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4月4日(金) 映画「アオギリにたくして」を見てきた [日常]

 カミさんに連れられて映画を見て来ました。
 平日の昼間、映画を鑑賞するなどという、これまでではできないことをやったわけです。リタイアしなければ、とても味わえない贅沢でした。

 この映画は「アオギリにたくして」という作品です。映画について私は何も知りませんでしたが、カミさんが自主上映会の鑑賞券を手に入れて誘ってくれました。
 事前にビラを見せてもらったものの、背景にアオギリの緑の葉が茂っていてそこに緑っぽい文字が印刷されています。読もうとしましたが、よく分かりません。
 この辺が、自主上映の作品らしいところでしょうか。もう少し、配慮していただきたいものです。

 この映画は、「アオギリの語り部と呼ばれ、広島平和記念公園の被爆アオギリの木の下でたくさんの子供たちに被爆体験を語り感銘を与えてきた被爆者・故沼田鈴子さんをモデルに被爆者の数奇な人生を描いた作品」です。記録映画ではありませんが、事実を元にした物語です。
 映画の収益金は、世界各国の学校や施設での上映会や文化交流と共に、平和への思いを被爆アオギリ2世・3世の種や苗にたくして植樹するAOGIRIプロジェクト「Seeds of Peace」の活動に使われるそうです。このアオギリは主人公が被爆した広島逓信局の中庭にあったもので真っ黒に焦げましたが、枯れることなく再生して広島平和公園に移植されています。
 沼田さんは、核の廃絶と平和への願いを込めて被爆アオギリの苗を増やして植樹する運動をしていました。「アオギリにたくして」という映画の表題はこれに由来しているわけですが、詳しくは映画を紹介する公式ウェッブ・サイトhttp://aogiri-movie.net/をご覧下さい。

 この映画の主人公は結婚式を挙げる3日前に広島逓信局で被爆し、命を救うために腐りかけた片足を切断されてしまいます。しかし、その婚約者は南方ですでに戦死していました。
 二重の不幸に見舞われただけではなく、被爆者ゆえに新しい恋人の母親から結婚を拒まれ、その恋人も失います。妹など家族に支えられて何とか立ち直り、家庭科の先生になって多くの若者を教え、晩年は広島平和公園に移植されたアオギリの下で語り部となります。
 被爆の現実と向き合うに至るまでは、多くの不幸と葛藤を乗り越えなければなりませんでした。戦争や原爆に対する憤りと涙なしには見られない作品になっています。

 映画が終わってから、プロデユーサーの中村里美さん、音楽監督の伊藤茂利さん、原作・脚本・監督の中村柊斗さんの3人があいさつされましたが、3人とも若いのに驚きました。被爆の実相を伝えたいということで、この映画を作られたのだそうです。
 これから海外版をつくって、アメリカなど外国でも上映したいと語っていました。戦争をやめるためには原爆投下はやむを得なかったと思っている多くの人に、この映画を見てもらいたいと思います。皆さんが語っておられたように、「核廃絶の願いは、被爆の現実を知ることから始まる」のですから……。
 必要なことは、「ノーモア・パールハーバー」であり、「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」であり、「ノーモア・ヒバクシャ」です。他国を攻撃して戦争を始めることも、降伏させるためと偽って原子爆弾を落とすことも、エネルギーの安定供給という口実で原発の維持・再開をめざすことも全て誤りであり、繰り返されてはなりません。

 この映画が上映されたのはクリエイトホールで、JR八王子駅前にある市の生涯学習センターの5階でした。その2階と3階は図書館になっています。
 私の「お仲間」らしいリタイア組の高齢者が沢山おられました。皆さん、熱心に本などを読んでおられます。
 ここで、私も自分用の貸し出しカードを作ってもらい、早速、藤沢周平の作品『風の果て』を借りてきました。これも、今後の楽しみの一つです。

 こうして、私のリタイア生活らしきものがスタートすることになりました。これからは、映画や演劇を見たり、音楽を鑑賞したり、小説を読んだりと、これまでとは違った生活が始まることになるでしょう。
 このブログに書くことも、少しずつ違ったものになっていくかもしれません。今後とも、ご愛読いただければ幸いです。
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