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12月15日(火) 国民のたたかい―それを受け継ぐことが、私たちの務め(その4) [論攷]

〔以下の論攷は、学習の友別冊『戦後70年と憲法・民主主義・安保』に掲載されたものです。4回に分けてアップさせていただきます。〕

四、人間らしい生活と労働を求めて

 文化的生存権と朝日訴訟

 憲法第25条は前段で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、後段で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めています。前段は文化的生存権という国民の権利の保障であり、後段はそのために「努めなければならない」国の義務を明らかにしているわけです。
 憲法は国会で審議され、約100項目の修正を加えられました。なかでも一番大きな修正は第25条が新たに加えられたことです。これは憲法研究会の同人で社会党議員となっていた森戸辰男が加えたとされ、社会保障の充実を求める運動にとって大きな武器となりました。
 この条文を争点として争われたのが「朝日訴訟」です。生活保護基準が生存権を保障するに十分なのかと、朝日茂さんによって提起されました。一審は憲法25条を根拠に原告側勝訴という画期的な判決を下しましたが、控訴審で敗訴しています。
 しかし、この裁判を契機とした「朝日運動」は、生存権や社会保障を受ける権利を明確にし、生活保護基準の引き上げなど行政や立法面での社会保障の充実がはかられるきっかけになりました。また、この運動によって社会保障や生存権にたいする国民意識が変化し、福祉国家を展望して運動を発展させる端緒になったという点も大きく評価できるでしょう。

 公害反対闘争の意義

 憲法には「環境権」が明示的に規定されているわけではありません。しかし、憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めています。「環境権」はこれを根拠に主張され、公害対策基本法やこれを引き継ぐ環境基本法が制定されました。
 憲法第25条をもとに民法の損害賠償請求も行われ、4大公害裁判(熊本水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市大気汚染)で被害者救済の判決が確立しました。これらの公害裁判で地域住民や被害者の運動が大きな力となりましたが、その支えとなった民主的な諸権利が憲法で保障されていなければ、環境権が明記されていても絵にかいた餅にとどまっていたことでしょう。
 このほか、大阪や羽田・福岡空港の周辺住民による騒音公害反対運動、新東京国際空港の建設に反対する三里塚闘争、サリドマイド、スモン、クロロキン、エイズ(HIV)、ヤコブ病、C型肝炎、イレッサ、B型肝炎などの薬害に対して補償を求めるたたかい、アスベストや塵肺などの健康被害に対する責任追及と賠償請求の運動などもありました。
 公害というにはあまりにも大きな問題ですが、福島第1原子力発電所事故による放射能被害に対する運動も重要です。原発そのものの廃止や再稼働させない反・脱原発、原発ゼロへの取り組みと結合しつつ、放射能による健康被害や環境破壊に対する補償を求めることは、憲法第13条や第25条の具体化を図る今日的な取り組みであると言えるでしょう。

 労働者の権利をめぐるたたかい

 憲法第27条は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」とし、第28条は「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」としています。この規定を根拠に、労働基準法・労働組合法・労働関係調整法のいわゆる「労働三法」が制定されました。
 戦後の労働運動の歴史は、このような労働者の権利を形骸化し空文化しようとする政府や経営者からの攻撃と、その実質化や具体化を求める労働運動との激しいせめぎあいでした。個々の事例に立ち入る余裕はありませんので、ここでも労働運動と裁判闘争とが結合されることで、労働者の権利の擁護が図られてきたということを指摘しておきたいと思います。
 とりわけ、官公労働者のストライキ権回復に向けて、ILOへの提訴など国際的な面での取り組み、スト権回復ストや順法闘争、世論への働きかけなどを背景に、下級審ではスト禁止を違憲とする判決などが獲得されてきました。しかし、いまだに公務員のスト権は回復されていません。この問題は今もなお公務員制度改革における大きな争点であり続けています。

 むすび

 戦後70年は、憲法の空洞化を許さず、その具体化を目指して苦闘する歴史でした。憲法をめぐる運動には守勢と攻勢の二つの面があります。それは改憲に反対する護憲運動であるとともに、その理念や条文を政治と生活に活かす活憲運動でもありました。
 幅広い労働・社会運動、裁判闘争、新たな立法や行政施策などの相互の連動を図りつつ、憲法の条文と理念を守るだけでなく、平和と人権、自由と民主主義などを国民生活の隅々に具体化していく取り組みでもあったと言えます。憲法は労働運動や社会運動の武器としても活用され、鍛えられ、新たな生命力を得てきたのです。
 他方で、憲法に対する敵視と攻撃も強まりました。その策源地は安保体制であり、自民党の変質です。国際社会での地位を低めた米国は日本に対する軍事分担と肩代わりを求め、保守支配の行き詰まりを打開するために右傾化を強めてきた自民党は、この要請を受け入れようとしているからです。
 こうして、保守政治の変質が生じました。憲法を前提にした戦後型政治モデルへの現実的な対応から、その修正による極右的な反憲法政治へと自民党内のヘゲモニーが転換したのです。その結果が安倍政権による憲法敵視であり、反憲法的暴走政治にほかなりません。
 憲法が政治の焦点に浮上することになり、保守の分化が生じ、改憲に反対する国民的共同の条件が拡大し、民主的政府樹立に結びつく新しい条件が生まれました。憲法の意義と重要性も再認識されるようになっています。「9条の会」の発展は、その一つの現れではないでしょうか。
 このような憲法をめぐる運動でも、労働組合は組織された社会的勢力としての力、志によって結ばれた絆としての団結、社会の民主的な変革を目指す集団としての力を発揮することが求められています。安保闘争で果たした労働組合運動の力を思い起こしていただきたいものです。
 その力を発揮するために、足を踏み出さなければなりません。一歩を踏み出すには、まず立ち上がることが必要です。腹を固めて、面白く、これまでとは違ったことをやるために、まず立ち上がりましょう。そして、一歩を踏み出そうではありませんか。本格的に憲法が活かされる政治と社会を目指して……。

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