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6月6日(土) 『朝日新聞』が報じた重要な記事のいくつか [マスコミ]

 昨日の『朝日新聞』には、重要な記事が満載されていました。私の目を引いた記事のいくつかを紹介してコメントすることにしましょう。

 第1に、昨日のブログでも取り上げた憲法審査会での参考人質疑についての続報です。4面に掲載された記事には、「戦争参加するなら『戦争法』」「集団的自衛権『範囲不明』」「『安保法制審議に影響』自民幹部」などの見出しが出ています。
 これは政府・自民党にとってはオウン・ゴールとも言うべき失態で、「戦争法案」の審議にとっては大きな痛手となるでしょう。菅官房長官は大慌てで「『違憲じゃない』という憲法学者もいっぱいいる」と火消しを図り、他方、小林慶応大名誉教授は「日本の憲法学者は何百人もいるが、(違憲ではないと言うのは)2、3人。(違憲とみるのが)学説上の常識であり、歴史的常識だ」と言い切ったと、『朝日新聞』は報じています。
 菅官房長官の言うように、「『違憲じゃない』という憲法学者もいっぱいいる」のであれば、そのうちの1人を参考人にすれば良かったはずです。小林さんの言うように、「(違憲ではないと言うのは)2、3人」しかいないから、適当な人が見つからなかったのではありませんか。

 第2に、安倍晋三首相と岸信介元首相との関係についての記事です。これは「70年目の首相」という連載記事で、今回は「祖父批判への反発が原点」という見出しがついています。
 この記事では、「安倍にとって、不在がちの父晋太郎の代わりに、祖父の岸信介の方が身近な存在だったようだ」「安倍は『安倍晋太郎の息子』より、『岸信介元首相の孫』だった」などという記述があります。安倍晋太郎さんは父親の安倍寛に近かったと見られていますが、その息子の晋三は反軍派でリベラル、三木武夫の親友だった寛より東条内閣の閣僚で旧満州国の高級官僚だった信介の方が身近だったというわけです。
 この記事には「家族だんらんを楽しむ安倍家」の写真が掲載されており、「安倍晋太郎氏(左)が抱いているのは次男の晋三氏。洋子夫人の前は長男の寛信氏」というキャプションがついています。この晋三さんのお兄さんの寛信という名前は、父方の祖父・安倍寛と母方の祖父・信介の二人から一字ずつ取ったものだと思われますが、この方は兵器産業として名高い三菱重工と深い関係にある三菱商事の元執行役員で、三菱商事パッケージングの社長さんです。
 このことが安倍首相の目指す「死の商人国家」とどのようなかかわりがあるのか、極めて興味深いものがあります。これからの連載では、この点についても取り上げて解明していただきたいものです。

 第3に、この面の下の方に出ている囲み記事です。これには「自衛隊員の『戦死』と『殉職』、違いは?」という見出しがついています。
 これに対する答えでしょうか。もう一つの見出しは「戦争中か業務中か。戦死は殉職に含まれる」というもので、「『殉職』にあたる公務災害で亡くなった隊員は、警察予備隊ができた50年から2015年3月まで1874人います」としつつ、「しかし、今回の安全保障関連法案を巡って指摘されているのは、自衛隊員が結果的に他国の軍隊やテロリストと戦うことになり、命を失わないかという意味でのリスクです」と指摘し、「『殉職』と『戦死』を同じように考えていいのかどうか、議論のあるところです」と回答しています。
 「殉職」は訓練や演習などで亡くなった人ですから「戦死」とは異なります。戦争での「リスク」は「命を失う」ことだけでなく「命を奪う」ことでもあるからです。
 このような「殺し、殺される」リスクを負う必要がなく、戦死者が1人もいないということには極めて大きな意味があります。殉職者と戦死者を同一視する安倍首相の答弁は、このような意味を全く理解していないものだと言うべきでしょう。

 第4に、この日の『朝日新聞』の18面下の「社説余滴」という欄です。ここには、「親米改憲と反米護憲」という村上太輝夫国際社説担当記者の署名入りの記事が掲載されています。
 村上記者は、二つのことを指摘しています。一つは「米国が日本において安全保障上の要請を優先させるようにな」り、「日本で親米改憲が勢いづく」ことになっていること、もう一つは、「自民党が3年前に発表した憲法改正草案は、第9条の2に『国防軍』を明確に規定する一方、人権に関する条文では『公益及び公の秩序に反しないように』と制限を設けて」おり、「この部分が中国の現行憲法と似ている」ことで、「中国の脅威を口実に、日本国内を中国のように圧迫しては元も子もないと思うのだが」と警告しています。
 アメリカが作った「戦後レジームからの脱却」をめざし、「押し付け憲法」だとしてその改正を掲げている安倍首相ですが、それは「親米改憲」、もっとはっきり言えば「従米改憲」であり、中国の脅威を掲げて実現しようとしているのは中国のような「圧迫」だというのですから、まことに皮肉なパラドクス(逆説)だというしかありません。これこそ安倍首相が陥っている究極のジレンマであり、「右翼の民族主義者」ならそれらしくアメリカに文句の一つも言ったらどうか、辺野古の新基地建設に反対している沖縄の人々と共にキャンプ・シュワブのゲート前で座り込んだらどうか、と言いたくなります。

 第5に、この隣の19面にある保守派の論客とされる佐伯啓思さんの「異論のススメ」です。この論攷には「日米同盟の意味 日本にあるか米国の覚悟」という見出しがついています。
 ここで佐伯さんは、「可能な範囲でできるだけアメリカの『世界戦略』に協力すべきだという」安倍首相の「積極的平和主義」を取り上げ、「日米同盟の基礎は、日米両国の価値観の共有にある」としている点について、「本当にそうであろうか」と疑問を呈したうえで、「アメリカの価値観は、ただ自由や民主主義や法の支配を説くだけではなく、それらの価値観の普遍性と世界性を主張し、そのためには先制攻撃も辞さない強力な軍事力の行使が正義にかなうとする」として、「そんな覚悟が日本にあるのだろうか。その前に、果たしてこの種の価値観を日本は共有しているのであろうか」と問題提起しています。そして、日米同盟の意味を改めて問い直し、日本独自の「世界観」や「戦略」を持たなければ、「日本はただアメリカの戦略上の持ち駒となってしまいかねないであろう」と警告しています。
 思想的な立場は異なるとはいえ、ここでの佐伯さんの問題提起と警告には私も同感です。「簡単に言えば、アメリカ流儀の自由や民主主義によってアメリカが世界秩序を編成すべきだ、という」価値観を共有する覚悟は日本にはなく、またそのような覚悟を共有してはなりません。ベトナム戦争やアフガン・イラク戦争をはじめ、グラナダやパナマへの先制攻撃など、アメリカが犯した数々の過ちの根源にあるのが、このような「価値観」だからです。
 安倍首相は、そのような価値観が「正義」にかなうものではないことが明らかになっているのに、それを実行する力を失ったアメリカの強い要請に応じて、日本独自の「世界観」も「戦略」もなしに、「価値観の共有」と「積極的平和主義」を打ち出しているにすぎません。それは佐伯さんが警告しているように、「ただアメリカの戦略上の持ち駒となってしまいかねない」危険な道であると言うべきでしょう。

 第6に、この面の上に掲載されている「米歴史家らの懸念」と題された米コロンビア大学教授のキャロル・グラックさんへのインタビュー記事です。「史実は動かない 慰安婦への視点 現在の価値観で」という見出しが出ているこの記事は、「日本の歴史家を支持する声明」についてのものです。
 この声明への賛同者は、5月下旬には約460人となっているそうですが、これをまとめる中心になったグラックさんの発言で私が注目したのは以下の三点です。第1に、「慰安婦問題は過去にほぼ解決していた」にもかかわらず、「安倍首相が河野談話を検証し、見直す趣旨のことを言い始めたため、問題が再燃した」ということ、第2に、「価値観は時間を経て変化しますが、事実は変わりません。……史実を否定するのではなく『今だったらしない』と認めることが大切」だということ、第3に、「安倍首相がソウルで慰安婦像に献花をすれば、いったいだれが批判できるのですか」ということです。
 要約すれば、従軍慰安婦問題を再燃させた安倍首相は史実を直視し、「象徴的な行動」をとるべきだというわけです。ここで例として出されているのは「西ドイツのブラント元首相が70年にワルシャワの記念碑の前でひざまずいた」ことですが、この姿はレリーフに刻まれて残されており、私もワルシャワのユダヤ人収容地・ゲットー跡地の記念碑を訪れたとき目にしました。

 慰安婦問題だけでなく、侵略戦争や植民地支配などの問題をほじくり返して再燃させ、周辺諸国との緊張を激化させたのは安倍首相です。その責任を取るべきでしょう。
 「戦争法案」や「戦後70年談話」などについても、歴史的な文脈や世界観、日本独自の戦略などの視点から十分に検討されなければなりません。グラックさんは「政治的に賢い行動を期待しています」と述べていますが、果たして安倍首相はこの期待に応えられるだけの「賢さ」を持ち合わせているのでしょうか。

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