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8月3日(金) 今日の政党・政治運動―ポピュリズムとの関連をめぐって(その2) [論攷]

 〔以下の論攷は、2017年11月11日に開催された労働者教育協会の基礎理論研究会での報告に加筆・修正したもので、同協会の会報『季刊 労働者教育』No.161 、2018年7月号、に掲載されました。5回に分けて、アップさせていただきます。〕

 2、背景にある既存政治の失敗と失望―国際的背景

 このような形でポピュリズムが生じたのはなぜか。その背景にはどのような事情があるのでしょうか。それは既存政治の失敗とそれに対する失望です。
 既存の政治に対する不信感や反発、憤激が生じるのは、いままでの政治のあり方が大衆の期待や欲求に応えられなくなったからです。その結果、従来の枠の外から生ずる政治的潮流や政治家に対して新たな期待や賛同が寄せられることになります。
 国際的に見た場合、戦後の世界のあり方は2つの段階を経て、今日に至っています。現在は第2段階の最後の時期、いわば終末期で、第3段階へと向かう過渡期にあると、私は考えています。
 第1段階は、経済・社会への公権力の介入を特徴としていました。修正資本主義や社会民主主義的な思想を背景にした福祉国家路線です。有効需要創出を掲げたケインズ主義などがその典型になります。しかし、70年代の石油ショック以降、これが行き詰まりを示す中で、第2の段階が始まりました。
 第2段階は、新自由主義による経済・社会からの公権力の退出を特徴としています。官から民へ、あるいは規制緩和というかたちで、できるだけ公権力の関与や規制を減らしていこうとする考え方、政策です。こちらはフリードマンが理念や政策的主張の中心になりました。
 こうして新自由主義の全盛期を迎えるわけですが、これも必ずしも成功したわけではなく、失敗と失望が蓄積されていきます。見捨てられた人々の増大、貧困や格差の拡大が起きます。財政赤字が増大し、これに対して緊縮政策が採用されます。対外的な政策としては、自由と民主主義を掲げた地域紛争への軍事的介入、ネオコンなどが大きな影響力を行使することになります。
 このような中で中間層が衰退し、ソ連・東欧の崩壊もあってグローバル化と競争が拡大していきます。途上国が勃興し、先進国では製造業を中心として空洞化が進行しました。BRICSと言われる新興国が次第に力を強め、グローバル化した世界経済の中で発言権を増大させていきます。
 戦後支配的な地位に就いたのはアメリカでしたが、その力と影響力は次第に衰退していきます。第1段階の衰退を引き出したのはベトナム戦争への介入でした。これによってドルが垂れ流され、金融危機が引き金となって有効需要創出を特徴とする経済政策が破綻していきます。
 第2段階の行き詰まりを生み出したのはイラク戦争への介入と失敗でした。この時、憲法9条に基づく専守防衛、外国には自衛隊を派遣しないという禁を破るかたちで、日本もペルシャ湾やイラクのサマワなどに自衛隊を派遣します。
 このイラク戦争の結果、2つの怪物が登場しました。金正恩とイスラム国(IS)です。これがなぜイラク戦争の結果として登場するのかといえば、金正恩の場合はイラクのフセイン政権の崩壊、リビアでの体制崩壊が大きな影響を与えました。これらはいずれもアメリカの強力な後押しによって起こります。アメリカに対抗できるだけの軍事的実力、とりわけ核戦力を持たなければ体制維持はおぼつかないと、金正恩氏は思い込んだのではないでしょうか。
 その結果、核開発をすすめ、アメリカ本土に届く大陸間弾道弾(ICBM)の開発に血道をあげることになりました。今日、歯を食いしばってでもこれらを達成しようとしています。ロシアのプーチン大統領は、「草を噛んででもやるだろう」と言っていますが、金正恩氏がそのような固い決意をするに至ったきっかけは、イラク戦争でのフセイン政権の崩壊ではなかったかと思います。
 イスラム国(IS)の場合はもっと直接的です。イラクに対するアメリカの介入政策への抵抗勢力として「イラクの聖戦アルカイダ」という武装組織が結成されるからです。これが母体となって、イラクからシリアにかけて次第に勢力を拡大していった。やがて領土を獲得するというかたちで「国家」を設立することになります。
 その結果、欧米では中東地域からの難民が流入し、これが右派ポピュリズムを引き起こす大きな背景になっていきます。とりわけ、シリアでのイスラム国の勢力拡大によって大量の難民が発生し、トルコなどを経由してヨーロッパに流入していきました。これを巡って、ヨーロッパ諸国やアメリカなどの欧米社会では大きな亀裂が生まれ、テロの脅威が増大するなかで排外主義的な傾向が強まりました。右派ポピュリズムが急速に増大していった原因の一つはここにあります。

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