SSブログ

2月15日(月) 「憲法守って国滅ぶ」なのか、「憲法変えて国滅ぶ」なのか [憲法]

 先日の講演で質問が出されました。「憲法守って国滅ぶ」という意見がありますが、どう思いますか、と。同じような質問には、これまでも多く接しています。
 その都度、答えてきましたが、同じような疑問を持っている人は多いのではないでしょうか。ということで、ここで私の意見を明らかにしておきたいと思います。

 「憲法守って国滅ぶ」という意見は、安保法制(戦争法)審議の過程でも多く言われました。たとえば、「まず国民の生活あってこその憲法であり、憲法を改正するのを待っていて他国に蹂躙されることなどあってはならないから、改憲以前に安保法制を整備するべきだ」などと。
 北朝鮮が核開発を進め、「事実上の弾道ミサイル」とされるロケットを発射している昨今、このような意見は説得力を持っているように見えます。だからこそ、講演会などでもこのような質問が出されるのでしょう。
 夏の参院選に向けて改憲を争点にしようとしている安倍首相は、内心ニンマリとしているにちがいありません。北朝鮮の蛮行によって国民の不安は高まり、緊急事態条項の新設など改憲に向けての理解が得やすくなっただけでなく、ミサイル防衛の予行演習や米軍との共同作戦の準備を進めることができたのですから。

 北朝鮮は、意図しているいないにかかわらず、日本国民に対する危機意識を植え付け、夏に向けて改憲機運を高めるための絶好の宣伝材料を、安倍首相に提供したことになります。こうして、またもや「憲法守って国滅ぶ」という声が高まりそうな状況が生まれました。
 しかし、日本は過去70年間、憲法を守り続けてきましたが、それによって国が亡ぶというような事態を引き起こしたでしょうか。戦後日本が示してきたのは、「憲法守って国栄える」という実例ではなかったでしょうか。
 「北朝鮮の脅威」が存在することは否定できませんが、軍事力の強化などの「力の政策」では、その脅威を減らすどころか、かえって増やすことになります。現に、安保法制の整備によって日米同盟の強化が図られましたが、それによる「抑止効果」などは皆無で、相変わらず核開発とロケット発射が実行されたのですから。

 「北朝鮮の脅威」を減らして問題を解決する最善の道は、米朝間の直接対話などの協議と対話を通じて北朝鮮を国際社会に復帰させることです。力によって屈服させようとすればするほど、かえって依怙地になって強硬手段に走るというのがこれまでの経過でした。
 安倍首相が行ってきた安保法制の整備と日米同盟の強化は、このような力による屈服路線の悪しき実例にほかなりません。これでは問題を解決できないばかりか、さらに軍事的対抗手段を引き出して軍拡競争の泥沼に陥るだけです。
 このようななかで、安倍首相は日本を「戦争する国」として完成させるために、憲法を変えようとしています。その最大の理由となっているのが、冒頭に示した「憲法守って国滅ぶ」という論理です。

 しかし、このようなアベ改憲路線は、戦前の日本を「取り戻す」ことを意味しています。その帰結は、侵略戦争によって破局を迎え、存亡の危機に追い込まれた戦前の日本の末路が示しています。
 また、それは戦後のアメリカが犯してきた過ちを後追いすることを意味しています。その帰結は、自国の若者を戦場に送り出して犠牲にし、イスラム社会からの恨みを買って国際紛争の種をまき散らすだけでなく、イスラム国(IS)を育成して国際テロを拡大させてきた、これまでの歴史が示しています。

 アメリカは謀略によって引き起こした不正義のベトナム戦争で5万8000人の若者の命を失い、韓国・オーストラリア・タイ・フィリピン・ニュージーランドなどの同盟国軍約5000人、南北ベトナム軍110万人、民間人44万人を死に追いやりました。イラク戦争での米兵の死者は3000人を超え、アフガニスタンでの戦争では米軍が2365人、多国籍軍では3512人が死亡したとされ、この数は増え続けています。
 問題は、このような戦場での死者だけではありません。心理的外傷後ストレス障害(PTSD)による犠牲者は、ベトナム戦争後と同様、イラク戦争後でも深刻で、3万1000人が精神疾患や負傷のために障害者給付金を請求しています。
 これだけの犠牲を払ったにもかかわらず、アメリカは感謝されるどころか恨みを買い、2001年9月11日に同時多発テロに襲われ、3025人の犠牲者を出しています。日本政府が憲法理念に忠実であったなら、戦後繰り返されてきたアメリカによる軍事介入という過ちを制止させることができたかもしれませんが、歴代の自民党政府は憲法の理念を踏みにじって追随し、軍事介入を支持し手助けするという間違いを犯してきました。

 本来であれば、このような自民党政権の間違いを正し、アメリカに対して忠告できるような国のあり方を目指すべきでしょう。しかし、その間違いを反省するどころか、このような手助けを堂々と行えるようにするために憲法を変えようとしているのが、安倍首相にほかなりません。
 憲法を変えて「戦争する国」となれば、アジアで孤立し、戦前の日本と同様の間違いを犯して破局を迎えることになるでしょう。日本が70年前に経験したのは、このような「国滅ぶ」実例そのものではありませんか。
 またそれは、世界最大の「ならず者国家」として多大な人命を奪い続けてきたアメリカの過ちを後追いし、さらにそれを助長することになります。その結果、国際紛争を解決するどころかさらに拡大し、国際テロの標的として狙われるような危険な状況に日本国民を追い込むにちがいありません。

 それは結局、「憲法変えて国滅ぶ」道を選ぶことになるでしょう。それで良いのでしょうか。
 これまで「憲法守って国栄える」道を歩んできた戦後70年の日本の歩みを、今一度、再評価する必要があるのではないでしょうか。憲法9条を守ることによって得られた平和という果実を、じっくりと噛みしめなければなりません。
 これまでの歩みを変えることなく守り続けることによって、「憲法守って国栄える」道を次の世代に手渡そうではありませんか。それこそが、憲法が危機に晒されている今を生きる、私たちの務めではないでしょうか。

nice!(1)  トラックバック(0) 

nice! 1

トラックバック 0