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2月6日(木) 「NHK乗っ取り作戦」が安倍首相の躓きの石になるかもしれない [マスコミ]

 何という醜悪な姿でしょうか。これまでであれば暗闇で蠢いていただけであろう魑魅魍魎が、安倍首相によって日の当たるところに出されてしまったからです。
 NHKの経営委員になった百田さんや会長の籾井さんだけではなく、もう一人醜悪な姿をさらすことになった人がいます。それは百田さんと同様にNHKの経営委員として送り込まれた長谷川三千子埼玉大名誉教授です。

 問題になっているのは、1993年に朝日新聞東京本社内で拳銃自殺した新右翼「大悲会」の野村秋介元会長を礼賛する追悼文です。野村元会長については、警視庁公安部などが銃刀法違反容疑で自宅などを家宅捜索していました。
 この長谷川さんの追悼文は野村さんの没後20年を機に発行された追悼文集に載せられたもので、「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛し、この行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と書かれていました。読めばすぐに分かるように、メディアへの暴力による圧力を評価し、刑事事件の当事者である野村さんを擁護しているだけでなく、憲法が定める象徴天皇制を否定するような内容になっています。また、朝日新聞について「彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない」と圧力を受けた被害者であるメディアの側を批判していました。
 それだけはありません。長谷川さんは2014年1月にも、男女共同参画社会基本法などを批判するコラムを産経新聞に寄せ、女性は育児、男性は仕事という「性別役割分担」の必要性を説いたことでも批判を受けています。

 また、先日のブログでも取り上げた百田さんの田母神候補に対する応援演説についても、参院予算委員会で問題にされました。質問したのは、旧知の有田芳生参院議員です。
 百田さんは3日、都内3カ所で行った田母神俊雄候補を応援する街頭演説で「1938年に蒋介石が日本が南京大虐殺をしたと宣伝したが、世界の国は無視した。そんなことはなかったからだ」などと主張し南京大虐殺を否定し、他の候補を「人間のクズ」呼ばわりしていました。
 その後、問題を指摘されると、「プライベートで誰を応援しようが自由。もしこれで『経営委員にふさわしくない』と言われたら、いつクビになってもいい」と居直っています。このような人はNHKの最高意思決定機関の委員としての資質に欠け、「経営委員にふさわしくない」ことは明らかです。とっとと「クビ」にするべきでしょう。

 NHK経営委員の資格について、放送法31条は「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者」と定めています。長谷川さんや百田さんの発言を聞いて、「公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する」と思う人がどれだけいるでしょうか。
 籾井会長の就任会見での発言を含めて、「こんな人がNHKの幹部なのか」と品格や適性に疑問を持たれるような人ばかりではありませんか。メデイアによる権力のチェック機能を否定するかのような籾井さんの発言は正義感を持たない人物が警察のトップに立ったようなものですし、百田さんや長谷川さんの発言は海外ではホロコーストの否定や政治テロの礼賛として受け取られるでしょう。
 それを安倍首相や官房長官が「問題なし」とすれば、同じような認識を持っていると受け取られます。すでに、海外のメディアからは厳しい批判の声があがっているというではありませんか。

 安倍首相の靖国神社参拝で海外から批判の集中砲火を浴びたうえでの今回の発言です。国際社会で「一体、日本はどうなってしまったのか」という懸念と疑念が渦いているのも当然でしょう。
 籾井会長は就任会見での発言を全て取り消しましたが、それによって、このような国際社会の懸念や疑念を取り除くことは可能なのでしょうか。一度、地に墜ちた日本の信用や評判を、それによって取り戻すことができるのでしょうか。
 NHKは「公平性」を理由に中北徹東洋大教授の出演を取り止めました。脱原発という特定の政策についての論評が公平性を欠くという判断だったようですが、百田さんのように特定の候補者を応援することは公平性を欠かないのでしょうか。

 長谷川さんと百田さんについて、民主党の榛葉賀津也参院国対委員長は会見で「言論の自由とはいえ、あまりにもバランス感覚を欠く」と批判し、総務委員会に2人を呼んで、集中審議を求める方針を表明しています。もし国会の審議で居直ったりすれば、傷はさらに深くなるでしょう。
 安倍さんは「お仲間」を経営委員に送り込んで会長の首をすげ替え、NHKを乗っ取ろうとする作戦だったのかもしれませんが、そのために選んだ「お仲間」があまりにも劣悪でした。早く責任を取らせて事態を収拾しなければ、思わぬ「躓きの石」になるかもしれません。

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