SSブログ

11月8日(月) ハト派・リベラル派の衣をまとった「安倍背後霊」政権―-岸田文雄新内閣の性格と限界(その2) [論攷]

〔以下の論攷は、『治安維持府と現代』2021年秋季号、第42号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

 3,「食品サンプル」内閣の誕生

 岸田新首相は自らの政権について「新時代共創内閣」と名付けました。国民と共に新しい時代を創造する内閣だとの意味を込めたのでしょう。しかし、その実態は「食品サンプル」のような内閣です。色々と「美味しそう」な料理が並び、見栄えは良いけれども食べることができないからです。
 総選挙が終われば内閣改造となります。食べられたとしても約1ヵ月の「賞味期限」しかありません。しかも、予算委員会での質疑もなく、解散されれば事実上の選挙戦に突入します。各省庁を代表して国会での質問に答えたり、職務に専念したりする時間などありません。初めから「食べられないこと」が分かっているから、閣僚としての資質や適性などを無視して「美味しそう」に見える人を並べたわけです。
 岸田首相がもっともこだわったのは派閥の均衡で、その次には老荘青のバランスと入閣待機組の処遇だったと思われます。その結果、派閥の構成は最大派閥の細田派が4人、麻生派は3人、竹下派も4人、二階派は2人、岸田派は3人。無派閥から3人が入閣し、石破派と石原派からの起用はありませんでした。
 首相を含めた21人の閣僚のうち、13人が初入閣となり、当選3回の若手を起用したのは、清新でさわやかな外見を凝らして生まれ変わった姿を示そうとしたからです。しかし、そのために「この人誰?」というなじみのない大臣が続出し、新内閣に対する「ご祝儀」が少なくなりました。支持率でも株価でも。
 新閣僚も「政治とカネ」の問題などで疑惑をもたれている人は少なくありません。牧島かれんデジタル相については早速NTTからの接待疑惑が報じられました。その他、金子恭之総務相、末松信介文科相、後藤茂之厚労相、金子原二郎農水相、西銘恒三郎復興・沖縄北方相、二之湯智国家公安委員長・防災相などの名前も浮かんでいます。『週刊文春』が「疑惑の玉手箱」と書き、ボロが出る前に総選挙を実施したいと岸田首相が焦るのも当然でしょう。
 過去の侵略戦争を肯定し美化する「靖国」派の議員も目白押しで、日本会議国会議員懇談会と神道政治連盟国会議員懇談会のいずれかに所属する自民党の閣僚は20人中17人に上っています。岸田首相自身、日本会議国会議員懇談会の副幹事長を務めていました。

 4,色あせた「岸田カラー」

 岸田首相には前任者の菅首相とは異なった特徴があります。「聞く力」をアピールし、民主主義の危機、新自由主義の弊害、再分配や格差の是正、収入増などを強調する姿勢です。所信表明演説でも、「信頼と共感」「中間層を拡大する『新しい資本主義』」「国民との丁寧な対話」などの言葉が散りばめられていました。
 このような言説は岸田政権が「安倍・菅政治」の後に登場したことを反映しています。前任者の政治運営によって生じた欠陥と問題点を無視できないからです。国民の声を聞かず、公文書の偽造で民主主義の危機をもたらし、信頼と共感を失い丁寧な説明を避けてきたために大きな批判を招きました。
 共同通信の調査では、安倍・菅政権の路線を「転換するべきだ」との回答が69.7%にのぼり、朝日新聞の調査でも「引き継がない方がよい」が55%と半数を超えています。これでは「継承」を謳うことはできません。とはいえ、はっきりとした転換によって「岸田カラー」を打ち出すこともできないところに、岸田首相のジレンマがあります。
 典型的な例は、「成長と分配の好循環」の前提として「アベノミクスの3本の矢」である金融政策、財政政策、成長戦略の推進を挙げていることです。コロナ対策についても失敗への反省がありません。森友文書の再調査についても否定し、日本学術会議会員6人の任命拒否については見直す意向を示していません。選択的夫婦別姓についてもトーンダウンしました。「聞く耳」は形ばかりで実体がないのです。
 安倍元首相が執念を燃やした改憲路線についても任期中に目途をつけるとして、総選挙向けの重点政策で「早期の憲法改正を実現する」ことを掲げ、「防衛関係費の増額を目指す」として日米同盟の強化と軍事大国化路線も引き継ぎ、辺野古の埋め立て続行を明言しています。「軽武装・ハト派」という宏池会の看板はイメージだけで内実がなく、色あせたものとなっています。
 総裁選の時と首相になってからの発言の違いも注目されます。当初の令和版所得倍増計画は姿を消し、新自由主義については「転換」ではなく「弊害」の指摘にとどまり、金融所得課税は実施しないことになりました。これらの発言も、総裁になるための見掛け倒しの看板にすぎなかったのです。
 「安倍色」を「岸田色」に塗り替えて独自性を示すチャンスを逸したということになります。安倍・麻生・甘利の「3A」が「おんぶお化け」のようにとりついているため、地金はそのままに、表面の「コーティング」でごまかさざるを得なかったのです。ここに「安倍背後霊」政権を担うことになった岸田首相の限界があります。
 実は、「岸田色」を打ち出すのは簡単でした。「憲法9条は変えない」「平和国家としてのブランドを守る」と言いさえすればよかったのです。宏池会の元会長で大先輩に当たる古賀誠氏は『憲法9条は世界遺産』という本まで書いているのですから。でも、そうしていたら、今の自民党では総裁になれなかったでしょうけど。

nice!(0) 

nice! 0