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8月25日(木) 「壊憲」に反対していた後藤田正晴元官房長官の「情と理」 [憲法]

 『毎日新聞』8月23日付夕刊の「特集ワイド」に後藤田正晴元官房長官が取り上げられていました。「海外での武力行使認めず」「『待て』と言う勇気を持て」という見出しが付けられています。
 この後藤田さんの鎌倉霊園にあるお墓の墓碑には、「自身の戦争体験から来る平和への強い思いが一貫した政治信念であった」と書かれているそうです。長男の尚吾さんによるものだと言います。

 後藤田さんはイラン・イラク戦争のときペルシャ湾への掃海艇派遣に反対しました。アメリカからの要請を受けて、中曽根首相と外務省が海上保安庁の巡視艇か海上自衛隊の掃海艇の派遣に踏み切ろうとした際、「戦争になりますよ。国民にその覚悟ができていますか。閣議でサインしません」と首相に迫って、派遣を断念させたのは有名な話です。
 この後藤田さんを初当選以来支えてきた秘書の川人さんは「後藤田さんは、誰かが『ストップ』と言わないと日本人は流れてしまうと体感していて、その役目を果たし続けた」と語っています。この記事に付けられた「『待て』と言う勇気を持て」という見出しはここから取られたのでしょう。
 与党に後藤田なき今、「ストップ」と言うのは野党の役割です。「待て」という勇気を持つべきなのは、主権者たる私たち一人一人であると言うべきでしょう。

 ところで、この記事の中で、自民党が「自主憲法制定」という党是を棚上げした時期のことが紹介されています。それを主導したのも後藤田さんでした。
 95年の立党40周年の大会で採択された「理念」や「新綱領」では憲法に触れず、「新宣言」では「新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民とともに議論を深める」と書かれていただけです。その背後には、後藤田さんの憲法観がありました。
 それは著書『情と理』に書かれている言葉に象徴されています。この記事でも紹介されていますが、後藤田さんは次のように述べています。

 「僕の考え方では、マッカーサー憲法と言っても、それは平和主義なり、基本的人権なり国際協調なり、ある意味における普遍的な価値というものは、日本の中に定着しておるのではないか、だから、マッカーサーが作ったんだから変えるという時代はもはや過ぎたのではないかと。こういった価値を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか。例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文は変えるべきだと言うんなら、それはいい。しかし自主憲法を言う人たちの頭の中に持っているのは、再軍備ではないか、それには僕は反対だと言っているわけです。それは早すぎると。
 再軍備だってやりたければやって、もういっぺん焼け爛れる者が出ても構わんと言うのならやってもいいよ。しかしいま言うことではないな。この時期に9条を直すとなると、そう簡単にことは行かないよ。この流動化している世界の中では早すぎる。」(後藤田正晴『情と理[下]』講談社、998年、288頁)

 このブログの読者であれば、すでにお分かりだと思います。後藤田さんは、通常の「改憲」には賛成でも、憲法原理や理念を破壊する「壊憲」には反対しているのです。
 それは、「平和主義なり、基本的人権なり国際協調なり、ある意味における普遍的な価値というものは、日本の中に定着しておるのではないか、だから、マッカーサーが作ったんだから変えるという時代はもはや過ぎたのではないかと。こういった価値を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか。例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文は変えるべきだと言うんなら、それはいい」と述べている点に象徴されています。
 憲法の三大原理や自由で民主的な平和国家という国の形など「ある意味における普遍的な価値というものは、日本の中に定着しておるのではないか」と言い、それを前提としてその枠内での「改憲」なら、「例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文は変えるべきだと言うんなら、それはいい」というわけです。逆に言えば、「9条を直す」ことによって平和主義を破壊するような「壊憲」は許されないと主張していることになります。

 私は8月20日付のブログ「『壊憲』阻止のための新たな戦略をどのように打ち立てるべきか」で、「『改憲』と『壊憲』を分ける境界は、憲法の三大原理にあります。自由で民主的な平和国家としての現在の日本の国の形を変えてしまうような憲法条文の書き換えであるかどうかという点が最大の判断基準になります」と書き、「このような基準からすれば、『改憲』勢力とされている与党の公明党や野党のおおさか維新の会は『壊憲』勢力にはなりません。民進党内の『改憲』勢力も保守リベラルを含む自民党内の『改憲』志向の議員たちも、必ずしも『壊憲』を志向しているわけではないでしょう」と指摘しました。
 ここに紹介した後藤田さんの主張はまさに「保守リベラル」のもので、これらの人は「必ずしも『壊憲』を志向しているわけではない」ことを示しています。このような意見の自民党内保守リベラルとも共闘可能な幅広い立憲共同の戦線を構築することが、今こそ求められているのではないでしょうか。

 「改憲」については、「憲法は時代に応じた改正が必要であり、いつまでも解釈論で済ませるべきではない」「憲法を吟味する機会を増やし、国民の声を反映していくことが憲法の価値を高める」「政権交代があった場合でもぶれることのない、一貫したルールを作っていくという視点が大事だ」などという意見が出されています。これらの意見はいちがいに否定できません。
 そうであっても、後藤田さんの言うように「平和主義なり、基本的人権なり国際協調なり、ある意味における普遍的な価値……こういった価値を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか」が議論されるべきでしょう。その前提はあくまでも、憲法の三大原理や自由で民主的な平和国家としての国の形を変えないことです。
 「こういった価値を基本にしながら、どういうことで新しい憲法を作るのか。例えば89条には私学に対する寄付を禁止しているのにやっている、だからこの条文は変えるべきだと言うんなら、それはいい」のです。このような時代の変化に応じた統治ルールの変更を目的とし、現行憲法の原理や理念、普遍的な価値を基本にした憲法条文の書き換えであれば、何も問題はないのですから……。

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