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1月20日(月) 沖縄県名護市長選挙での稲嶺当選に引き続いて東京都知事選挙で宇都宮当選を [選挙]

 昨日投開票された沖縄県名護市の市長選挙で、現職の稲嶺進候補が当選しました。新基地の建設に対して現地である名護市の市民が明確に「ノー」を回答したわけですから、政府はこの結果を最大限に尊重するべきでしょう。
 これに引き続いて、来る東京都知事選挙では、脱原発だけでなく石原・猪瀬と続いた都民無視の都政の転換と安倍内閣に対する対決姿勢を明確にしている宇都宮健児さんの当選を訴えたいと思います。首都東京の知事選挙で誰が選ばれるかは、都政の行く末にとってだけでなく、日本の政治全体、ひいては今後の日本の進路にとっても大きな影響を及ぼすからです。

 今回の都知事選挙は突然実施されることになったもので、前回の選挙から1年しか経っていません。そうなったのは、現職の猪瀬都知事が徳洲会グループからの5000万円の「借入金」疑惑の責任を取って辞職したからです。
 最近の報道では、仲介した新右翼団体「一水会」の木村代表にこの資金から500万円を貸していた事実が明らかになりました。「借入金には手を付けなかった」という猪瀬さんの証言は真っ赤な嘘だったのです。
 猪瀬さんは起訴されるかもしれません。現金での授受が表に出た当初から、このお金が選挙支援のための「裏金」であることは確実でしたから、それも当然でしょう。

 こうして、突然、都知事選挙によって都民の選択が問われる機会がやってきました。12月2日付のブログ「猪瀬都知事辞任で、また宇都宮さんの出番が回ってくるかもしれない」で、「先の都知事選で猪瀬さんに対抗した宇都宮健児さんの出番がやってきそうです。そろそろ、そのための準備を始める必要があるかもしれませんよ」と書いた私からすれば、事態がこのような推移をたどったのは驚くようなことではありません。
 「やっぱりね。そうだろね」というところです。予想通り猪瀬さんは辞任し、宇都宮さんは捲土重来を期して再び立候補しました。
 12月2日の段階でそのために準備することをすすめていた私からすれば、宇都宮さんの立候補も予想されたことであり、歓迎すべきことです。しかし、この間、ブログでは都知事選についての論評を控え、事態の推移を見守ってきました。

 というのは、「脱原発」を掲げて細川護煕元首相も立候補を表明し、これを小泉元首相が後押しするという予想外の事態が生じたからです。同じ「脱原発」であれば「一本化」した方が良いのではないかという声があり、水面下でそのような動きもありました。
 私も、主要な政策の基本的な方向と安倍内閣への対決という立場で一致し、細川さんと宇都宮さんがお互いに了解することができれば、「一本化」も悪くないと考えていました。安倍内閣に対する打撃を最優先にしての次善の選択もやむを得ないというわけです。
 しかし、今となっては、そのような可能性はほとんどなくなりました。やはり、次善ではなく、最善の選択をめざすべきだと思います。

 その理由の第1は政策の問題にあります。細川さんの政策は脱原発一本で、それ以外にどのような政策を掲げるのか、安倍内閣に対してどのようなスタンスを取るのか、今もって不明です。
 都政だから脱原発を掲げてはならないということはありませんが、しかし、それは主要な政策の一つにすぎません。それ以外の主要な政策が明らかでなければ、「一本化」と言ってみても検討のしようがないでしょう。
 細川陣営が主要な政策を明らかにするのは選挙公示の前日だといいます。立候補自体も政策発表も究極の「後出しジャンケン」というわけで、このようなやり方は大いに問題があり支持できません。

 第2は、候補者としての細川さん自身の問題です。年齢、能力、信頼性など、どれを取ってみても大きな不安があります。
 細川さんは76歳ですから、4年の任期が終わる頃には80歳になります。60歳で政界から引退し、16年間陶芸家として伊豆の山奥で隠居生活を送ってきた方が直ちに知事として行政を指導できるのでしょうか。
 首相時代には東京佐川急便からの1億円借入金問題を追及されアッサリと職を投げ出し、問題を曖昧にしてしまいました。都知事になれば、当然、この問題が追及されるでしょうが、そうなればまたもや都政が停滞することになります。

 第3は、細川さんとタッグを組む小泉元首相の問題です。今でも人気が衰えない小泉さんの存在は、細川さんにとっての大きなプラス材料だと見られています。
 しかし、新自由主義的構造改革を進めて今日のような労働と社会の破壊を押し進めた小泉さんには反発も大きく、細川さんにとってはマイナス材料だという見方もできるでしょう。細川さん自身も、政治の劣化を招いた小選挙制を導入した張本人です。
 1月18日の『朝日新聞』は、共産党が一本化を否定する背後には「細川、小泉両元首相への根深い嫌悪感がある」として「かたくなな態度」だとの声を報じていますが、問題は「嫌悪感」を持つことであるよりも、そのような「嫌悪感」を持たざるを得ないような好ましからざる過去を持っていることの方にあります。いまは「脱原発」を言っているけれどそれがどこまで信用できるのかという懸念も、このような過去の実績に基づいており、決して根拠がないわけではありません。

 しかも、主要政策の発表と正式な立候補表明が2度も延期され、告示前日になってしまいました。細川さんと小泉さんとの政策的な一致が充分でないのか、支持者間での意見調整に手間取っているのか、1億円借入金問題での説明が上手くできないのか、理由は分かりませんが、このような形での選挙への取り組みは都民をバカにしたものだと言われても仕方がないでしょう。
 都知事選は「後出しジャンケン」の「人気投票」で、政策論争不在だと批判されています。細川陣営の選挙への取り組み方は、まさにその典型だと言わざるを得ません。
 マスコミの報道のあり方も問題です。まだ、政策も明らかにされず、正式の立候補も表明していない細川さんに焦点を当て、あたかも細川対舛添の対決であるかのような虚構の構図をつくって宇都宮さんを無視するような世論工作は直ちに止めるべきです。

 選挙は立候補するのも辞退するのも自由です。したがって、細川さんが都知事選に立候補するのも、細川さんや宇都宮さんのどちらかが辞退して「一本化」を図るのも自由です。
 これからもその可能性はあるでしょう。しかし、それは当人が決めることであり、その結果は尊重されなければなりません。
 どのような候補者が立とうとも、立候補した候補者の中から最善の選択肢を選ぶのが選挙というものです。知名度や人気、当選の可能性などを優先させ、政策や人物・識見、能力などを軽視するような選択を行うことのないよう、都民の皆さんには切に望みたいものです。

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