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3月19日(木) 朝日新聞によって報じられた二つの注目すべき記事 [報道]

 昨日の朝日新聞に注目すべき記事が二つ出ていました。「カトリック『軍事優先』に危機感」「戦後70年 日本の司教団がメッセージ」という記事と「インタビュー IS 本質を見極める」という記事です。
 いずれも、現在の日本のあり方とこれからの進路に重要な示唆を与えるものです。以下に、その概要を紹介しましょう。

 まず始めは、戦後70年に当たっての日本のカトリック教会の司教団によるメッセージです。これは「平和を実現する人は幸い~今こそ武力によらない平和を」と題されたもので、ウェッブttp://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/150225_wwii70yr.htmで全文を読むことができます。
 とくに、その2「戦争放棄への決意」が重要です。それは次のようになっています。

 1945年までの日本の朝鮮半島などに対する植民地支配、中国や他のアジアの国々に対する侵略行為はアジアの人々に大きな苦しみと犠牲をもたらしました。また、日本人にとっても第二次世界大戦は悲惨な体験でした。1945年3月10日の東京大空襲をはじめ、日本の多くの都市への大規模な空爆がありました。沖縄における地上戦によって日本や外国の兵士だけでなく、多数の民間人が犠牲になりました。そして8月6日広島への原爆投下と8月9日長崎への原爆投下。これらの体験から平和への渇望が生まれ、主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を基調とする日本国憲法が公布されました(1946年)。日本はこの平和憲法をもとに戦後70年、アジアの諸国との信頼・友好関係を築き、発展させたいと願って歩んで来たのです。
 一方、世界のカトリック教会では、東西冷戦、ベルリンの壁崩壊などの時代を背景に、軍拡競争や武力による紛争解決に対して反対する姿勢を次第に鮮明にしてきました。
 ヨハネ二十三世教皇は回勅『地上の平和』において「原子力の時代において、戦争が侵害された権利回復の手段になるとはまったく考えられません」と述べています。第二バチカン公会議の『現代世界憲章』は、軍拡競争に反対し、軍事力に頼らない平和を強く求めました。1981年、ヨハネ・パウロ二世教皇が広島で語った平和アピールのことば、「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」にも、はっきりとした戦争に対する拒否が示されています。
 以上の歴史的経緯を踏まえるならば、わたしたち日本司教団が今、日本国憲法の不戦の理念を支持し、尊重するのは当然のことです。戦争放棄は、キリスト者にとってキリストの福音そのものからの要請であり、宗教者としていのちを尊重する立場からの切なる願いであり、人類全体にとっての手放すことのできない理想なのです。

 これに続いて、「3.日本の教会の平和に対する使命」が語られています。そこには「日本カトリック司教団は、特別に平和のために働く使命を自覚しています。それは何らかの政治的イデオロギーに基づく姿勢ではありません。わたしたちは政治の問題としてではなく、人間の問題として、平和を訴え続けます。この使命の自覚は、もちろん日本が広島、長崎で核兵器の惨禍を経験したことにもよりますが、それだけではなく戦前・戦中に日本の教会がとった姿勢に対する深い反省から生まれてきたものでもあります」と書かれています。

 そのうえで、「4. 歴史認識と集団的自衛権行使容認などの問題」として、今日的なテーマが扱われています。その内容は、次のようなものです。

 戦後70年をへて、過去の戦争の記憶が遠いものとなるにつれ、日本が行った植民地支配や侵略戦争の中での人道に反する罪の歴史を書き換え、否定しようとする動きが顕著になってきています。そして、それは特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認によって事実上、憲法9条を変え、海外で武力行使できるようにする今の政治の流れと連動しています。他方、日本だけでなく、日本の周辺各国の政府の中にもナショナリズム強調の動きがあることにわたしたちは懸念を覚えずにはいられません。周囲の国と国との間に緊張がある中で、自衛権を理由に各国が軍備を増強させるよりも、関係改善のための粘り強い対話と交渉をすることこそが、この地域の安定のために必要なのです。
 また日本の中でとくに深刻な問題は、沖縄が今なお本土とは比較にならないほど多くの基地を押しつけられているばかりか、そこに沖縄県民の民意をまったく無視して新基地建設が進められているということです。ここに表れている軍備優先・人間無視の姿勢は平和を築こうとする努力とは決して相容れません。

 そして、最後に次のように呼びかけ、「平和を実現するために働き続ける」との決意を明らかにしています。

 わたしたちは「平和を実現する人は幸い」(マタイ5・9)というイエス・キリストのことばにも励まされます。戦後70年、第二バチカン公会議閉幕50年にあたり、平和を求め、平和のために働く決意を新たにしましょう。わたしたち日本のカトリック教会は小さな存在ですが、諸教派のキリスト者とともに、諸宗教の信仰者とともに、さらに全世界の平和を願うすべての人とともに、平和を実現するために働き続けることを改めて決意します。

 これを報じた朝日新聞の記事は、「司教団は戦後50年と60年の節目にも平和メッセージを出したが、これほど踏み込んではいない」とし、「今回のメッセージは『安倍内閣』を名指しこそしていないが、事実上の政権批判だ」と指摘しています。
 また、かつて戦争遂行に協力した反省を踏まえて語った岡田武夫大司教の次のような言葉も伝えています。

 「状況は緊迫しており、今の政治の動きを非常に憂慮しています。私たちは、人類が歩むべき道にともしびを掲げたい。それは、全ての宗教者がなすべきことではないかと考えます。」

 かつてファシズムの脅威に対して、「神を信じる者も信じない者も」共に手を携えて立ち向かったことがありました。しかし、力足りず、第2次世界大戦の悲劇を招くことになってしまいまいました。
 そのような過ちを再び繰り返してはなりません。キリスト者の良心からの訴えに、全ての人が耳を傾けるべきでしょう。とくに、「私たちは、人類が歩むべき道にともしびを掲げたい。それは、全ての宗教者がなすべきことではないかと考えます」という訴えに。
 ここで呼びかけられている「全ての宗教者」には、創価学会の信者も含まれているはずです。その人たちは、自分たちが支持母体となっている公明党の安保法制に関する与党協議会でのあり方と役割をどう見ているのでしょうか。

 もう一つの記事は、「イスラム国」(IS)についてのインタビュー記事です。インタビューされているのは、ジャーナリストで対テロ・資金洗浄問題コンサルタントのロレッタ・ナポリオーニさんです。
 「日本人人質2人が犠牲になるなど、残酷な行為によって私たちの目を引くようになった過激派組織『イスラム国』(IS)。だが、その破壊的な側面にだけ目を奪われていると彼らの本質を見失うと指摘する論者が欧州にいる。日本は、そして国際社会は、どうISと向き合うべきなのか。考えを聞いた」というのがこの記事のリードです。
 これについて、彼女は次のように答えています。ポイントになる部分だけ紹介しましょう。

 ――ISによって日本人の人質も犠牲になりました。事件を巡る日本政府の対応をどう見ますか。

 「そもそも、日本人がISに拘束されたことが分かっていたのに、安倍晋三首相がなぜIS対策として2億ドル拠出を表明したのか。私には理解できません。率直にいって、大きな政治的過失だったと思います」

 ――安倍氏が表明したのは人道支援で、それを問題視するのは筋違いではありませんか。

 「真に人道的なことをしたいのなら、シリア難民受け入れを表明するとか、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に支援をするとか、ほかの道があります。民主的な選挙で選ばれた政府に代わってできたエジプト軍事政権の前で、資金拠出を表明する必要はありませんでした」
 「安倍首相はISの政治的な能力や知識を過小評価していたのではないですか。ISにとって、日本人人質事件は自分たちの力を世界中へさらに売り込む手段でした。日本国内でもISへの感情的な反応が生み出され、彼らにとっては驚くほど都合の良いPRになったのです」

 ――事件を受けて、日本は今後どう進むべきだと考えますか。

 「最善の道は局外にとどまることです。2人の人質を殺されたことは悲劇ですが、私なら報復はしません。ISを巡る状況を作ったのは、日本ではなく、私たち欧州と、その同盟国で、イラクに侵攻した米国なのです。欧米が始末をつけなければならない問題です」
 「ISへの対抗姿勢を明確にした人道支援表明の背景に、安倍氏の憲法改正への意欲があったという理解が国際社会に広まっています。首相は日本国民の代表としてそこにいるのであって、独裁者ではない。国民の総意に基づかずに、どんな形の関与も表明するべきではなかったのです。これまでなら、政治責任が問われたのではないですか」

 ――欧州でも、イスラム国への恐怖は最近、格段に高まりました。

 「ISのローマ侵攻を心配する報道までありますね。私たちは欧州でISができることを過大評価し、中東での脅威を過小評価しています。実際にすべきこととは正反対です」
 「私たちがISが残酷な組織だと強く感じるのは、初めてソーシャルメディアを通じてそれを見せられているからでもあります。フェイスブックやユーチューブは、ごく最近の現象で、ISはそれらをフルに活用する最初の過激派組織になりました。残酷な映像を見せられれば見せられるほど、彼らを絶対的で大きな存在と感じてしまいます。映像が彼らの持つ力を実態以上に増大させる。彼らはそういうメディアの性質をよく理解しています。だからこそ私たちはISの幻想を解体する作業を始めなければならないのです」
 「実際の脅威は中東にあることを見つめ直す必要がある。空爆を実施していますが、一般市民が犠牲になります。子供が1人死ぬごとにIS加入志願者が10人増えるでしょう」

 ――国際社会全体が考えねばならないことも、その点ですか。

 「出発点は、空爆をはじめとする軍事介入は無効だという認識だと思います。欧州を守るため、中東での『新たな植民地支配』を試みようとしても、それは地上軍部隊を現地に派遣し、今後30年は駐留を続けることを意味します。現実には欧米の世論は決して受け入れません」
 「中東のことは中東の人々にまかせることです。彼ら自身に政治変革の方向決定や地図の書き直しを委ね、そして中東の政治的再編を認めようとするべきです。例えばエジプトで再び政変などが起きた場合、2年前、軍事政権を支持したような動きを二度としてはなりません」

 ナポリオーニさんが語った「国民の総意に基づかずに、どんな形の関与も表明するべきではなかったのです。これまでなら、政治責任が問われたのではないですか」、「最善の道は局外にとどまることです。2人の人質を殺されたことは悲劇ですが、私なら報復はしません」、「出発点は、空爆をはじめとする軍事介入は無効だという認識だと思います」、「中東のことは中東の人々にまかせることです」などという言葉が重く響きます。

 2人の人命を犠牲にしてしまった「政治責任」を安倍首相に取らせなければなりません。「積極的平和主義」を掲げて集団的自衛権の行使容認に道を開き、中東への軍事介入に加わろうとしている安倍政権の暴走をストップさせることも、私たち日本国民の重大な責務となっています。
 これらのことを、今回紹介した二つの記事は、私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

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