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4月8日(金) 八王子を駆けまわった疾風怒濤の日々―市長選挙を闘って [論攷]

〔以下の論攷は、『革新懇話会』2016年3月25日付、に掲載されたものです。〕

 まさに「びっくりポン」の出来事でした。八王子市長選挙への立候補要請です。
 それを受諾し、市長選挙を闘った結果、5万1811票を獲得しました。当選には至りませんでしたが、大きな成果であったと思います。
 選挙期間中、八王子市内外からたくさんの方のご支持・ご協力をいただきました。この紙面をお借りして、全ての方にお礼申し上げます。ありがとうございました。

 立候補の要請をいただいたのは12月4日のことです。その場で決断しました。もう時間がなかったからです。出馬の記者会見は18日、最初の街頭演説が23日で、27日に事務所開きをした翌日の28日が仕事納めでした。ほとんど選挙活動らしいことができないまま年を越すことになりました。
 正月三が日が過ぎてから、選挙カーを動かしての本格的な選挙運動が始まりました。それから嵐のような日々が続き、告示の翌日である18日には本物の嵐がやってきて大雪となり、厳しい寒さのなか1月24日に投票日を迎えました。こうしてみると、実質3週間ほどの闘いだったということになります。これほどの短期間に5万票を上回る得票があったことの方が奇跡的だったかもしれません。

 誠に残念な結果であり、力不足をお詫びしなければなりません。その敗因は、はっきりしています。
 第1に、基礎票に大きな差がありました。昨年4月の市議会議員選挙で比較すれば、現職の石森候補を応援した自民、公明、民主に保守系無所属を加えた市議の票数は約13万票で、私を支援してくれた共産、社民、生活者ネット、維新、無所属候補の市議の票数は4万9000票でした。基礎票において2倍以上の開きがあったことになります。
 これを今回の結果と比べれば、石森陣営は約4万票減らし、私は約3000票増やしています。もともと大きな差があるところから出発していたため、向こうが大きく減らしてこちらが増やしたものの、追い付き追い越すまでには至らなかったというわけです。
 第2に、選挙戦の構図も有利なものではありませんでした。市長選挙についての広報はほとんどなくマスコミの取り上げ方も不十分で市民の関心は高まらず、黒須前市長とは違って現市長の評判は可もなし不可もなしというもので政策的対決点を明確にすることが難しかったという事情もありました。
 現職対新人という対決構図になりましたが、私は一般の市民にとってはほとんど無名でした。『日刊ゲンダイ』に時々コメントを出していましたから都心に通うサラリーマンなどには多少知られていたかもしれませんが、家庭の主婦や高齢者にはほとんど知られていなかったでしょう。八王子の市民運動にも関わってこなかったため、この方面でもあまり知られていなかったにちがいありません。
 第3に、これらの不利な条件を克服するには、あまりにも時間が足りなかったということです。石森さんは現職ですから4年間名前を売ってきたのに、私は出馬要請受諾から記者会見まで2週間もかかり、その記者会見から選挙の告示まで1ヵ月しかなく、しかも年末年始の休みを挟んでいました。
実質3週間の運動で当選できるほど、選挙は甘くありません。「どうせ出馬要請するなら、もっと早くしてほしかった」というのが率直な気持ちです。しかし、様々な事情があったのでしょうし、今だからそう言えるという面もあります。とはいえ、期間が短すぎたために十分浸透できず、投票率が極めて低かったのが主たる敗因であったと思います。

 このような不利な条件があったなかでの5万1811票です。出馬要請から2ヵ月弱、本格的な選挙運動としては実質3週間での得票でしたから、私の口からは言いにくいことですが、善戦であり、大きな成果を残すものでした。どうして、それが可能だったのでしょうか。
 第1に、八王子に育っていた「共同の力」がいかんなく発揮されたということです。「ノー・ウオー八王子アクション」を進めてきた枠組みからは民主党が抜けましたが、前から知り合いであった有田芳生参院議員が個人的に応援してくれました。維新の党では初鹿明博衆院議員、真山勇一参院議員の支援をいただきました。
 共産党では小池晃副委員長と池内さおり衆院議員、社民党では福島みずほ副党首、生活者ネットでは山内れいこ都議、それに小林節さんや宇都宮健児さんも応援に駆けつけて下さいました。また、吉田忠智社民党党首、生活の党と山本太郎と仲間たちの山本太郎参院議員からは応援メッセージ、維新の党の小野次郎参院議員からも檄をいただきました。選挙事務所には亀井静香元衆院議員の秘書が激励に訪れるということもありました。このような幅の広がりが今回の選挙の大きな成果だったと言えるでしょう。
 第2に、今回の市長選挙が独特の位置と意義をもっていたということです。昨年9月に安保法制(戦争法)が成立し、その廃止をめぐって今年の夏には参院選が実施されます。今回の市長選挙はその前哨戦として位置づけられ、同時に実施される沖縄の宜野湾市長選挙や岩国市長選挙とともに全国的な注目を集めました。
 また、八王子は安倍首相の側近である萩生田光一官房副長官の地元で石森さんはその仲間ですから、落選させれば大きな打撃を与えることができます。残念ながら萩生田さんや安倍さんに一泡吹かせることはできず、夏の参院選に向けて戦争法反対の大波を起こすこともできませんでしたが、そのような可能性をもった選挙でした。
 第3に、選挙戦の取り組みも雰囲気としてはすごい盛り上がりで、斬新で活気に満ちたものであったと思います。選挙活動をささえたスタッフには若い人や女性が多く、最後の街頭演説ではデッキカーに並んだ10人ぐらいの人のうち、男性は私と宇都宮さんだけでした。このような力が八王子で育っていたのだと再認識した次第です。
 また、選挙戦でのウェッブやSNSの活用という点でも新たな典型を生み出したのではないでしょうか。ホームページや動画の作成、公開などでは新たな境地を開き、閲覧した人の評価も高く、政策の内容とともに大きな財産になったと思います。

 「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉を胸に刻んで出馬を決意してから、アッという間の2ヵ月間でした。候補者としての選挙活動は驚天動地の世界でしたが、政治研究者としては一種の「参与観察」であり、良い勉強になりました。
 八王子の町を舞台にした「祝祭」をめざして、全力で駆け抜けた疾風怒濤の毎日でした。たくさんの人との新たな出会いや感動に心動かされる日々でもありました。お世話になったすべての方に、重ねて「ありがとうございました」と言わせていただきたいと思います。

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