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5月21日(火) 書評:飯田洋子著『九条の会―新しいネットワークの形成と蘇生する社会運動』(その1) [論攷]

〔以下の書評は、『大原社会問題研究所雑誌』第727号、2019年5月号、に掲載されたものです。2回に分けてアップさせていただきます。〕

 2017年5月3日、安倍首相は改憲派の集会において2020年までに憲法を変えて新しい憲法を施行する意向を明らかにした。その後、首相のめざす改憲の内容は4項目に整理されたが、その中心は憲法9条に自衛隊の存在を書き込むことであった。
 これが「安倍9条改憲論」と言われるものだが、その特徴は9条の条文を変えないということにある。したがって、正確に言えば「改憲」というよりも、「加憲」というべきものだった。安倍首相自身、これによって自衛隊の性格や任務にはいささかの変更もないと説明している。
 「加憲」による憲法の改定は、従来から公明党によって提唱されてきた。「安倍9条改憲論」は、従来の改憲論をトーンダウンさせ、同じ与党である公明党の主張に歩み寄ったものだと言える。このような形で譲歩したのは、9条改憲には警戒心が強く世論も反発していたからである。
 安倍首相による9条改憲論は、このような世論状況に対応したものだった。自衛隊の「国防軍」化と集団的自衛権の全面的な容認をめざした2012年の自民党憲法草案のような内容では、改憲を実現することは困難だと判断したのであろう。
 しかし、このような政治判断によって「加憲論」に転じたにもかかわらず、憲法審査会での審議は進まず、改憲発議できない状況が続いている。公明党は相変わらず9条改憲には消極的で、野党の多くは安倍首相の手による改憲に反対しているからである。その背景には改憲反対世論の増大がある。このような世論状況を生み出した大きな要因の一つが全国で7500を上回る「九条の会」の存在と運動であった。

 本書は、安倍9条改憲論の「宿敵」ともいえる「九条の会」(以後、「会」と省略)を真正面から取り上げ、その組織と活動を学術的に分析したものである。政治・社会的に大きな影響力を発揮してきた社会運動団体に対する注目が学術の分野にまで及び、調査と分析の対象となったわけである。「会」がそれだけの実績と成果を上げてきたということの証明でもあろう。
 本書の特徴は第1に、この「会」を主題として書かれた最初の本だということにある。そのために、これまで知られていなかった多くの事実が発見され、その性格や歴史、組織や運動の実態を知るうえで最良の手引き書となっている。たとえば、「多くの地域の『九条の会』の中心的なメンバーには、元教師がいる」(88頁)、「ちがいを抑え込むのではなく、むしろそれに積極的な役割を果たさせることの方が、肯定的な解決策をもたらすこともある」(122~123頁)などの指摘は重要である。
 第2に、ハワイ大学に提出した博士論文を翻訳して加筆修正を加えた学術書だという点にある。本書は運動の当事者ではない研究者による客観的で総合的な立場からなされた専門的な社会運動研究である。そのために理論的な枠組みが明確であるというメリットとともに、「高い中心性」(184頁)や「より関係的な理解を貢献する」(207)のようなこなれない日本語、「共同通信」を「共同ニュース」と呼ぶ間違いや安全保障関連法案(戦争法案)を「国家安全保障法案」とする記述の混乱などが散見され、「フレーム・アラインメント理論」(193頁)のような見慣れない用語に戸惑うというデメリットも生じている。
 したがって第3に、単なるドキュメンタリーではない本書には、様々な専門用語や概念が登場する。なかでも中核的な概念は、プロテスタント・サイクルとクリアリングハウスである。前者はいわば時間にかかわる概念で、社会運動の高揚が一定期間の潜行の後に再び生起するということを示し、後者は空間にかかわるもので、草の根の「会」に情報を提供してまとめ上げるセンター的な役割を担う会(例えば都道府県レベルの「会」)を指している。
 第4に、フィールドワーク(現地調査)とインタビューを主軸に参与観察を行うという手法が取られていることである。この点について、本書を「解説」した小森陽一は、「本書を執筆するうえでの著者の最大の力は、繊細な感覚で運動に参加している人々の心の動きの機微をとらえながら、それを『九条の会』運動の一つの思想にまでつなげていく、エスノグラフィック(民族誌的)なフィールドワークに基づくインタビュー力にある」(225頁)と、高く評価している。その真価が十分に発揮されているのが、第2章と第3章だと言える。

 本書は序章と終章を含めて8つの章から成っている。
 序章では「会」の最初のアピールが紹介され、「本書の目的」と「本書の構造」が明らかにされている。本書の目的は水平方向の社会的ネットワークとして「会」のあり方や活動を分析するだけでなく、それが発足し発展してきたいわば垂直的な過程にも着目し、「会」が草の根で組織され維持される方法や全国組織との連携などを解明することであるとしている。
 第1章「日本の社会運動における政治的過程と1960年代政治世代」では、「会」の出現と発展の歴史的背景に焦点を当て、1950年代から2010年代までの政治的過程、安保闘争を闘った「60年代政治世代」の役割を明らかにし、長い潜行期間後に2011年の大震災後を契機に新しい世代の社会運動が生起したプロセスなどが概観されている。
 第2章「『九条の会』;運動とネットワークの出現と展開」では、「会」の形成過程が詳述され、最初の「会」を立ち上げた指導的なグループの形成、地域での広がり、全国組織との連携、ネットワークの形成などが分析されている。
 第3章「クリアリングハウス・チャプター」では、草の根の「会」の活動を促進し維持する情報センターとしての会(クリアリングハウス)について1府5県の事例が紹介され、とりわけ対立を克服していく方法について解明されている。
 第4章「最初の『九条の会』―-『呼びかけ人』と『事務局』という組織体制とその役割」では、結成後数年間(2004~07年)における「会」の主な役割に焦点を当て、講演会やセミナーの開催、講師派遣、全国交流集会、ニュースレターの発行、アピールの発表などを通じて「会」が果たした交通整理と情報局の機能を明らかにしている。
 第5章「初めの分水嶺、そして新たな脅威」では、「会」のネットワークの発展とそれに伴う憲法世論の変化、第1次安倍政権の退陣と東日本大震災、その後の安倍政権の復活などに対する「会」の対応などが検討されている。
 第6章「新しい世代の中の『九条の会』」では、2011年の東日本大震災後の「会」の活動が取り上げられ、新しい世代の運動の登場と古い世代との共同の発展がフォローされている。
 終章は「結論」である。ここでは、各章の内容を改めて概括した上で、「『ネットワーク的実践』と社会運動の継続」と「社会運動の継続についての関係的理解」という2点における理論的貢献が示されている。

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