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5月12日(月) 「暴走」が始まって気が付いた「ブレーキ」の重要性 [憲法]

 車が通常のスピードで普通に走っているとき、運転している人はブレーキのことを気にしたりはしないでしょう。しかし、その車が暴走を始めたとき、始めてブレーキがあって良かったと思うのではないでしょうか。
 もし、ブレーキがなかったり、その効き具合が悪かったりすれば、衝突して大事故を起こしたかもしれません。慌ててブレーキを踏んで、ホット胸をなでおろすことでしょう。

 今、安倍首相の「暴走」が始まっているこの日本で、同じようなことが起きているのではないでしょうか。このまま行ったら、衝突してしまうかもしれません。
 大きな事故が起きるかもしれないという危機が実感されるようになって始めて、ブレーキの存在とその役割について意識が及んできたということでしょう。それが、平和憲法と9条の存在についての再認識をもたらしつつある最大の要因であるように思われます。
 戦後、69年の長きにわたって日本は、戦争という大事故を起こすことなく、安全運転に徹してきました。戦争で殺し殺されることなく、かくも長期間、平和が保たれてきたのは明治維新以来、日本の近現代史において初めてのことですが、それは平和憲法と9条のおかげであったことを、国民の多くが再認識し始めたように思います。

 本日の『しんぶん赤旗』には、「9条改憲反対 急増」「世論激変」という記事が、一面のトップに出ています。そこで紹介されているように、一年前に比べてNHK調査では改憲の「必要がない」は10ポイント増、「必要がある」は13ポイント減、産経の調査でも、改憲「反対」は20.6ポイント増、「賛成」は22.5ポイント減となっています。
 3面には、これに関連する「特報」欄があり、ここでも集団的自衛権の行使について、NHKでは「認めるべきだ」が13.8ポイント減、「認めるべきではない」が15.6ポイント増となっています。まさに、「世論激変」と言って良いような急激な変化です。
 「『戦争への道』に危機感」という見出しが出ているこの記事では、私のコメントも引用されています。それは、次の2か所です。

 元法政大学教授の五十嵐仁さんは「集団的自衛権行使容認に向け世論を説得するため安倍首相は〝安全保障環境の激変〟などいってきた。しかしその中身は軍事力強化路線だということがくっきり見え、そこに日本が巻き込まれてしまう不安感、危機感がリアリティー(現実性)をもって多くの国民に実感されてきているのだと思う。それを背景に、憲法の持っている意味を再確認してきている」とみます。

 改憲賛成・支持の急減にも質的な変化があると前出の五十嵐さん。「これまでは憲法と現実との矛盾があり、軽い気持ちで『憲法を直したらどうか』という賛成が多かったが、今はどういう事態に引き込まれていくのかを真剣に考えてきている」と語ります。

 このような「軽い気持ち」での賛成が多かったのは、憲法を変えても自分の生活に具体的な影響があるとは考えていなかったからだと思います。しかし、今は違います。
 集団的自衛権の行使容認は戦後の憲法体制の大転換であり、9条を空文化して平和憲法の実質を掘り崩し、戦争によって殺し殺されることも辞さずという覚悟が国民の一人一人に求められるようになるでしょう。すでに、そのための準備は始まっています。
 安倍首相の掲げる「積極的平和主義」とは「平和」のためには「戦争」も必要だという立場であり、すべての国民にそのための覚悟と犠牲を強いるものです。それは、集団的自衛権の行使容認だけでなく、国家安全保障会議の設置、特定秘密保護法の制定、国家安全保障戦略の策定、新防衛大綱と新中期防衛力整備計画による軍事力の増強、オスプレイや水陸両用車の導入、普天基地の辺野古移設による米軍基地の再編・強化の強行、教育への政治介入による国家のために命をささげる愛国心教育の徹底など、この間に実施されてきたきな臭い政策の方向性を見れば容易に理解できます。

 このような形で、戦争へのブレーキを外しても良いのでしょうか。戦後70年近くにわたって平和を保ち、戦争で殺し殺されることのなかった歴史を、今、この私たちの世代で断ち切ることになっても良いのでしょうか。
 最近の世論の激変は、このような問いに対して、国民の多くが「ノー」を言い始めたことを意味しています。その世論をさらに高めて「戦争への道」を阻み、平和で民主的な、まともな社会を孫子の代に手渡すことこそが、今の時代に生きる私たちに課せられた歴史的な使命なのではないでしょうか。

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