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10月9日(水) 日本の政治を蝕み始めた軍国主義の妖怪 [論攷]

〔以下の論攷は、はちおうじ『革新懇話会』第59号、2013年9月25日付、に掲載されたものです。〕

 軍国主義とは、政治と社会における軍事力信仰の強まりと軍事的価値の浸透を意味しています。戦前の日本を誤らせた最大の要因はこのような軍国主義の蔓延でしたが、それは今日の日本においても復活し、再び日本の進路を誤らせようとしているようです。

 第一の軍事力信仰の強まりは、いうまでもなく安倍首相本人において極めて強烈なものがあります。安倍首相も「安全」や「平和」を口にしますが、非軍事的安全保障という発想はなく、「安全」はあくまでも軍事力によってもたらされるものであり、「平和」は軍事力によって守られるべきものなのです。
 そこにあるのは、古くさい「抑止力論」に基づくパワーポリティクスによる国際政治理解です。お互いに自国の軍事力強化によって相手の軍事力を「抑止」しようと考えれば軍事力競争のエスカレートがもたらされることになるという理屈、日本における自衛隊の増強や沖縄米軍基地の存在が結局は北朝鮮の核開発やミサイル発射、中国の海洋進出を「抑止」できなかったという経験、さらなる軍事力のエスカレートは国費を無駄遣いし、周辺諸国との緊張を高めるだけであるという現実を踏まえれば、このような政策対応に合理性がないことは明らかでしょう。
 第二の軍事的価値の信仰も、安倍首相においては極めて顕著になってきています。安全保障に関わる政策展開の基本は、カーキ色に塗り固められていると言って良いでしょう。
 防衛費の増額や垂直離着陸機オスプレイの導入などによって装備の充実を図ること、自衛隊の作戦指導において制服組の主導権を確立すること、内閣情報局の新設によって軍事情報収集の体制を強化すること、特定秘密の保護を徹底して軍事機密の流出を抑えること、安全保障戦略の策定と国家安全保障会議の新設によって戦争指導体制を確立すること、国家安全保障基本法の制定によって国民の戦争動員に向けての準備を始めること、自衛隊内に水陸両用型の日本版海兵隊を新設して島嶼奪還能力を保有すること、集団的自衛権の行使を容認してアメリカと一緒に戦争できるようにすること、そして、最終的には憲法の前文と九条を変えて戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認という原則を廃棄し、自衛隊を国防軍として「戦力」たる軍隊であることを明確にすることなどなど。この間、安倍首相によって着手されてきたこれら一連の施策は、安全保障を軍事によって確保するという原則に基づくものばかりでした。
 しかもそれは、日本の「自衛」に限定されていません。日本の安全とは直接関係のない公海や海外での軍事作戦を想定しているという点で、憲法の制約や専守防衛の国是を大きく踏み越えるものとなっています。

 しかし、憲法九条は、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ことを定めています。つまり、現在、安倍首相が行っていることは、「武力による威嚇又は武力の行使」を前提にする限り、明確な憲法違反であると言わなければなりません。
 また、現実的にも、今日の国際社会においてハードパワーとしての軍事力の持つ意味は低下し、「国際紛争を解決する」どころか、さらに紛糾させ、混乱を助長してきたことは、イラク戦争、アフガニスタンでの紛争やシリア問題などの例を見ても明らかでしょう。外交や交渉などの非軍事的なソフトパワーこそが、国際紛争を真に解決することができる最善の道であることは、国際政治の現実を知るものにとっては常識になっています。
 加えて、今日の日本において、軍事に頼る安全保障を選択するような現実的条件はありません。中国や北朝鮮を「抑止」するほどの軍事力を持つことなどは不可能ですし、そんなことをすれば周辺諸国の警戒感はさらに高まり、緊張が激化して安全保障環境が急速に悪化することは火を見るよりも明らかです。
 そのうえ、国際政治をめぐる状況は大きく変化しつつあります。そして、このような変化は極東における緊張緩和にとって好ましいものであり、安倍首相がこれから本格的に取り組もうとしている安保・防衛政策の転換がいかに現実離れした無意味なものであるかを如実に示すものとなっています。

 第一に、中国や北朝鮮の姿勢が変わりました。事態は鎮静化し、緊張を高めないような対応がなされていると言って良いでしょう。
 中国では、尖閣諸島の「国有化」から一周年が経った九月一一日にも満州事変が勃発して「国辱の日」とされる九月一八日にも、昨年のような過激な「反日デモ」は起きませんでした。当局も国民も昨年のような激しい抗議行動を「自制」し、関係改善を望んでいることは明らかです。
 北朝鮮も四月に配備した長距離ミサイルを撤去し、新たな核実験は行わず、三年ぶりに離散家族の再会について合意するなど、南北関係の改善に向けてのアクションを起こしています。先日は、重量挙げのアジア・クラブ選手権の開幕式で南北分断後始めて韓国選手団が国旗の太極旗を掲げて入場し、韓国国歌が流れ、四月に閉鎖されていた開城工業団地の操業も一部再開されました。
 第二に、アメリカの対応が変化しています。シリアでの化学兵器使用問題について、アメリカ国内ではミサイルによる空爆など軍事攻撃に対する反対が強く、オバマ大統領もロシアのプーチン大統領による平和解決の提案を受け入れました。
 当初の軍事攻撃案に対して米国民では六四%が反対し、田中宇さんによれば米軍内でも七五%もの反対があったそうです。オバマ大統領が軍事攻撃を提案した場合、上院はともかく下院での採択は難しかったとされています。
 イラク戦争とアフガニスタンへの軍事介入の失敗によって、アメリカ国民は軍事的手段による対応への忌避感情を高めています。このような状況が続く限り、オバマ大統領も世論を無視した軍事的解決手段を選択できず、非軍事的な外交交渉によって中東問題全体の解決を図らなければならないでしょう。
 第三に、国際情勢全体の基調も転換しています。当初、シリアに対するアメリカの空爆に賛成していたイギリスは議会の反対によって方向を転じ、その後のG20でも空爆賛成派は多くありませんでした。
 ここで大きなイニシアチブを発揮したのが、これまで中東問題について積極的な関与を手控えていたロシアです。国内外で孤立し窮地に陥ったオバマ米大統領に助け船を出すような形で、プーチン大統領は新たな提案を行いました。
 国連はこれを歓迎し、シリアが保有する化学兵器を国際管理下に置き、来年半ばまでに完全廃棄することでケリー米国務長官とラブロフ・ロシア外相が合意するなど、事態は平和解決の方向に動き出しています。また、両外相はシリア内戦の政治解決に向けた国際和平会議の早期開催に努力する方針を確認しており、シリアの内戦や中東問題の解決に向けても新たな進展が生まれています。

 まさに、「日本をめぐる安全保障環境」は大きく変化しました。このような変化の結果、日本周辺での軍事衝突の危険性や中東での米軍主導による多国籍軍型の軍事介入の可能性はほとんどなくなっています。
 つまり、現在の国際政治をリアルに観察すれば、安倍首相が進もうとするような道は選択の対象になり得ないものなのです。それは安倍首相本人の頭の中にある空想、というよりは妄想に基づく軍事的安全保障観であり、「空想的軍国主義」と言うべきものにすぎません。
 国際政治を冷静に、かつリアルに見て判断できる本当のリアリスト(現実主義者)は、安倍首相の周辺にはいないようです。このままでは、軍国主義の妖怪に踊らされた戦前の過ちを再び繰り返すことになってしまうにちがいありません。
 安倍首相は集団的自衛権の行使容認を急いでいますが、何故、何のために、何時までに、そうしなければならないのか、その必要性も目的も時期もはっきりしなくなりました。国際政治の現実からすれば、安倍首相は風車を怪物と見間違って突進したドン・キホーテのようなもので、今もなお風車に向けて身構えているというわけです。

 本来であれば、シリア問題での平和的解決の見通しを開いたロシアのプーチン大統領のような役割を、日本の首相が果たすべきだったでしょう。それが憲法9条が求める国際政治における日本の立ち位置であり、国際紛争の非軍事的解決に向けてイニシアチブを発揮することができれば「国際社会において、名誉ある地位を占め」(憲法前文)ることができたはずです。
 しかし、安倍首相はシリア問題で何らの積極的役割を演ずることができませんでした。東京オリンピック招致のためにG20 を途中で抜け出し、福島第一原発の汚染水問題について「状況は完全にコントロールされている」と国際社会に向かって大嘘をつき、日本に対する信用を傷つけ「名誉」を貶めただけです。
 憲法を活かすという行動規範を身につけていれば、もっと違った対応ができたでしょうに……。国際紛争の非軍事的解決に向けてイニシアチブを発揮できなかったのも憲法を敵視する安倍首相の限界であり、そこにこそ日本の首相としての根本的な欠陥があることを指摘せざるを得ません。

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