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2月26日(木) 安保法制の目的は「戦争する国」にするための法的整備にほかならない [集団的自衛権]

 「イスラム国」(IS)による斬首という惨事は許されざるものであり、日本国民だけでなく世界中の憤激を招いています。だからと言って、安倍首相や政府の取り組みへの批判手控えたり、その責任を不問に付したりすることは許されません。
 戦火にさらされている子供たちを救おうとした後藤健二さんの志を受け継ぐためにも、憎悪と報復の連鎖を断ち切って戦火の拡大を防ぐとともに、その根本原因を除去するための努力が欠かせません。そのためにも、この惨事を利用して改憲・安保法制の整備を進めて「戦争する国」に変えようとしている安倍首相の目論みを打ち砕くことが急務になっています。

 これに関連して、最近の外国の報道では安倍首相の対応に疑問を投げ掛ける声が相次いでいるという注目すべき指摘を目にしました。これは中村泰士さんのブログhttp://saigaijyouhou.com/blog-entry-5479.htmlです。
 それによれば、ニューヨーク・タイムズ紙は「日本の与野党が人質事件を政争の道具にしている」と批判し、憲法改正と自衛隊規制緩和について懸念を示しているそうです。ドイツのドイチェ・ヴェレ紙も「安倍首相は人質事件を自分の目標を達成するために利用している」と指摘しているといいます。
 また、イタリアのメディアも「後藤さん殺害、すべてのエラーは安倍総理のせい」と報じ、イギリスの大手メディアでも「実績のないヨルダンに交渉を頼ったのはなぜか」と安倍政権の対応を酷評しているそうです。これらの報道は日本国内のものとはかなり異なっていますが、当然の指摘であり傾聴すべきものでしょう。

 このような国際的な論調とは反対に、安倍首相の責任を問う声は小さく、内閣支持率はかえって上昇しました。安保法制の整備など、日本国内での「戦争する国」づくりも着々と進められようとしています。
 その一環として、安保法制をめぐる自民党と公明党の間での与党協議が再開されました。次々と繰り出されてくる政府・自民党の提案は、全て「戦争する国」づくりという一つの方向を目指していると言って良いでしょう。

 すでに、これまでも国家安全保障会議設置法によって戦争指導の体制ができあがり、特定秘密保護法によって軍事機密など軍事情報の秘匿に向けての準備ができています。軍事技術の開発と武器機能の向上やコストの削減のための武器輸出を振興する政策転換もなされました。
 外国軍隊への影響力の行使と連携強化のために非軍事領域であることを名目とした他国軍隊への資金援助も解禁されています。自衛隊における文官優位の規定を変えて制服組の発言力を強化し、文民統制(シビリアンコントロール)を弱めて現場の独走を可能にするための法改正も行われようとしています。
 これらの実績の延長線上に、現在の与党協議における政府・自民党の安保法制に関する提案がなされていることを忘れてはなりません。そのすべては、これまで自衛隊の活動を制約していた様々な「限定」を解除することにあります。

 それは、いつでも、どこでも、どのような形でも、自衛隊が活動できるようにすることを目指しています。自衛隊の活動への制約をできるだけ取り払い、活動範囲を広げようというのが狙いなのです。
 たとえ国連の決議がなくても、たとえ日本の領土・領海・領空に対する攻撃がなされていなくても、たとえ石油輸送路での機雷封鎖など経済的な混乱を引き起こす場合でも、たとえ日本周辺を遠く離れた中東などの地域であっても、たとえアメリカ以外の艦船や部隊への警護であっても、たとえ戦闘がなされた場所で、これからなされる可能性があっても、自衛隊を派遣して行動することができるようにしたいというわけです。
 できないとされているのは、現に戦闘が行われている地域での武力行使を目的とした戦闘行為への参加だけです。ただし、駆けつけ警護での武器使用基準も緩和されようとしていますから、武力行使を目的としていなかったにもかかわらず、警護の途中で攻撃され、結果的に戦闘行為に発展することが想定されていることは明らかでしょう。

 海外派兵の恒久法が制定されれば、いつでも自衛隊を海外に送ることが可能になります。国会での事前承認は原則であって、事後承認とする場合も認められるでしょう。
 このような形で、「歯止め」の一つ一つが外されていった先には何があるのか、なぜそのような形で「歯止め」を外さなければならないのか。その答えは明らかでしょう。
 そんなに戦争がしたいのか、と言いたくなります。戦後において、これほど軍事に前のめりとなった政権はかつて存在したことがありません。

 憲法9条には「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とし、「国の交戦権は、これを認めない」と書かれています。このような憲法があるにもかかわらず、「戦争」「武力の行使」「武力による威嚇」「交戦権」の発動に向けての法整備が進められようとしているのを黙って見ていて良いのでしょうか。
 現在進められようとしている「戦争する国」に向けての法整備が具体化されれば、憲法9条は空文化してしまいます。自民党が改憲戦略を変更して9条改憲を後回しにしようとするのも、その内実が掘り崩されてしまえば急いで9条を変える必要がなくなるからかもしれません。

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