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4月4日(木) 「令和」による「新元号フィーバー」「元号ファッショ」を生み出した安倍首相の狙い [元号]

 安倍首相は「してやったり」と思って、ニンマリしていることでしょう。「令和に好感」が73%という共同通信の世論調査が発表されたからです。
 これに押し上げられるように、内閣支持率も52.8%と前回調査より9.5ポイントの大幅増となりました。これも新元号効果だということであれば、安倍首相の目論見通りということになります。
 「新元号フィーバー」や「元号ファッショ」を生み出すことで狙っていた最大の効果こそ、このような内閣支持率の引き上げだったと思われます。同時に、これ以外にも以下のような狙いがあったのではないでしょうか。

 第1に、安倍首相に対して反発を強めていた保守派に言い訳し、その歓心を買うことです。元号の発表を新天皇の即位より1ヵ月早く発表するという安倍首相の方針に、強固な支持基盤であった日本会議系の極右層をはじめとした保守派は異議を唱え、反対していたからです。
 今回の元号の決定に当たって、安倍首相がこだわったのは漢籍ではなく「国書」から選ぶことでした。実際には王義之の「蘭亭序」や張衡の「帰田賦」に似た記述があるのに、それを隠して「万葉集」を典拠としたかのように偽装し、誤魔化した説明をすることによって保守派の怒りを鎮め、その支持を回復しようとしたわけです。
 もう一つ、菅官房長官による新元号の発表が11時30分ではなく11時41分になった「空白の11分」も、このような保守派への配慮を示しています。天皇と皇太子への通知が終わるのを待ってから国民に知らせるという手順を取ったため、当初予定していた時間より11分遅れてしまったのです。

 第2に、国民の注意と関心を新しい元号に集めて「安倍失政」を隠ぺいすることです。事前に新元号が漏れることを防ぐために、今回は異常とも思われる情報統制が行われましたが、それは新元号への注目を集めて関心を高め、そのありがたさを極大化するという計算に基づくものでした。
 新元号が事前に漏れたらどのような実害や弊害が生ずるというのでしょうか。注目度が低下したり、ありがたみが薄れたりするという程度のことではありませんか。
 しかし、安倍首相にとっては、それこそが大問題だったのです。満杯になるまで水をためて一気に堰を切ることで勢いを増すことができるように、ぎりぎりまで秘密を保持することで国民とマスメディアの関心をいやがうえにも高め、一種の「フィーバー」や「ブーム」を醸し出すことで「安倍失政」や統一地方選挙の現実から目を逸らせることが目的だったのではないでしょうか。

 第3に、天皇に代わって自らが元号を定め説明することによって「時の支配者」になることです。新元号発表の以前と以後とで、実際には何も変わっていないにもかかわらず、あたかも時代が変化したかのような印象が生み出されたからです。
 このように、新しい時代が始まるかのようなムードや印象が生まれたとすれば、それこそが新元号によって「時が支配された」結果だと言えるでしょう。戦前までそれは天皇によってなされましたが、戦後の主権在民の憲法下では、このようなことは許されません。
 だからこそ、昭和から平成への改元に際して、竹下首相は控えめで抑制的な対応に努めました。しかし、安倍首相はこのような節度を投げ捨て、元号の最終的な選定を自ら行った事実を隠さず、談話や記者会見、テレビ出演の掛け持ちなどを通じてその理由や背景を得々と語ることによって、かつて天皇が果たした役割を自らが果たしたかのようにふるまい、元号まで私物化したのです。

 第4に、時代と共に進展してきた西暦への乗り換えを阻止して元号を浸透させ定着させることです。保守派の反発や批判があったにもかかわらず1ヵ月前の発表に踏み切った本当の狙いはここにあります。
 もし、新天皇の即位まで新元号の発表を遅らせていたら、技術的合理的な理由から西暦への乗り換えは一挙に進んだことでしょう。安倍首相が真に恐れたのは、このことだったと思われます。決して国民の利便性を配慮したからではありません。
 しかも天皇の即位と切り離したために、新しい元号そのものへの注目と関心が急速に高まり、マスメディアの報道もこれに集中して「新元号フィーバー」とも言うべき一種の「ブーム」が生ずるという、思いがけない効果も生まれています。新天皇の即位と一緒だったら、元号は「新天皇フィーバー」の影に隠れてしまっていたかもしれません。

 こうして、安倍首相による元号の私物化と政治利用は極限にまで達しました。そこで、行使されているのは、おなじみの「隠す、誤魔化す、嘘をつく」という「安倍三原則」です。
 これに抗するためには、「新元号フィーバー」に踊らされず、「安倍失政」を忘れずに現実を直視し、統一地方選挙での審判を下すことです。また、「新時代の訪れ」などという空虚な言葉に惑わされず、「フィーバー」や「ブーム」に巻き込まれることなく冷静に対応することが必要です。
 私たちに直ぐにできることは、元号を使わずに西暦を使用することです。というまでもなく、合理性や国際性が求められる現在では元号の形骸化が進んできているのが現実です。

 先に紹介した共同通信による調査でも、「あなたが普段の生活や仕事で主に使いたいと思うのは、新しい元号の『令和』ですか、西暦ですか」という問いに、「新元号を使いたい」という答えは18.8%にすぎず、「西暦を使いたい」34.0%の半分強しかありません。多数派は「両方を使いたい」の45.1%です。
 元号は合理性に欠け、不便で時代に合わなくなってきていますから、それも当然です。この点でも、元号にこだわる安倍首相は時代に逆行し、時代から取り残される運命だということは明らかです。

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