その点では、「規制緩和はまだ足りませんか」という問いへの「日本は規制がありすぎる。1万3千とか1万4千と言われる。数え方にもよるが、規制改革が進んでいる国は6千とか7千と言っている」という山本さんの答えも、「日本の規制は多すぎませんか」という松原さんへの問いも無意味です。そもそも、このような問いを発する記者の認識が根本的に間違っていると言わなければなりません。

 「日本の規制は多すぎませんか」という問いに、松原さんは「数だけ見れば増えているが、必要があるとされているからだ。分野によっては、日本より厳しい規制がある国はいくらでもある」と答えています。これは、必要があれば規制は多くてもかまわないという立場であり、私もそう思います。
 これに対して、山本さんは「規制は必要最小限にしないと、はつらつとした国民性が出てこない。市民のくらしに結びつく社会的な規制の緩和は慎重でなければいけないが、企業や産業に対する経済的な規制は原則なくしていい」と答えています。山本さんも、単純に規制はない方が良いという立場ではありません。
 「必要があるとされている」規制(松原)、「必要最小限」の規制(山本)は、残すべきだという点で、両者の立場は共通しています。山本さんも「市民のくらしに結びつく社会的な規制の緩和は慎重でなければいけない」と認めています。

 ここで違いが出てくるのは、「企業や産業に対する経済的な規制は原則なくしていい」という点です。山本さんは「電力や農業、医療、教育、公共交通など」の「族議員がいたり、官庁、業界、組合が強く抵抗したりする分野」の規制はなくすべきだと言うわけです。
 しかし、これらの分野は「市民のくらしに結びつ」かないのでしょうか。安価で安定した電力供給、安全な農産物を確実に提供できるような農業、国民の命と健康を守ることができるような医療、誰でもどこでも平等に高い水準の教育を受けられる権利の保障、儲け優先ではない安全で確実な輸送の確保などは、全て「市民のくらし」に直結するものではありませんか。
 これらの規制を「企業活動の妨げになっている」として緩和または撤廃しようとしているのが、アベノミクスの成長戦略です。これに対しても、松原さんは「規制緩和と成長の関係は明確ではない。小泉改革で景気はよくならなかった。緩和、緩和と言っている米国でも製造業はふるわない」と反論しています。

 以上の議論から確認できることは、「規制」をめぐる誤解と謬論の存在です。往々にしてマスコミはこのような謬論に陥りがちですが、「規制」は悪であり「規制緩和」は善であるという前提は成り立ちません。
 また、規制は少なければ少ないほどよいというのも、緩和に対する抵抗は全て「既得権益の擁護」だというのも大きな間違いです。その数の比較に意味はなく、必要な規制を行えば数は増え、必要なくなった規制を緩和すれば数は減ります。
 さらに、社会的規制と経済的規制を分けて、前者についての緩和は「慎重」でなければならないが、後者についてはなくしてもいいというのは暴論です。企業の経済活動は人々の暮らしや社会のあり方に深く関わっているからです。

 基本的に、規制とは国内市場、中小の企業、地方や地域、働く人びと、個々人の生活、健康、安全など、弱者を守るために設定されています。ですから、外国や多国籍企業、大企業、中央政府、経営者などの強者からすれば邪魔に見えます。
 強い経済力を持っているものからすれば、ビジネス・チャンスを阻害しているように見えるのが普通です。だからこそ、「企業活動の妨げになっている」として、その緩和が求められることになります。
 しかし、正しくは「強いもの」の妨げになっていると言うべきであり、逆に言えば「弱いもの」を守る防波堤になっている面もあるのです。規制緩和を進めた小泉構造改革が日本を弱肉強食の社会に変え、貧困化と格差の拡大をもたらしたのは、この側面を見逃したからではないでしょうか。

 今また、小泉構造改革と同じような過ちを繰り返そうとしているようです。このようなときだからこそ、過去の「規制緩和」論をきちんと検証し、「規制」をめぐる誤解と謬論を見極めることが必要になっているように思われます。

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