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12月12日(土) 国民のたたかい―それを受け継ぐことが、私たちの務め(その1) [論攷]

〔以下の論攷は、学習の友別冊『戦後70年と憲法・民主主義・安保』に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

 はじめに

 2015年は敗戦から70年目に当たります。このため、先の戦争と「戦後70年」をどのように振り返り、総括するのかが改めて問われることになりました。二度と侵略戦争と植民地支配を繰り返さず、戦後の出発点に際して行った不戦と平和の誓いを引き継ぐことが、今ほど重要になっているときはありません。それは今に生きる私たちの責務であり、現役世代の務めだと言えるでしょう。
 戦後の日本は、アメリカの政治的軍事的従属下におかれ、基本的には自民党などの保守政党によって統治されてきました。その結果、日本の平和と民主主義、国民生活は、日米両支配層による攻撃にさらされ、破壊されてきました。同時に日本の戦後は、日本国憲法のもとで、このような攻撃を跳ね返し、平和と人権、民主主義、国民の生活を擁護するために、労働者をはじめとした国民がねばり強くたたかい続けてきた70年でもありました。
 このようなたたかいの意味は、どこにあったのでしょうか。それはどのような力を生み出し、いかなる成果をもたらしてきたのでしょうか。とりわけ、労働運動や社会運動の果たした役割はどこにあったのでしょうか。
 憲法を守るとともに、それを戦後政治と国民生活に定着させ、その理念や条文を具体化する力として、戦後の労働・社会運動は大きな力を発揮してきました。このようななかで、統一戦線の結成を目指す運動も、かつての革新共闘から今日の国民的共同へと引き継がれてきています。
 それをさらに発展させ、憲法を政治と生活に活かすことができる新しい民主的政府への展望を切り開くことが必要です。そのために、生産をにない組織された社会的勢力としての労働運動の役割はますます重要になってきています。

一、戦争に反対し平和を守るたたかい

 国民に歓迎された平和憲法

 憲法は前文で平和的生存権を定め、第9条で戦争放棄と戦力不保持を規定しています。同時に、交戦権も否定していますから戦争することはできません。集団的自衛権行使容認のための「戦争法制」の提案に当たって政府が「武器の使用」と「武力の行使」を区別して後者を否定しているのは、「武力の行使」が「交戦権」の使用を意味することになるからです。
 このような憲法の平和理念は、国民の圧倒的多数に支持されました。日本を滅亡のふちに追い込み、悲惨な結末をもたらした戦争はもうこりごりだと思ったからです。このような国民感情に真っ向から挑戦したのが再軍備の構想であり、日米安保条約による日米軍事同盟の締結でした。
 1950年の朝鮮戦争を契機に始まった警察予備隊の結成、保安隊への改組、さらには自衛隊の発足へと至る再軍備に対しては、「平和4原則」を掲げた総評などによる反対運動や「全面講和」を求める運動がありました。しかし、1951年にサンフランシスコ講和条約が調印され、米軍に基地を提供するための旧安保条約も締結されます。こうして、日本は西側陣営の一員に組み込まれることになりました。

 戦後憲法体制を定着させた60年安保闘争

 1957年に「日米新時代」を掲げて登場した岸信介首相は旧安保条約を「片務的」であるとして改定をめざします。この安保条約改定交渉をめぐって激しい反対運動が生まれました。条約の改定に反対する国民的な大衆運動(安保闘争)は、空前絶後の規模で展開されていきます。
 安保闘争は60年に入ってから急速に盛り上がり、連日、デモの波が国会周辺を取り巻くようになります。窮地に陥った岸内閣は国会での強行採決によって会期延長と条約承認を議決し、安保条約の自然成立を図りました。この後、安保闘争は大きく高揚しますが、条約は改定されます。とはいえ、大きな成果を上げることができました。
 その第1は、強行採決を行って議会制民主主義を破壊した岸首相の退陣をもたらしたことです。条約の批准書交換を見届けた岸首相は政権維持をあきらめて退陣を発表し、その地位を退きます。
 第2は、大衆運動の大きな力を示すことができたことです。民意に反する為政者は倒すことができるということ、それが主権在民に基づく民主主義なのだということを学んだ国民は大きな確信を得ることになりました。
 第3は、保守勢力にも大きな教訓を与え、戦後憲法体制の定着をもたらしたことです。戦前型の政治モデルの復活を夢見ていた岸首相などの戦前派政治家の野望は打ち砕かれ、憲法を前提にした戦後型の政治モデルへの現実的な対応が保守政治においても主流になっていきました。
 こうして、安保闘争は戦後日本政治における大きな転換点を画すことになります。その転換をもたらしたのは広範な国民の反戦意識であり、議会制民主主義の擁護を掲げた大衆的な運動の高揚でした。それは保守勢力に対しても痛撃を与え、改憲と再軍備をめざす勢力の発言権と影響力を大きく低下させることになったのです。

 労働運動の果たした役割

 このような安保闘争の盛り上がりにおいて、労働運動が果たした役割は決定的なものでした。安保闘争と並行してたたかわれていた三池闘争と同様に、中心になったのは日本労働組合総評議会(総評)です。総評、中立労連、社会党など13団体で安保条約改定阻止国民会議(安保共闘)が結成されますが、そのイニシアチブを取ったのは総評でした。
 国民会議の加盟団体は総評系組合53,中立組合20,婦人団体4,青年団体5,農民組合1,市民団体6,平和団体10など計138団体 (のちに約300団体)です。幹事会は呼びかけを行った13団体とオブザーバーの共産党で構成されました。これらの団体のなかでも総評の行動力と動員力は圧倒的で、運動の節目では全国的なストライキを呼びかけています。
 なかでも、1960年6月4日の安保改定反対にしぼった最初の大規模な実力行使には国労や動労のストなど総評系57単産、中立労連19単産が参加し、統一行動参加者は560万人、一般市民も参加した国会デモは13万人という大規模なものでした。6月15日の第2波実力行使にも211単産、580万人が参加しています。
 ようやく最近になって「デモの復権」が言われ、脱原発や「戦争法制」反対を掲げて官邸前集会や国会周辺でのデモなどが頻繁に取り組まれるようになりました。しかし、そこでの主役は必ずしも労働組合ではなく、政治的なストライキが取り組まれるようなこともありません。ここに安保闘争との大きな違いがあります。「安保のように」たたかい、それに匹敵する規模の運動を実現するには、労働運動のさらなる奮起が必要なのではないでしょうか。

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