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2月12日(日) 嘘とデタラメで巻き込まれる戦争などマッピラだ―大軍拡・大増税による戦争への道を阻止するために(その3) [論攷]

〔以下の論攷は憲法会議発行の『月刊 憲法運動』通巻518号、23年2月号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕

3,軍拡競争ではなく平和外交を

 〇各論に騙されてはならない

 安全保障政策の大転換に際して、どのような防衛力が必要なのか、どのような装備が効果的か、どこまで防衛費を増やすべきか、その財源をどう確保するのかなどの議論が始まっています。
 しかし、問題はそこにはありません。政策転換の具体的な中身に入る前に、そもそもそのような転換がなぜ必要なのか、という基本的で根本的な問いが十分に議論されていないからです。各論にとらわれて総論での議論から目をそらしてはなりません。
 装備計画や財源論など細部のリアリテイは、そもそもなぜそれが必要なのかという根本的な問いを回避するためのゴマカシです。実際にはできもしない「空想的軍国主義」に現実性を与えるための策謀にすぎません。この土俵に乗らないように注意する必要があります。
 だからと言って無視するわけもいきませんから、提案されている具体的な方策が荒唐無稽で無意味であることを示すことが重要です。個々の具体策の根拠を問いながら、それがそもそも必要あるのかという妥当性を問い続けるべきでしょう。
 敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有として示されている防衛力整備計画が無用で無駄なことを明示することが必要です。ウクライナ戦争が示しているように、現代の戦争は先進技術による誘導弾やミサイル攻撃、AIや電波による索敵、無人ドローンやサイバー攻撃など、これまでとは様相を異にしています。前線と銃後の境も不明確です。敵の基地を想定し、それを攻撃したり島嶼部への着上陸阻止をめざしたりという作戦計画は実態に合わず、全く意味がなくなってしまいました。
 現代の戦争には、「勝者」も「敗者」もありません。戦争が始まったとたんに当事者双方に犠牲者が出て「敗者」となるのです。戦争で勝つことはできず、戦争を避けることでしか「勝者」にはなれないというのがウクライナ戦争の真実であり、憲法9条の理念ではないでしょうか。

 〇歴史の教訓に学べ

 今年のNHKの大河ドラマ「どうする家康」は徳川家康を主人公にしています。家康は徳川幕府を開いて戦国時代に幕を引き、「パクス・トクガワーナ(徳川の平和)」とも評される270年に及ぶ天下泰平の世を生み出しました。その秘訣は武威や武力によって支配する「武断政治」から法律やルールによって統治する「文治政治」への転換です。
 力に頼る政治からの脱却こそが、体制の安定と平和をもたらしたことはきわめて教訓的です。今でいえば、軍事力などのハードパワーから平和国家としての信用力や経済、文化などのソフトパワーへの転換であり、国際関係では軍事から外交への重点移動です。今日の世界でもこのような転換が求められているのではないでしょうか。
 北朝鮮についても、歴史の教訓を学ぶ必要があります。ミサイル発射と核実験が自制された時期があったからです。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領との米朝首脳会談や南北対話が実施されていた期間中、ミサイルが発射されることはありませんでした。このとき核実験も凍結され、対立と緊張は緩和に向かっていたのです。
 この対話が不調に終わった結果、ミサイル発射が再開され、核実験の準備も進められています。昨年末の朝鮮労働党中央委員会総会で金総書記は新型のICBM (大陸間弾道弾)を開発するとともに、保有する核弾頭の数を急激に増やす方針を示しました。
 軍事的圧力はさらなる軍備拡大を促すという軍拡競争が生じたのです。安全を求めて軍備を拡大すればさらなる軍拡を誘発し、緊張が高まって安全が脅かされるという軍拡のパラドクス(ジレンマ)にほかなりません。対話をすれば緊張が緩和し、軍事的圧力を強めれば緊張が激化するというのが歴史の示すところです。
 ウクライナの教訓も学ぶ必要があります。悪いのは侵略したロシアであり、責任を問われるべきはプーチン大統領ですが、ウクライナの側に全く問題がなかったわけではありません。外交は両国によってなされ、それが破綻した結果、戦争を招いてしまったからです。
 ウクライナはロシアの脅威に対抗するために軍拡とNATOへの加盟に頼ろうとしました。このような外交・安全保障政策が失敗した結果、戦争が勃発したのです。力による抑止政策は戦争を防ぐどころか侵略の口実を与えました。もしウクライナが戦争を放棄し、軍事力に頼らず「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」憲法を持っていれば、ロシアは侵略の口実を見つけられなかったにちがいありません。今の日本はこのウクライナの失敗を後追いしようとしているのではないでしょうか。

 〇憲法の制約と時代の要請

 岸田首相は常々「あらゆる選択肢を排除しない」と口にしていますが、これは大きな間違いです。首相は憲法尊重擁護義務を負っていますから、憲法の理念や趣旨に反する選択肢はきっぱりと排除しなければなりません。
 憲法9条の平和主義原則に沿った外交・安全保障政策は、本来、必要最小限度の防衛に徹し海外派兵を行わない、軍事同盟に加盟せず外国の軍事基地を置かない、仮想敵国を持たず対立する国のどちらにも加担しない、東南アジアの非核武装地帯を東北アジアにも拡大する、特定の国を敵視せず全ての国を含む集団安全保障体制を構築するなどによって具体化されるべきものです。
 これに対して、今回の安全保障政策の大転換が目指しているのは、GDP2%の11兆円を超える世界第3位の軍事力、日本が攻撃されていなくても集団的自衛権によって戦争に参加、米軍とともに戦う自衛隊の自由な海外派兵、外国の指揮統制機能等の中枢を攻撃しせん滅する攻撃能力の保有、攻撃される前に実施する国連憲章違反の先制攻撃などです。
 このような転換は戦後保守政治の質的な変容を示すもので、これまでの延長線上でとらえてはなりません。岸田首相は憲法の平和主義原則を真っ向から踏みにじり、60年安保闘争を教訓にして戦後保守政治が採用した解釈改憲の枠さえ、もはや守るべき一線ではなくなってしまいました。
 また、今回の政策転換は時代が直面している問題の解決にも反しています。「自由で開かれたインド太平洋」を旗印に軍事ブロックの強化をめざしているからです。「国家安全保障戦略」は「同志国との連携」を打ち出し、「国家防衛戦略」は、「日米同盟を中核とする同志国等との連携を強化する」と述べています。そのために、日米豪印の「クワッド(QUAD)」などだけでなく、地理的に離れたイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどとの軍事的協力を強めてきました。
 しかし、国の内外で大きな問題となっているのは分断と対立の激化です。それを解決するための共存と調和こそが時代の要請となっているのではないでしょうか。国内での政治的社会的な分断に悩まされている典型がアメリカであり、日本はそのお先棒を担いで世界の分断に手を貸そうとしています。
 軍事的ブロックの形成と強化ではなく、分断の解決に向けて力を尽くすのが日本の役割であり、憲法9条の要請です。分断と対立を終わらせ、考え方や価値観、立場が異なっていても共存し友好関係を築けるような東アジアをめざさなければなりません。

 むすび

 戦争へと突き進む危険な道への選択が現実のものになろうとしています。このような「戦争前夜」において、どうすれば「新たな戦前」を阻止することができるのでしょうか。
 まず何よりも必要なことは、多くの国民に事実を知らせることであり、そのために声を上げ続けることです。そして、戦争準備に血道をあげている自民・公明の与党、それに手を貸している維新や国民民主の野党に選挙で大きな打撃を与えなければなりません。
 維新を利用した野党への分断攻撃を跳ね返し、市民と野党の共闘を再建し強化することも必要です。憲法を守り、戦争準備の大軍拡とそのための大増税に反対する立憲野党を励まし、国会での追及に声援を送り、選挙での前進を勝ち取らなければなりません。当面、4月の統一地方選挙と衆院の補欠選挙が大きなチャンスになります。
 世論に働きかけ知らせるためには知らなければなりません。今、何が起きているのか、どこに向かおうとしているのか、戦後安全保障政策の大転換と敵基地攻撃能力(反撃能力)についての嘘とデタラメを見破り、その誤りを分かりやすく伝えていくために、歴史を学び事実を知ることが大切です。
 戦争反対の幅広い世論を結集することも大切です。戦地への動員と戦闘への参加というリスクに最も不安を抱いているのは、自衛隊員とその家族、関係者ではないでしょうか。大軍拡は「身の丈に合わない」と考えている人々も含めた反戦の輪を広げていきましょう。
 支持率低下で窮地に陥っている岸田政権に対しては「勝手に決めるな」の声を高めて通常国会で追い込み、解散・総選挙を勝ち取ること、その機会に「ノー」を突き付けて退陣を迫り、大軍拡・大増税に向けての政策転換をストップすることが大きな課題になります。
 軍拡をめざす政治家や高級官僚に問いたいと思います。これほどの嘘とデタラメが分からないのかと。日米同盟が深化し軍事的一体化が加速すればするほど、周辺諸国との関係が悪化し、国民の不安が高まり、戦争の足音が高くなるのはなぜなのかと。
 重ねて問いたい。あなたがたには、その足音が聞こえないのかと。


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