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12月20日(日) 八王子市長選挙への立候補は「天命」だったのかもしれない [選挙]

 当初は「青天の霹靂」だと思いました。八王子市長選挙への立候補の要請とその受諾についてです。
 しかし、色々と思い返してみれば、それにはある種の「必然」があり、私にとっては「天命」であったのかもしれません。今は、そう思っています。

 私は新潟県中頸城郡頚城村(現・上越市頸城区)という農村で専業農家の長男として生まれました。直江津高校を卒業後、18歳の時に故郷を離れて上京し、東京都立大学に入学します。
 大学卒業後、法政大学大学院に進み、そこを修了しました。以後、大学の付置研究所であった大原社会問題研究所の兼任研究員、専任研究員(助教授)、教授とキャリアを重ねることになります。
 その職場であった大原社研は、市ヶ谷キャンパスから多摩キャンパスに移ります。そこは、町田市と八王子市にまたがっていました。

 しかし、私と八王子との縁はこれが最初ではありませんでした。研究所が多摩キャンパスに移転する前に、私は南大沢に移り住んでいたからです。
 「いずれ駅ができる」と不動産屋に言われましたが、まだ京王線は延伸されておらず、南大沢駅もありませんでした。バスや自転車で多摩センター駅まで行き、そこから京王線と地下鉄を乗り継いで市ヶ谷駅まで通ったものです。
 その後、研究所が多摩キャンパスに移ってきましたので、私も北野に引っ越しました。さらに、今住んでいる長房に移ったわけですが、それからもう23年ほどになります。

 八王子での居住歴は累計で約30年間にもなっています。故郷で育った18年を大きく上回りました。
 これだけ長く住んでいれば、愛着も沸きます。しかも、自宅は南浅川の近くにあり、緑豊かで、春には桜、秋にはイチョウが美しく色づき、周辺の遊歩道や陵南公園、武蔵野陵の周辺などはウォーキングを趣味としている私の散歩道です。
 北野で生まれた下の娘は長房で育ち、横山第二小学校や横山中学を卒業しました。私にとっては「第二の故郷」ですが、娘にとっては「故郷」そのものです。

 この「故郷」のために役立ちたい、自分にできることであればどんなことでもしたいと思うのは自然な感情でしょう。「立候補してほしい」という要請があったとき、このような感情が私の心の中にフツフツと湧き上がってくるのを感じました。
 職場があった法政大学多摩キャンパスの一部は八王子市で、最寄り駅はめじろ台や西八王子です。母校の都立大学まで、「首都大学東京」と名前を変えて南大沢に移ってきました。
 「何かと縁があったんだなー」と思い至ったというわけです。今回の市長選挙へのチャレンジも、このような縁(えにし)に導かれた結果だったかもしれず、そこに「天命」を感じました。

 この「天命」に従い、可能な限り、力を尽くすつもりです。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、今はまさにそのような心境です。
 なお、12月23日(水)に、事実上の「第一声」を行う予定です。京王線の南大沢駅前で午後1時から、JRの八王子駅北口で午後3時から実施しますので、近くの方においでいただければ幸いです。

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