SSブログ

3月20日(木) 大原社会問題研究所で退職記念の講演会・歓送会を開いてもらった [日常]

 昨日、大原社会問題研究所の主催で、退職記念の講演会と歓送会を開いてもらいました。お忙しい中、北海道などの遠くからも出席していただくなど、沢山の懐かしい顔ぶれが揃いました。
 ありがとうございました。この場を借りて、お礼申しあげます。

 昨日の記念講演の標題は「我が半生(反省)の記-学究の世界に迷い込んだ活動家として」とさせていただきました。反省を込めながら、これまでの半生を語るという意味ですが、同時に、これまでが「半分」になるほどに長生きしたいという願望をこめたものでもあります。
 副題を「学究の世界に迷い込んだ活動家として」としたのは、元々研究者になることをめざしていなかったからです。学生運動の渦中で右目を失明し、それが報じられたりして企業からの就職案内は皆無だったため、緊急避難として大学院への入学をめざしたのがそもそもの始まりでした。
 なんとか1年留年して猛勉強し、法政大学大学院社会科学研究科社会学専攻修士課程に入学することができました。これが1974年の4月ですから、以来40年間、法政大学にお世話になったと言いますか、お世話をかけたことになります。

 その後、幸運にも大原社会問題研究所の兼任研究員から専任研究員となることができました。助教授として常勤職を得たことで、「命がけの飛躍」に成功したわけです。
 もっとも、学生運動の活動家上がりであったことは、大原社会問題研究所への採用の際にも多少問題にされたようです。その活動家が、大原社会問題研究所という極めてアカデミックな世界に迷い込むことになりました。
 当初は、コミンテルンの統一戦線論研究から出発したものの、すぐに日本政治研究に方向を転じ、以来、「労働政治研究」の看板を掲げて、①日本の政治過程と政治史、②教養としての政治学・政治理論、③労働問題と労働政策研究、④政治改革と選挙制度、⑤憲法と活憲など、日本の政治と労働にかかわる幅広い分野について執筆したり、話をしたり、してきました。

 今回、退職に当たって、これまでの足跡を振り返って『略歴、主要研究活動・業績』という小さなパンフレットを作成しました。表紙や目次、奥付まで入れて全部で56頁となり、驚いています。
 我ながら沢山書いて話してきたものです。その多くは依頼されたり取材されたりしたもので、沢山の人との結びつきや援助によって生み出されてきました。
 これらの人々や団体の関係者に対しても、この場を借りてお礼を申しあげます。これからも、このような依頼や取材に応え、引き続き「活動・業績」を積み重ねていくつもりであるとの決意を込めつつ……。

 送別会も楽しいものでした。数少ないゼミ生や学生に頼まれて協力した自主ゼミの参加者も、懐かしい顔を見せてくれました。
 中に1人、来春の統一地方選挙に立候補する予定だという候補者がいました。神奈川県議選に日本共産党から川崎区で立候補するという後藤真左美さんです。
 驚きました。自主ゼミに参加していたときは大人しくてそれほど目立たないお嬢さんだったのに、今は見違えるように逞しく積極的な政治家になっていたのですから……。

 そのような変貌を遂げるうえで、私の教えたことがいささかなりとも役立っていたとすれば嬉しい限りです。是非、当選していただきたいものです。
 「もう暇になると思うから、ビラ配りの応援にでも行きますよ」と、約束して分かれました。この約束が、私にとって学究の世界から一兵卒の活動家という元の姿に戻る第1歩だったということになります。

nice!(2)  トラックバック(0) 

nice! 2

トラックバック 0