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11月12日(木) 日本学術会議人事介入事件の本質 [論攷]

〔以下の論攷は、『東京革新懇ニュース』第457号、2020年11月5日号、に掲載されたものです。〕

 日本学術会議人事への政治介入が大きな怒りを呼び起こしました。それは自民党や安倍政治の問題点が象徴的に示されているからです。いわば、〝悪政の結節点〟でこの問題が発生したことになります。
 6人の任命拒否は憲法23条が公的な学術機関の政治からの自立を保障する学問の自由と、法律によって定められている「学術会議の推薦に基づいて首相が任命する」という規定に反する違憲で違法なファッショ的暴挙にほかなりません。6人を誰が勝手に除外し、元のリストは「見ていない」という今回のやり方は、「任命は形式的」で「首相が任命する」といういずれの規定にも反しています。拒否の理由を説明し、直ちに撤回して6人を任命するべきです。

 教育と大学、学術への攻撃

 今回のような介入がなぜ日本学術会議に対してなされたのでしょうか。以前から自民党は学術会議を何とかしたいと考え、目の敵にしていたからです。戦争への反省や自律的な活動を行うというあり方を変質させ、政府の御用機関に変えたいという目論見は設立当初から一貫していました。自民党による学術会議についてのプロジェクトチームの設置は、この狙いをよく示しています。
 それがなぜ6人の排除という形になったのでしょうか。安保法(戦争法)や「共謀罪」などに批判的な方だったからです。憲法解釈の変更や安保法の制定などによって戦争できる国づくりが進む一方で、学者・研究者が反対運動において大きな役割を果たすようになってきました。これを快く思わない政権側が「一罰百戒」を意図して介入したと思われます。
 それがなぜ学術の分野に対してなされたのでしょうか。教育と大学の管理・統制強化の一環だからです。自民党による日教組敵視や教科書記述への介入、安倍前首相による教育改革や教育再生会議などによる道徳の教科化や愛国心教育の強化、国立大学の法人化や全大学人自治への攻撃などによって教育は変質し、大学の自治と学問の自由は掘り崩されてきました。今回の人事介入も、この流れを引き継いでいます。
 これらの目的達成のためになぜ人事介入という方法が取られたのでしょうか。安倍前政権の下で常套手段として多用されてきたからです。日銀総裁や最高裁長官、NHK会長と経営委員、内閣法制局長官、内閣人事局の設置、検察庁人事、メディア関与など、不都合な人を追い出して都合の良い人に変えるやり方は一般化してきました。今回は杉田和博官房副長官などが「忖度」して事前にチェックし、6人の名前を外した可能性が濃厚です。このようなやり方に慣れきってしまったために、それが持つ問題の重大性に気がつかなかったのではないでしょうか。

 民主主義と学術の危機

 今回の人事介入は戦争する国づくりと軍事研究への加担という点で平和を脅かし、異論の排除という点で民主主義に反し、学問の自由を阻害して学術研究の発展を脅かすことになります。恐るべき言論弾圧事件であり、菅首相は意に沿わないものを理由無く切る冷酷な地金を露わにしました。
 菅政権はやりすぎたのではないでしょうか。民主主義社会であってはならない暴挙によって「虎の尾」を踏んだことを思い知らさなければなりません。このような権力の関与を許せば、言論や表現、教育や大学への介入はさらに露骨となり、民主主義と学術研究は息の根を止められてしまうでしょうから。


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