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9月19日(木) 日本の政治を蝕み始めた軍国主義の妖怪 [首相]

 軍国主義とは、政治と社会における軍事力信仰の強まりと軍事的価値の浸透を意味しています。戦前の日本を誤らせた最大の要因はこのような軍国主義の蔓延でしたが、それは今日の日本においても復活し、再び日本の進路を誤らせようとしているようです。

 第1の軍事力信仰の強まりは、いうまでもなく安倍首相本人において極めて強烈なものがあります。安倍首相も「安全」や「平和」を口にしますが、非軍事的安全保障という発想はなく、「安全」はあくまでも軍事力によってもたらされるものであり、「平和」は軍事力によって守られるべきものなのです。
 そこにあるのは、古くさい「抑止力論」に基づくパワーポリティクスによる国際政治理解です。お互いに自国の軍事力強化によって相手の軍事力を「抑止」しようと考えれば軍事力競争のエスカレートがもたらされることになるという理論、日本における自衛隊の増強や沖縄米軍基地の存在が結局は北朝鮮の核開発やミサイル発射、中国の海洋進出を「抑止」できなかったという経験、さらなる軍事力のエスカレートは国費を無駄遣いし、周辺諸国との緊張を高めるだけであるという現実を踏まえれば、このような政策対応に合理性がないことは明らかでしょう。
 アメリカでさえ軍事力一辺倒の考え方を捨て、国際的な紛争を非軍事的な外交交渉によって解決する方向に転じつつあります。シリアでの化学兵器使用問題でのオバマ大統領の方向転換を、安倍首相はどう理解しているのでしょうか。

 第2の軍事的価値への信仰も、安倍首相において極めて顕著になってきています。安全保障に関わる政策展開の基本は、カーキ色に塗り固められていると言って良いでしょう。
 防衛費の増額や垂直離着陸機オスプレイの導入などによって装備の充実を図ること、自衛隊の作戦指導において制服組の主導権を確立すること、特定秘密の保護を徹底して軍事機密の流出を抑えること、国家安全保障会議の新設によって戦争指導体制を確立すること、国家安全保障基本法の制定によって国民の戦争動員に向けての準備を始めること、自衛隊内に水陸両用型の日本版海兵隊を新設して島嶼奪還能力を保有すること、集団的自衛権の行使を容認してアメリカと一緒に戦争できるようにすること、そして、最終的には憲法の前文と9条を変えて戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認という原則を廃棄し、自衛隊を国防軍として「戦力」たる軍隊であることを明確にすることなどなど。この間、安倍首相によって着手されてきたこれら一連の施策は、安全保障を軍事によって確保するという原則に基づくものばかりでした。
 しかもそれは、日本の「自衛」に限定されていません。日本の安全とは直接関係のない公海や海外での軍事作戦を想定しているという点で、憲法の制約や専守防衛の国是を大きく踏み越えるものとなっています。

 しかし、憲法9条は、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ことを定めています。つまり、現在、安倍首相が行っていることは、「武力による威嚇又は武力の行使」を前提にする限り、明確な憲法違反であると言わなければなりません。
 また、現実的にも、今日の国際社会においてハードパワーとしての軍事力の持つ意味は低下し、「国際紛争を解決する」どころか、さらに紛糾させ、混乱を助長してきたことは、イラク戦争、アフガニスタンでの紛争やシリア問題などの例を見ても明らかでしょう。外交や交渉などの非軍事的なソフトパワーこそが、国際紛争を真に解決することができる最善の道であることは、国際政治の現実を知るものにとっては常識になっています。
 加えて、今日の日本において、軍事に頼る安全保障を選択するような現実的条件はありません。中国や北朝鮮を「抑止」するほどの軍事力を持つことなどは不可能ですし、そんなことをすれば、周辺諸国の警戒感はさらに高まり、緊張が激化して安全保障環境が急速に悪化することは、火を見るよりも明らかです。

 つまり、現在の国際政治をリアルに観察すれば、安倍首相が進もうとするような道は選択の対象になり得ないものなのです。それは安倍首相本人の頭の中にある空想、というよりは妄想に基づく軍事的安全保障観であり、「空想的軍国主義」と言うべきものにすぎません。
 国際政治を冷静に、かつリアルに見て判断できる本当のリアリスト(現実主義者)は、安倍首相の周辺にはいないようです。このままでは、軍国主義の妖怪に踊らされた戦前の過ちを再び繰り返すことになってしまうにちがいありません。

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