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8月8日(木) 自民党改憲草案と立憲主義(その2) [論攷]

〔下記の論攷は、『月刊民商』第635号、2013年8月号、に掲載されたものです。2回に分けてアップします。〕

 個人と人権への無理解と侵害

 立憲主義とは権力の暴走を憲法によって抑制しようとする考え方を伴っています。そのために、社会の最小単位としての個人という概念を確立します。
 個人は、巨大な権力である国家と向き合って対峙し、その権利としての基本的人権は生まれながらにして全ての個人が保有するもので、何者によっても奪われず、多数者によっても侵すことのできないものです。
 ところが、自民党改憲草案では、現憲法の「個人」という表記の「個」が取られ、すべて「人」に置き換わっています。多様な個性を持ち、国家と対置されるべき個人は抽象的な「人」とされ、国家との緊張関係が失われることになります。
 また、人権についても、現行憲法97条の「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という有名な一文が削除されました。人権は「侵すことのできない永久の権利」として位置づけられていないことになります。
 自民党の「Q&A」は「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だ」としていますが、これも大間違いです。基本的人権は、時代や国を超えて保障されるが故に普遍性を持っているからです。各国の「歴史、文化、伝統を踏まえたもの」だというのでは、他国の人権とわが国の人権とでは異なって当然などという言い訳を許すことになるでしょう。これでは、北朝鮮の人権状況を批判することができなくなってしまいます。つまり、自民党の人権把握は北朝鮮並みだということになります。
 さらに、自民党改憲草案は現行憲法にある「公共の福祉」に代えて、内容の不確定な「公益」や「公の秩序」という新しい概念を打ち出しています。前者が人権相互の調整原理であるのに対して、後者は人権の制約条件を規定するもので、何が「公益」や「公の秩序」とされるかによって人権は大きく侵害されることになります。
 たとえば、第21条「表現・結社の自由」はそのままにされていますが、その2は「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」としています。静かに開催されている政府批判の集会は「公の秩序」を害していなくても、「公益」を害するとして取り締まりの対象となるかもしれません。

 権力の暴走抑制の脆弱化

 権力の暴走を防ぐためには、その集中ではなく相互の牽制が必要になります。それが権力の分割であり、それによって権力の濫用や恣意的な行使を抑制することが意図されています。こうして、立法・行政・司法という三権の分立や地方自治の制度化が構想されるのです。しかし、自民党改憲草案では執行権の強化と中央集権化が顕著で、この面でも立憲主義が弱められています。
 まず、前文で「天皇を戴く国家」、1条で「天皇は、日本国の元首」とされ、日本は天皇中心の国家体制であることが明示されます。同時に「三権分立」が言われているものの、主権在民の原理に基づくものではなく、三権の上に天皇が君臨する形になっています。
 次に、56条で国会開催の定足数規定を削除して審議を形骸化し、63条2項で大臣の国会への出席義務について「職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない」として行政へのコントロールを弱めています。また、72条で「内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う」とするなど、首相権限の強化が図られています。
 さらに重大なのは、「緊急事態」を名目とした「独裁」的な権力行使の可能性が盛り込まれていることです。「第九章 緊急事態」が新設され、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」として、「何人も、……国その他公の機関の指示に従わなければならない」と規定されています。立憲主義の機能停止だと言うべきでしょう。
 地方自治についても、「その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し」とされていたのを、財産を管理する権能、行政を執行する権能を削除してその範囲は「住民に身近な行政」に限定され、中央集権化を強めています。また、「当該地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する」として定住外国人の地方参政権も排除されています。

 首相による改憲提唱は憲法尊重擁護義務違反

 すでに述べたように、99条は国務大臣の憲法尊重擁護義務を定めており、憲法制定権限は国民のものです。内閣やその首座にある首相が先頭に立って憲法改定の旗を振ることは憲法尊重擁護義務に対する違反であり、国民の憲法改正権限の簒奪を意味します。
 また、3分の2というハードルは権力者に都合の良い安易な改憲発議を防ぎ、多数意思が過ちを犯して憲法の基本原理に反する改憲発議を行わないようにするための予防措置でした。今日、自民党改憲草案は立憲主義をはじめ、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という憲法の基本原理を変える過ちを犯そうとしています。
 まさに、多数決によって基本原理に反する経験発議がなされようとしているわけです。このことに照らしてみれば、現行憲法の制定に当たった先人はまことに慧眼であったと言うべきでしょう。


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