SSブログ

7月30日(木) 李下に冠を正して実をもぎ取った竹中平蔵元経財相 [規制緩和]

 やっぱり、こういうことだったんですね。郵政民営化でかんぽの宿などの「改革利権」を手に入れたオリックスの宮内さんに次いで、竹中さんも労働の規制緩和による人材派遣業の拡大で「改革利権」の果実をしっかりともぎ取ったようです。

 今日の『朝日新聞』10面の「経済」面を見ていたら、見慣れた顔の写真が出ていました。竹中平蔵さんの写真です。
 「おや、珍しいな」と思って、記事を読んで驚きました。「竹中元経財相がパソナ取締役に」という見出しで、次のように書かれていたからです。

 人材派遣大手のパソナグループは29日、小泉内閣で経済財政担当相や総務相などを務めた竹中平蔵慶大教授(58)を8月26日付で取締役に迎えると発表した。任期は1年。社外取締役ではなく、より会社の中に入り、経営や事業について助言してもらうという。
 竹中氏は01~06年に閣僚を歴任し、07年からは同社の特別顧問や取締役の諮問機関であるアドバイザリーボードの一員を務めてきた。

 竹中さんが、06年に総務大臣兼郵政民営化担当大臣を辞め、参院議員も辞職していたことは知っていました。その後は、慶応大学の先生をしていただけでなく、人材派遣大手の会社の「特別顧問や取締役の諮問機関であるアドバイザリーボードの一員を務め」ていたというわけです。
 そして、今回、「もう良かろう」ということで、晴れて「取締役」に昇進というわけでしょうか。それも、「社外取締役ではなく、より会社の中に入り、経営や事業について助言」するような形で……。

 「李下に冠を正さず」ということわざがあります。李 ( すもも ) の木の下で冠をかぶり直せば、手を伸ばして 李の実を盗んで隠したと誤解されるから、そのようなことをしてはならないという戒めです。
 宮内さんや竹中さんは、もちろん、このことわざをご存知でしょう。それにもかかわらず、実がタップリとなるのを待ってから、堂々ともぎ取ってしまいました。
 というより、このような形で実をとれるようにするため、せっせと周りの垣根を外していたのです。それが、構造改革の掛け声の下に推進された規制緩和の本質でした。

 「一将功成りて万骨枯る」ということわざもあります。一人の将軍が輝かしい功名を立てた陰には、戦場に屍(しかばね)をさらす多くの兵士の犠牲があったという意味です。
 規制緩和で日本をズタズタにし、「改革利権」によって旨い汁を吸ったのは、宮内さんと竹中さんの2人です。さしずめ、「二将功成って万骨枯る」というところでしょうか。


7月29日(水) 私は「格差論壇」MAPをどう見たか [論攷]

〔以下のインタビューは、『POSSE』第4号に掲載されたものです〕

私は「格差論壇」MAPをどう見たか

「格差論壇」の転換と議論の交通整理~論壇マップの意義~

五十嵐:まず始めに、このマップについて二点言いたいことがあります。一つは、マップが必要とされるほど格差論壇が盛んになったことを喜びたいということです。昔は、論壇で格差、貧困、労働などの問題が取り上げられることはほとんどありませんでした。
それが、私の主張する「06年転換説」の06年くらいから、いろいろな形でマスコミや論壇で取り上げられるようになってきた。このように「交通量」が増えた結果、「交通整理」の必要が生じたというわけです。それほどにたくさんの車が走りまわっているのは、大変けっこうなことだと思います。
これまで見えなかった、社会の背後に隠されていたような問題に、ますます多くの人が光を当てて問題の所在を明らかにするだけでなく解決に向けての提案を行い、議論を展開する。そしてより良い方向を提示するということは、大変好ましいことだと思います。
もう一つ言いたいことは、マップという手法ですけれども、このような形で問題を整理し、分かりやすく提示しようということも評価したいと思います。
中身の妥当性についてはこれから議論したいと思いますが、木下武男さんがこういった形で問題を整理し、それぞれの議論を分かりやすく提示しようとしたことは大変積極的なことだし、問題の理解を助ける良い試みだと思います。

日本的経営の打破をめざして規制緩和を支持した旧左派の一部

五十嵐:このマップの特徴、新しさは、「規制緩和-規制強化」という座標軸だけでなく、もう一つ「ジョブ」を基軸とした座標軸を提起したという点にあります。しかし、ジョブの反対にあるもう一つの極として何がいいかということでは、色々と議論があるだろうと思います。
この極として「隠れ年功派」が示されていますが、これが一つの問題です。ジョブを一つの極として出したのは木下さんらしさでもあり、新しさでもあると思いますが、その反対の極が「隠れ年功派」ということでよいのかということですね。
また、「アメリカ型競争社会派」と「『構造改革』派」が別の象限になっている。これも問題です。「アメリカ型競争社会派」と「『構造改革』派」はどう違うのか。ここのところはしっかり説明する必要があるでしょう。
それから、旧日本的経営を支持する人々がどこに入るのかということです。おそらく「オールド左派」と一緒のところに入ってしまうと思いますが、では、「オールド左派」と旧日本的経営とはイコールなのかということです。この区別が不明確で、差異化が図られなくなる。このような問題があるんじゃないでしょうか。

――このマップはその後少し再考されているところで、名前が変わることになっています。一つは「オールド左派」となっているところには自民党や民主党も入るのではないか、いわゆる日本型雇用を擁護する人々も入るのではないかという変更が木下先生からなされています。

五十嵐:そうでしょう。つまり、旧日本的経営の支持者として一緒になってしまうんですよ。しかし、「オールド左派」は旧日本的経営に反対していました。この旧日本的経営に対する改革といいますか、それを変える期待があったために「オールド左派」の一部は構造改革、規制緩和論に同調する動きを示したこともあったほどです。
 新自由主義の第2段階は橋本内閣の「6大改革」だというのが私の理解ですが、そこに至る細川連立政権や羽田内閣、村山内閣も、徐々に規制緩和の方向を打ち出しました。連合は、日経連の「新時代の『日本的経営』」が出た95年の12月に、「規制緩和の推進に関する要請」を出しています。つまり、「オールド左派」の一部は規制緩和の方向にぶれたことがある。そういうことが、このマップからは見えてきません。
濱口桂一郎さんが旧左派に対して厳しく批判するのはその点なんです。昔は、おまえたちもネオリベ(新自由主義)と一緒だったじゃないかと。それまでの日本的経営に対してネオリベも反対、左派も反対ということで共同戦線を張っていたじゃないかということでしょう。長期雇用や年功制などの「日本的雇用慣行」、あるいは男女差別や男性正社員基軸などに支えられている日本的経営を変えてくれるんじゃないかと。それまでの日本的経営を打破する方向として、ネオリベに多少期待する部分があったと思います。しかし、その結果もたらされたのは、さらにいっそう苛酷な競争社会であり、悲惨な労働現場でした。

誰が敵で、誰を味方につけるのか~戦略としてのマッピングの意味~

――「アメリカ型競争社会派」と「『構造改革』派」がどう違うのかという論点が出されましたね。ここも少し木下先生から「アメリカ型競争社会派」ではなくて「ジョブ型競争社会派」への変更がなされています。八代尚弘さんのような。

五十嵐:でも、八代さんはアメリカをモデルにしていたわけでしょ。だったら、「アメリカ型競争社会派」も「ジョブ型競争社会派」も、あまり変わらないじゃない。八代さんは「『構造改革』派」とどう違うんですか?

――最近、八代さんは、経済財政諮問会議の民間議員を終えて、政府に近い立場にいないんじゃないかと。むしろ、格差論壇が活発なってからは、これまでの既得権などを維持しながら部分的に非正規雇用だとかを作り出していくことを批判していて、財界が志向している方向とは違うんじゃないかと。

五十嵐:それを言いたいのであれば、そこからまた新しい疑問が出てきます。「ジョブ型」を一つの極として設定することで、木下さんは「八代さんと似ているように見えるけれど違う」と言いたいのか、「違うように見えるけれど似ている」と言いたいのか、どっちなのかということです。
つまり、八代さんは一緒にやれる相手であると言いたいために、このようなマップを作ろうとしているのか、良く似ているけれどやっぱり違うんだ、彼とは一緒にやれないんだということを言うために、このマップを作ろうとしているのか。その意図は、どちらにあるのでしょうか。
反貧困や格差の縮小をめざす運動で、木下さんは八代さんと手を組んで一緒にやれると考えているのでしょうか。これが根本的な問題でしょう、実践的にいえば。

――とても面白い論点だと思います。今回のマッピングは、最初は言説分析や政策分析という位置づけが大きかったんですが、それからいろいろと考えを深められ、今は戦略的にどういった意味を持ちうるかという話をしているんですよね。政策的な意味でいえば八代さんの主張も一定程度取り入れられるのではないかということと、もう一つは、自民党や民主党はとりあえずおくとして、旧左派や既存の労働組合を積極的に引っ張っていくために、第2象限と第4象限を、一方は「ジョブ型」、他方は「福祉国家派」ということである種糾合していくという形です。 

五十嵐:なるほど。糾合して味方の陣地を拡大し、第3象限の「構造改革派」の孤立化を図ろうということですね。昔から統一戦線や「大左翼」を主張してきた私からすれば、そのような発想は大賛成です。味方は最大限拡大し、敵は可能な限り極小化するというのが闘いの基本ですから。しかし、孤立化を図るべき「『構造改革』派」の主敵は誰ですか? 今まで主敵と見られてきた八代さんは、そうじゃないというわけですね。
一番ひどいことを政府関係の文書で書いているのは福井秀夫さんです。規制改革会議再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォースの「脱格差と活力をもたらす労働市場へ―労働法制の抜本的見直しを」という文書で、「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている」と、無茶苦茶なことを書いている。それが、07年暮れの規制改革会議「第二次答申」に入るわけです。それは厚生労働省からも批判されるほどのひどい内容でしたが。
でも、最近は福井さんも変わったのかもしれません。08年暮れの規制改革会議「第三次答申」をみますと「環境変化を意識した労働者保護政策が必要」だと書かれています。もっとも、「真の労働者保護は規制の強化により達成されるものではない」とクギを刺すことも忘れてはいませんが……。
構造改革路線は正しかった、それをもっとやらなければならないと、今も主張している人は竹中平蔵さんぐらいじゃないですか。竹中さんだったら、誰が見たって今も「構造改革派」で、わざわざマップを作って竹中は敵だと言うまでもありません。
ところで、八代さんは「改心」したのか、あるいは「転向」したのか……。濱口さんは、彼が「改心」したと『世界』07年11月号に書きました。八代さんが「労働市場改革専門調査会」の主査になってワーク・ライフ・バランス論などを言い始めるわけです。これで変わったんじゃないかと。
しかし、その後も微妙だと思いますね、改心したのか、状況の変化をみて対応を変えたのか、あるいは主張をコロコロ変える一貫性のない人なのかという点では。だから、ジョブ論を間に挟むことによって、八代は敵のようにみえるけれども実は味方だったんだよと木下さんが言えば、ジョブ論に幻惑されて木下は八代に取り込まれたんじゃないかと、逆の見方をされる可能性があるでしょう。そういう批判が運動の側から寄せられることもあるだろうと思います。
木下さんは、ガテン系連帯の協同代表で『POSSE』とも深い関わりを持っています。青年ユニオンを支える会や『労働情報』の編集人などとしても活躍されていて、私はそれを高く評価しています。その方が、運動内部の足並みを乱すような形で誤解されるようなことがあってはなりません。
これまでも、木下さんの議論については、あまりにも正規と非正規の違い、正規の中での中核的労働者と周辺的労働者間の格差を強調しすぎるのではないか、その結果、労働者内部の対立を煽ることになるのではないかという批判がありました。ですから、八代さんをどう評価するかという問題はかなり微妙だと思います。もし、八代さんが共闘に値する相手だというのであれば、マップだけでなく、もっと説得的な形で証明しなければなりません。そうでなければ、このマップ自体の説得性も出てこないと思います。

ジョブよりも「メンバーシップ」~「就職」対「入社」~

五十嵐:これも濱口さんが言っていることだけど、「ジョブ」に対する極としたら「メンバーシップ」でしょうね。「ジョブ」対「年功制」というよりも、「就職」対「入社」です。日本と欧米との違いがそこにあるというのは、かなり言われていることです。職に就く、会社に入るという違いで、会社に入った後、年功的な処遇がなされるか、長期雇用がなされるかというのは、また別の話です。

――年功制、ジョブという極だと賃金論に基づいていますが、もっと広く問題をとらえるということでしょうか。

五十嵐:そういう違いのほうがもっと分かりやすい。かなり幅広く承認されているのはジョブ対メンバーシップでしょうね。特定の職に就くことと、特定の会社のメンバーになること、これが「就職」対「入社」の違いを生む。これによって、賃金形態や昇進・昇格のあり方、企業内福利・厚生や技能養成、退職後の年金なども含めて、あらゆる面が変わってくる。労働市場も、内部労働市場と外部労働市場とか。ジョブで動くから外部労働市場に結びつくわけで、メンバーシップによる企業内部での異動や昇進が内部労働市場。
このような違いからすると、年功制だけに焦点をあてるというのは、ちょっと違うんじゃないかという気がします。ジョブの問題を重視するのはいいと思いますよ。ヨーロッパやアメリカのようなジョブ主体で動いているような労働社会。それと比べれば日本は大きく違うのは明らかですから。

中谷巌は「懺悔の値打ちもない」~規制緩和の論客たちをどう見るか~

――「ジョブ-メンバーシップ」という座標軸に変更したとして、このマップに今の格差論壇の主要な論者を位置づけるとしたら、五十嵐先生はどうされますか。

五十嵐:私はそれほど格差論壇に詳しいわけではありませんから、包括的なマッピングはできません。ただ、規制緩和にむけて、経済財政諮問会議や規制改革会議などで大きな役割を演じたということでは、福井秀夫、八田達夫、八代尚宏の3人の責任は大きいと思います。それに何と言っても竹中さんでしょう。規制緩和について、まだ反省していないわけだから。これに比べれば、小渕内閣の経済戦略会議議長代理だった中谷巌さんはまだましだと言える。『資本主義はなぜ自壊したのか』という本を出して「懺悔」したのですから。
しかし、中谷さんについては、色々と言いたいことがあります。戦争推進の旗を振った学者が、戦後になって間違えましたと頭を掻いて許されるのか、ということです。日本の侵略戦争に関わった学者で良心的な人は、戦後、責任を感じて筆を折り口をつぐみました。規制緩和の旗を振り、今また「あれは間違いでした」と書いたりしゃべったりして稼いでいるのをみると腹が立ちますね。
彼が推進した規制緩和政策のために、非正規になり苛酷で貧しい生活を強いられた若者がいたでしょう。経営が成り立たなくなって首をつって自殺した商店のおじいさんやおばあさんがいたかもしれない。タクシーが増えて交通事故で死んだ運転手や乗客がいたかもしれません。彼の提言によって実施された政策は具体的な結果を招いているんです。98年以降年間3万人を超える自殺者が11年連続で40万人近くになっているという惨状です。そのなかには、中谷さんが推進した規制緩和政策の犠牲者がいたかもしれない。いや、いるにちがいありません。
このような現実に対する想像力がない。自らの行動に対する責任感がない。学者とは、そういうものでいいのか。その程度の責任感覚で政治に関与し、政府に提言されたらたまりませんよ。ちょっと試しに言ってみたら採用され、失敗して批判が高まったら間違えましたと懺悔し、今度はまた違ったことを言う。あまりにもいい加減、あまりにも軽薄、あまりにも無責任ではありませんか。僕は、あの人の顔を見ると許せない。
実は、同じようなことは八代さんにも言えるのではないでしょうか。木下さんは、まず、八代さんにこう問うべきでしょう。非正規労働者の激増やその原因についてどう考えているのか。ホワイトカラー・エグゼンプションの導入を、今でも正しいことだと思っているのか。日本の労働がかくも荒廃し、働くものが呻吟せざるを得ないような希望なき社会に変貌してしまったことに、あなたは責任を感じないのか、と……。

日本型雇用は必ずしも全否定されるものではない~ステークホルダー論として~

五十嵐:日本の労働社会における根源的な問題はメンバーシップ型だというところにあるというのはその通りで、それをジョブ型に変えればかなりの問題は解決すると思います。しかし、私がジョブ派かと問われれば、必ずしもそうじゃないという気がします。正確には、どちらとも自分の立場を定めていないということかもしれません。多分、この横の座標軸の下ではない。上かもしれないけど、年功的な処遇とか長期雇用を一概に否定するという立場でもありません。
拙著『労働再規制』でも、経営者間にはアメリカ型の「株主価値論」と旧日本型の「ステークホルダー論」との対立があったということを紹介しました。長期雇用や年功制は、後者のステークホルダー論の一部なんです。だから、年功制は従業員をそれなりに処遇しようじゃないかというシステムの一つのあり方であって、必ずしも全否定すべきものじゃないという気持ちはあります。日本的雇用慣行による安定か、それとは無縁なジョブ型雇用の日本版かという選択肢を示されれば、多くの人は前者を選ぶにちがいありません。
しかも、年功制というのは、年だけではなく功に対する評価、つまり、経験や企業特殊熟練、技能や技術の向上などへの評価も含まれていて、同時に、ライフスタイルに合わせて給料が上がっていくという賃金システムです。ライフスタイルの変化に応じて社会保障がきちんとバックアップできる体制になっていない現状では、これがなくなると生活できません。それに代わる社会的なシステムが整備されない限り、ライフスタイルに応じた必要をまかなうに足る賃金を保障しないと生活できない。結婚できるだけの賃金収入、住宅の取得や子どもの養育に対する助成、教育費の軽減などが必要です。

――木下先生の場合、ジョブと規制強化という対立軸を設定して、そこで福祉の問題を言っているのが一つの特徴かと思います。つまり、教育や医療、介護、年金、保育などに関しては賃金のなかに埋め込むのではなく、福祉という形でやっていくと。これが企業社会ではできなかったことではないでしょうか。

五十嵐:基本的な方向は、そうだと思います。今まで、賃金のなかに含まれている、あるいは企業に任されていた部分を、国家や自治体の責任で、公的な社会制度として面倒をみるようなシステムを作っていかなければなりません。大きな方向としては、その通りです。
これまで全部企業任せでしたから、公的なセーフティネットを作る必要がありませんでした。日本が「企業社会」だとされたのは、そのためです。国はセーフティネットについての責任を放棄し、それを企業に任せてきました。
しかし、今日では「企業社会」ですらなくなってきていますから、企業の外にセーフティネットを張り巡らす必要があります。それを企業の外に作ってからジョブ型にするということでなければなりません。順番が逆になったら、大変なことになってしまいます。
実際、今は順番が逆になっているわけです。その典型的な例が「派遣切り」です。セーフティネットができないうちに、企業が自らの責任を放棄して派遣労働者を外に追い出してしまいました。それで、外に出された人は路頭に迷っちゃうわけです。彼らを支える公的なセーフティネットが整備されていませんから。

正社員もセーフティネットの整備をバックアップすることが必要

――木下先生の場合、新しく生まれてくる非正規雇用や周辺的正社員が新しい福祉国家を作るときの基盤、母体になるんじゃないかという議論になっています。五十嵐先生は、戦略的にそれをつくる勢力、主体は何になると思われているのでしょうか。

五十嵐:現時点でいえば、切実にセーフティネットを必要とする人々が自ら運動を起こすことによって整備されるだろうと思います。その意味では、「企業社会」からはみ出してしまう非正規労働者や、企業社会の内部にはいても周辺化されている正規労働者が主体になるだろうと私も思います。
 しかし、それだけでは足らない。社会的に力のある大きな運動とするためには、そういう運動を理念的に支援する勢力を惹き付けなければなりません。自分がいま問題を抱えていなくても、将来的な国のあり方として、労働や生活にかかわるセーフティネットの整備が必要であることを理解した人たち、そういう人たちが後から支える、バックアップする。そういう形で運動を拡大していくことが必要でしょう。正規労働者の一部は、ちゃんと問題を理解する力を持っていると思いますね。

――五十嵐先生の著作の最後には、民主党や山口二郎や宮本太郎さんについての言及がありますが、これらの論者については、どう位置づけられているのでしょうか?

五十嵐:今言ったような福祉国家システムを作るうえで、大いに活躍していただきたいと期待している人々です。それと並行して働き方を変えていくということでしょうが、現実の問題としては、働き方はもう変わってきています。企業社会で面倒を見られる人は働く人の3分の2しかいません。3分の1以上は、そういうものとは全く無関係に存在している非正規雇用です。まず、この非正規雇用の人たちに対するセーフティネットをつくらないといけません。
非正規雇用問題の解決のためには、多面的なアプローチが必要です。現に起きている問題、たとえば「派遣切り」とか職がないとか住むところがないとか、こういう問題に適宜的確に対応する。同時に、派遣労働に対する再規制のための労働者派遣法の改正が必要です。さらに、非正規労働者全体にかかわるような改革、最低賃金と時給の引き上げや均等待遇に向けての差別禁止などを実現しなければなりません。どれからということじゃなく、どれもやらなければならないことだと思います。

「派遣村」以降の政策案をどう評価するか

――「派遣村」以降は政府もいろいろと対応策を出していますが、そういった一連の対応をどのように評価されていますか?

五十嵐:玉石混交ですよね。だいたい、政策担当者というのは問題が起きて社会的混乱が生じると二重の反応をするんです。一つは「困ったな」、もう一つは「良かったな」という反応です。「困ったな」というのは、混乱が生じているからで、色々と対応しなきゃならない、忙しくなる。けれど、そうなったら人員は増える、予算請求もできる、縄張りは広がると、こうなるわけです。
厚労省なんか典型的です。今度の補正予算だって、この間の混乱に乗じてどんどん要求を出した結果でしょう。1兆7000億円ですよ。色々と大変だったけど、ああ、良かったなというところでしょう。労働組合や派遣村の人が厚労省に言って、これやれあれやれと要求する。担当官が出てきて困った顔をするけど、部屋に帰ったらニコニコですよ。これでまた予算請求できるって。そういうものです。今度の補正予算だって、実際に必要とされて出てくる施策もあるけれど、この際だからってぶち込まれたいかがわしいものもたくさんあります。

――これまでの制度を抜本的に改革するのではなく、かなり対処療法的な時限的施策が多いですよね。

五十嵐:それは、景気対策のための臨時的緊急対策としての色彩を持たせているからです。まあ、そのような仮面をかぶせてぶち込んでいるわけです、今までやりたかったことを。だから、いろんなものが入っている。総額15兆円ですから、これだけ大規模にやれば的に当たるものだって一つや二つはあります。そういうものが全くなかったら説得力を持ちませんから。だから、みんなが「なるほどな」っていうのを前面に出して、その後ろのほうに既得権拡大のためのものとかをくっつけているわけです。ですから、それぞれの施策が本当に必要なものなのかどうか、きちんと見極めなければならないところですね。

――民主党の政策はどう位置づけられますか?

五十嵐:民主党は労働問題でははっきりしません。連合まかせです。4月に、民主党ネクスト・キャビネットの厚労省担当の藤村修さんと一緒に外国人特派員クラブで話をしましたが、話を聞いていても通り一遍でメリハリがない。
派遣問題については、民主党は登録型派遣の禁止に踏み込みました。しかし、内部には異論があります。この線で野党全体がまとまるかどうかというところでしょうね。

――戦術というか、選挙を睨んでやっているように思えますが。

五十嵐:選挙目当てであっても、正しいことをやればそれでいいんですよ。ホワイトカラー・エグゼンプション導入の断念だって、安倍元首相からすれば選挙対策だったわけですから。夏に参議院選挙があるのに、こんな反対の多い法案を出して国会でガンガンやられたらたまらないということでやめちゃった。
選挙対策ということは、有権者、ひいては国民の目を気にしているということですから、民意に従った選択ということになります。決して悪いことではないと思いますね。それだけ民意を気にかけ、それを尊重しようということになるのだから……。

(聞き手:本誌編集部)

7月28日(火) 累進税率強化と相続税の引き上げによって、財源確保、格差是正、内需拡大の一挙三得を [解散・総選挙]

 民主党のマニフェストが明らかにされました。早速、色々な論評がなされていますが、批判の最大のものは「財源をどうするのか」という点です。
 民主党は無駄を削ることで捻出すると答えています。「それで足りるのか」というのが、自民党などの批判です。それには、こう答えれば良いんです。「足りなかったら、金持ちから取る」と……。

 まず、言わなければならないことは、自民党には批判する資格がないということです。まだ、自民党はマニフェストを出していないのですから……。
 自分では答案を出さないで、他人の答えは間違っていると批判しているようなものです。まず、自分の答案を提出するべきでしょう。
 それに、ここまで財政赤字を増やしてきたのは一体、誰なんでしょうか。長年のバラ撒きや無駄遣いによって財政赤字をここまで増やしてきたのは、自民党自身ではありませんか。

 次に言うべきことは、自民党が行ってきた無駄遣いをやめることによって、かなりの財源を確保することができるということです。民主党のマニフェストでは、公共事業や補助金見直しなどの「無駄遣い根絶」で9.1兆円、財政投融資特別会計の運用益など「埋蔵金」の活用や政府資産の売却で5兆円、租税特別措置などの見直しで2.7兆円を確保することができるとしています。
 ただし、民主党の案では、最も省くべき大きな無駄が見落とされています。それは防衛費と大企業に対する優遇税制です。
 防衛費を削ること、特に、陸上自衛隊関連の装備費については、大胆に削減することが可能でしょう。大企業の優遇税制についても、見直せばかなりの額が捻出できるはずです。

 それでも、不足が出てくるかもしれません。その場合には、やはり増税が必要です。
 そのとき行うべきは、富裕層に対する増税です。この点では、アメリカのオバマ大統領や富裕層の所得税引き上げ政策の必要性に言及したイギリス保守党のキャメロン党首に学ぶべきでしょう。
 お金持ちから取るという政策は、保守的な政権でも可能であるということは、アメリカやイギリスの例からも明らかです。どうして、日本の民主党はこれを見習おうとしないのでしょうか。

 金持ちからの税金を増やし、貧しい人々に減税するのは簡単です。累進税率を元の形に戻し、課税最低限を引き上げれば良いのです。
 こうすれば、財源を確保するだけでなく、格差を是正することもできます。金持ちから税金を多く取り、貧しい人々の税金をまけるのですから……。
 こうすれば、個人消費を増やし、国内市場の拡大にも資することができます。消費性向の低い金持ちの可処分所得を減らし、逆に、消費性向の高い貧困層の可処分所得を増やすことになるのですから……。

 高額の相続財産に対する増税も、効果的でしょう。それを子供手当てや教育関係の財源に回せば良いのです。
 そうすれば、何十億もの財産の相続を、個人ではなく世代として行うことになります。先行する世代から次の世代に富を相続することによって、次の世代の成長を助けなければなりません。

 累進税率を元に戻し、高額の相続に対する税を強化する。これによって、財源の確保、格差の是正、内需の拡大という一挙三得を実現する。
 どうですか。良いアイデアだと思いませんか。

7月26日(日) 出てきたのはマニフェスト(政権公約)ではなく麻生首相の暴言 [首相]

 「政局」より「政策」だ、選挙でも問われているのは「政策」だ、と言いながら、いつまで経っても「政策」を出せない。「私の発言で誤解を招いた」と、両院議員懇談会で謝罪したご本人が、またも誤解を招くような発言を繰り返す。
 「一体どうなっているのだ、自民党は」と、言いたくなります。どうなってもいない、それが落城間近の自民党の本当の姿なのだ、ということなのでしょうか。

 今日の『日経新聞』に、「この逆風は選挙区を回ったくらいでは変えられない。ここまできたら日本をどうするのかという政策論議で真っ向勝負するしかない」という自民党の閣僚経験者の声が紹介されています。この言葉を紹介した坂本編集委員は、「自民党は勝機を見いだすのはかなり難しい状況だ。遅きに失した感は否めない。が、ほかに得策があるとも思えない」と書いています。
 自民党の閣僚経験者は「政策論議で真っ向勝負するしかない」と言い、『日経新聞』の編集委員は「遅きに失した感」はあるが、そうするしかないだろう、というのです。カギは、「政策論議」にあるということになります。
 ところで、その「政策」は、どこにあるのでしょうか。論議をするための材料がどこにも見あたりません。

 『日経新聞』の同じ面の右上に、大きく「政権公約 自民もたつく」という見出しが出ています。「自民党の衆院選のマニフェスト(政権公約)づくりが『麻生降ろし』を巡る党内の混乱のあおりで難航している。……完成版の公表時期も8月にずれ込む可能性が出てきた」というのです。
 何ですか、これは? 「政策論議で真っ向勝負するしかない」と言いながら、その中心になるべき「マニフェスト(政権公約)」がまだできていないというのは?
 今でも「遅きに失した」と言われているのに、さらに1週間ほども遅れるというのです。これで、「真っ向勝負」になるのでしょうか。

 この記事が「『麻生降ろし』を巡る党内の混乱」と書いているように、自民党は分裂状態で選挙に突入しようとしました。それを収めたのが、両院議員懇談会での麻生首相の反省と謝罪でした。
 自己の発言や政策のブレが政治への信頼を損ねたとして、両院議員の前で謝ったのです。目に涙を浮かべての訴えにほだされたのでしょうか、反麻生の急先鋒だった中川秀直元幹事長も握手をして矛を収めました。
 ところが、またも、麻生首相の発言が問題になっています。横浜市内で開かれた日本青年会議所(JC)の会合であいさつし、次のように発言したからです。

 全人口の約20%が65歳以上、その65歳以上の人たちは元気に働ける。いわゆる介護を必要としない人たちは実に8割を超えている。8割は元気なんだ。
 その元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってください。働くということに絶対の能力はある。80(歳)過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら「青年会議所の間」くらいだ。そのころから訓練しておかないと、60過ぎて80過ぎて手習いなんて遅い。
 だから、働ける才能をもっと使って、その人たちが働けるようになれば納税者になる。税金を受け取る方ではない、納税者になる。日本の社会保障はまったく変わったものになる。どうしてそういう発想にならないのか。暗く貧しい高齢化社会は違う。明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会、これが日本の目指す方向だ。もし、高齢化社会の創造に日本が成功したら、世界中、日本を見習う。

 「働くことしか才能がない」とは何ですか。このような言葉は、人を馬鹿にするときに使うものです。それ以外の使い方があるなら教えていただきたいものです。
 この発言について野党は一斉に批判し、麻生首相は「私の意図は正しく伝わっていない。申し上げたいのは、日本に元気で活力がある高齢者が多いということ。社会参加してもらい、働く場をつくる。それが活力ある明るい高齢化社会だ」と釈明しています。
 それなら、初めからそう言えばよいでしょう。どうして、「働くことしか才能がないと思ってください。働くということに絶対の能力はある。80(歳)過ぎて遊びを覚えても遅い」などと言ったのでしょうか。

 麻生首相は、普段からこういう風に考えている人だからでしょう。だから、思わず口をついて出てしまうのです。
 いかに麻生さんでも、言って良いことと悪いことの区別はつくはずです。こう言えば反発を招くということも分かるはずです。
 しかし、普段から頭の中にあるから、調子に乗ってしゃべっていると、つい外に出てしまう。話を面白くしよう、笑いをとろうという意識と生まれながらに身に付いた「見下ろし目線」が組み合わさると、往々にしてこのような、人を小馬鹿にし、侮辱するような発言になってしまうのです。

 解散から投票まで40日という最長期間を設定し、「ほとぼりが冷める」のを待つ作戦だったと思われます。しかし、これは逆に作用するかもしれません。
 ダムの堤防が決壊して流れ出した水は、時間が経てば経つほど、その勢いを増すからです。まして、麻生首相や細田幹事長などの「失言」や「暴言」が飛び出せば、どんどん水かさが増えることになるでしょう。

 逆風が吹き荒れているにもかかわらず、戦うに武器なく、指導部は相手に攻撃材料を提供するという体たらくです。選挙区に戻った自民党の前議員や候補者は頭を抱えているにちがいありません。

7月21日(火) 「バカヤロー解散」があれば「バカヤローの解散」もある [解散・総選挙]

 いよいよ、衆院が解散しました。8月18日公示、30日投票の日程が確定したことになります。

 「本日、しゅうび(焦眉)の急となっていた解散を断行します。自民党はみぞうゆう(未曾有)の危機であり、選挙戦もじゅんぷうまんぽ(順風満帆)とはいかないと思いますが、このような事態はそうはんざつ(頻繁)にあるわけではありません。候補者は大きなかいが(怪我)をしないよう、政権党の伝統をふしゅう(踏襲)して奮闘してもらいたい。選挙戦のようさい(詳細)については幹事長から説明して欲しい」などという演説をしたんでしょうか、麻生自民党総裁は……。

 というのは冗談で、注目の両院議員懇談会では、「出席議員からは首相の退陣要求など表立った批判はなく、予定の1時間を待たずに終了した」そうです。中川秀直、加藤紘一、武部勤の3元幹事長は発言しませんでした。
 それは、そうでしょう。公認権をたてに事前にけん制する構えをみせ、「反麻生」の動きを封ずる見通しが立ったから、公開で開くことにしたのでしょうから……。
 なお、この場で麻生首相が、「行き過ぎた市場原理主義からは決別する」と述べたのは重要です。それが、小泉路線からの明確な「決別」を意味するのであればの話ですが……。

 午後6時から、麻生首相は解散に当たっての記者会見を行いました。小泉元首相のような一発逆転の演説を期待した向きもあったようですが、見事な空振りに終わりました。
 原稿や漢字の読み間違いはなかったようです。しかし、自己の不用意な発言への反省や自民党内の結束の乱れについてのお詫びから始めるのでは、意気が上がるわけがありません。
 麻生首相は、①景気の回復、②安心社会の実現、③約束が実現できない場合には責任をとる、という3つの約束を表明し、「安心社会実現選挙」と名付けました。ところが、その後のNHKの番組で、細田自民党幹事長は「政権を問う選挙」だと言っていました。選挙の命名くらい、総裁と幹事長とで足並みをそろえて欲しいものです。

 ところで、あなたなら、この解散をどう名付けますか。

 国民からすれば、「待ちに待った解散」でしょう。去年の秋から、やるやると言いながら、今日まで1年近く待たされてしまったのですから……。これで、「やるやる詐欺」状態が解消したのですから、麻生さんもホッとしたにちがいありません。
 その麻生さんからすれば、「追い込まれ解散」でしょうか。「本当は、こんな解散、したくなかったのじゃ」と言いたいところかもしれません。最悪の時期に、最悪の状態での解散となりましたから……。
 しかし、野党からは内閣不信任決議案や首相への問責決議案を出され、党内からは麻生降ろしを画策されました。結局、内外の攻勢によって解散から逃れることができなくなったというわけです。

 自民党からすれば、「自爆解散」でしょうか。各種の調査では、自民党の支持率は民主党の半分以下になっており、選挙での投票先ではもっと差が開いています。
 現有議席の半分以下に落ち込むという予想はまだましな方で、三桁を割ってしまうのではないかという見方さえあります。いかにして、この減り方を減らすか、が選挙での課題になってしまいました。
 「麻生さんの看板では当選できない」と考えての麻生降ろしだったはずです。その麻生降ろしが失敗し、麻生さんが交代させようとした細田幹事長は代わらず、加えて、古賀選対委員長は辞任したままでの選挙ですから、当選できない候補者が続出するのは当然でしょう。

 民主党からすれば、「飛んで火にいる夏の虫解散」かもしれません。麻生さんがグズグズしていたことが、民主党に幸いしました。
 追い風を受けている民主党からすれば、この絶好の機会を選んでくれた麻生さんに感謝状でも贈りたい気持ちでしょう。火の勢いが大きくなるのを待って、そこに飛び込もうとしているようなものですから……。
 しかも、自らガソリンを振りかけ、火勢を強めたのも麻生さんです。自民党役員・内閣改造を行うことができず、東国原宮崎県知事の担ぎ出しにも失敗し、国民の顰蹙を買いましたから……。

 とりわけ、タレント出身知事の人気にすがろうとしたのは大失敗でした。国民には、選挙目当ての悪あがきだと受け取られたからです。
 政権党が「お笑いタレント」出身知事に「笑いもの」にされたということになります。これこそ、「お笑い草」というべきでしょうか。
 東国原知事も、国会議員になりたかったのなら、自民党ではなく民主党から出ると言えば良かったんです。その程度の政治判断もできないのですから、もう少し、知事としての経験を積んで政治を勉強した方が良いのではないでしょうか。

 麻生首相のお祖父さんである吉田首相が53年に行った解散は、「バカヤロー解散」として知られています。その類推で言えば、今度の解散は「バカヤローの解散」ということになるかもしれません。
 吉田首相は、野党議員に「バカヤロー」と言って解散に追い込まれました。麻生首相は、野党議員に「バカヤロー」と言われて解散に追い込まれました。
 ちょっとの違いのように見えますが、大違いです。麻生首相としては、後世の歴史家によって、今回の解散が「バカヤローの解散」などと呼ばれないことを祈っているにちがいありません。

 でも、心配いりませんよ、麻生さん。華々しい惨敗によって選挙後に自民党がなくなってしまえば、多分、別の呼ばれ方をされるでしょうから……。
 「自民党解散解散」なんて、ね。

7月20日(月) 労務理論学会での質問に答える [日常]

 「3連休」だというのに、初日の18日(土)には労務理論学会で報告し、昨日の19日(日)も、終日、学会のシンポジウムに耳を傾けました。と言いたいところですが、会場の冷房が効きすぎて寒くなったので、少し早めに抜け出してきました。

 学会の会場となったのは、駒澤大学の深沢キャンパスです。深沢と言えば、私の学生時代には都立大学理工学部のキャンパスがあり、泊まり込んだこともあります。
 それに、留年した5年目の4年生の時、近くで下宿したこともありました。駒沢公園にも来たことがありましたが、木々も大きくなり、往時とはかなり様子が違っています。
 その駒沢公園と駒沢通りを挟んだ向かい側に新しくできたのが深沢キャンパスです。元は高級化粧品主体に販売していた三越デパートがあったということで、岡田元社長が愛人のために建てたと言われている「迎賓館」などはそのままです。

 立派な和風建築も残っていて、日本庭園もなかなかのものです。ここで昼食をご馳走になりましたが、座敷からの眺めは一幅の絵のようでした。
 隣の洋風の会館は、その昔、岡田社長解任の役員会が開かれた場所だそうです。このとき、解任決議を出された岡田社長は、ただひと言、「何故だ」と発するのみだったという話は有名です。
 首相官邸で、与謝野さんから暗に退陣勧告をされた麻生首相も、「何故だ」と言ったのかもしれません。しかし、プライドが背広を着て歩いているような麻生さんですから、それを素直に受け入れることはありませんでした。

 私が報告したのは、特別シンポジウム「規制緩和と労働・生活を考える」でしたが、この後、連合非正規労働センターの龍井葉二事務局長、全労連非正規雇用労働者全国センターの井筒百子事務局長、首都圏青年ユニオンの河添誠書記長の3人がコメント的な報告をされました。
 この後の討論を含めていくつかの質問を出されましたが、時間がなくて十分に答えることができませんでした。ここで、補足しておきたいと思います。

 第1に、「反転」についてです。経営者の対応や労働政策の見直しの状況を見れば、それほど「反転」が進んでいるようには思えないという指摘がありました。
 私の「06年転換説」は、この年に転換したという意味ではなく、転換が始まったというにすぎません。その後の進展については、分野や問題によって跛行性がみられ、一部には逆流もあるかもしれませんが、基本的に、その流れは今日も続いていると思います。
 「そうは言っても、現場は大変だ」というのが、直接、運動に関わっている方たちの感想なのでしょう。外から眺めている研究者と、中で奮闘されている労働運動家との受け取り方の違いが明らかになったのは、私にとっては大きな収穫でした。

 第2に、「第三の道」についてです。どうして、「福祉国家」と言わないのか、という質問がありました。
 第1の日本的雇用慣行や企業社会を特徴とする旧日本型、第2の新自由主義的なアメリカ型あるいはアングロ・サクソン型とは異なる路線という意味で、「第3」と言っているということです。その内容については、今後、詰めていく必要があるという意味で、「福祉国家」と特定していないだけです。
 それに、「福祉国家」と言えば、かつての否定的なイメージを引きずる可能性もあります。中南米諸国の反米・非米路線、EUの社会民主主義的路線や新福祉国家像などは十分、参考に値すると思いますし、それに学んで日本独自の新たな社会システムを構想すべきでしょう。

 第3に、これとも関連しますが、「企業社会」や旧日本型をどう評価するのかということが問題になります。日本的雇用慣行や企業社会には、雇用の安定や長期にわたる人材育成という面でのプラス面と、民間大企業男性正社員主体で非正社員との差別、性や年齢による差別、会社人間、過労死などを生みだしたマイナス面との二面性があるからです。
 解雇に消極的で生活保障的な面を含む年功賃金を制度化したのは労働運動の成果であり、限定された範囲だったかもしれませんが、賃金・労働条件の向上と経済成長に資する面がありました。したがって、全面的に否定してその解体をめざす場合、このような側面をどう評価するのか、という問題が出てきます。
 また、修正する場合には、マイナス面を排してプラス面だけを受け継ぐにはどうすべきか、という問題があり、復活・再生をめざすとすれば、マイナス面の再生をも黙認して良いのか、という問題が生じます。新たな社会システムを構想する場合、セーフティネットの確立と均等待遇の実現がカギだと思いますが、同時に、これらの問いに対する一応の回答が必要になるでしょう。

 第4に、資本主義というシステムとの関連があります。現在提起されている社会福祉の課題などは、このような枠組みの下で解決可能なのかという質問もありました。
 恐らく、将来的には、資本主義に代わる新たな経済・社会システムが必要になると思います。現代社会が直面している課題は、何らかの政治・社会的な制御を前提としなければ、最終的に解決できないように思われるからです。
 その課題というのは福祉の問題だけでなく、地球の資源や環境の問題もあります。資本の利潤拡大活動に任せておけば、資源も環境も食い尽くされてしまうにちがいありません。

 以上が、答えきれなかった私の回答です。ついでに、感想を一つ、述べさせていただきます。
 それは、このシンポジウムに出席された全労連の井筒さんが、和服を着て現れたことです。これには、意表をつかれると共に、大変、感心しました。
 労働組合の幹部が女性であることも重要ですが、その方が和服を着てシンポジウムに参加されたことは、労働組合や労働運動に対するステレオタイプ化された固定観念を打ち破るうえで、大いに貢献したにちがいありません。これは小さな事例かもしれませんが、しかし、どのような場合でも、新しい経験は小さな一歩から始まるものなのです。井筒さんのこの一歩を、高く評価したいと思います。

 なお、労務理論学会での私の特別報告は、来年2月刊行予定の『労務理論学会誌』に掲載されることになっています。その原稿をこれから書かなければならず、夏休みの宿題がまた一つ増えてしまいましたが、刊行されましたらご笑覧いただければ幸いです。

 さて、明日、衆院が解散され、いよいよ総選挙に突入です。自民党は大敗必至の情勢で、起死回生の挽回策としては解散後の記者会見で麻生首相が感動的な演説をして国民に訴えることだと言われています。
 でも、こういう大切なところで、漢字を読み間違えたり、思わぬチョンボをするのが麻生さんです。そういう意味でも、明日の記者会見は国民注視の下で行われるにちがいありません。

7月17日(金) 「劇場型選挙」を展開した小泉さんのやり方を真似ようとしているのかもしれないけれど…… [解散・総選挙]

 自民党執行部の作戦勝ちでしょうか。それとも、水面下で行われていた(であろう)切り崩し工作の効果でしょうか。
 いや、執行部は初めから混乱を狙っていたのかもしれません。今日一日をしのげば、それで良かったのですから……。

 自民党の細田博之幹事長と若林正俊両院議員総会長は、中川秀直元幹事長らが求める両院議員総会は開かず、21日午前11時半から議決権のない「両院議員懇談会」を非公開で開くことを発表しました。昼には、与野党の衆院議員運営委員会理事会が本会議を21日に開催することで合意しましたから、ここで解散することが決まったと見て良いでしょう。
 自民党は総裁選前倒しなど党則改定ができる両院議員総会について、本人の取り下げなどで要件の128人に満たないとの疑問が出ているとして開催を見送りました。結局、署名については握りつぶし、それに代わる集まりでお茶を濁すことにしたというわけです。
 この懇談会に麻生首相が出席し、地方選連敗についての責任を明らかにしてお詫びするでしょう。そのうえで、自民党が一丸となって総選挙に向けてとり組むよう訴えるはずです。

 それでも足並みを乱すなら、公認を取り下げて選挙資金を渡さず、対立候補を立てると脅すでしょう。「別のマニフェストで闘う」などという阿呆なことを言っている候補者もいるようですが、そんなことをしたら「刺客」を送られるかもしれません。
 解散してから総選挙まで40日もあります。新たに候補者を捜して「刺客」を立てる時間的余裕は十分にあるでしょう。
 ヒョッとしたら、麻生さんは自民党内の対立と分裂を演出して「劇場型選挙」を展開した小泉さんのやり方を真似ようとしているのかもしれません。でも、それは二番煎じで、しかも、その結果がどうなったのか、有権者は十分に学んでいます。果たして、上手くいくのでしょうか。

 なお、研究所に嬉しい電話がありました。旧知のK先生からのもので、札幌学院大学の授業で講演して欲しいという申し出です。
 今年は、なんだか北海道に縁があるようで、6月と8月に続いて12月にも北海道に行くことになりそうです。冬の北海道は初めてですので、大いに楽しみにしています。

7月16日(木) 衆院解散前に自民党の方が解散されたようになったりして [自民党]

 開催されるのかどうか。開かれたとして、何が決まるのか、何も決まらないのかが注目されています。自民党の両院議員総会のことです。

 いよいよ、解散・総選挙に向けての最後のヤマ場にさしかかったようです。このヤマを超えられるかどうかによって、麻生首相の手による解散が可能になるかどうかが決まるでしょう。
 反麻生勢力の中川秀直元幹事長らは、両院議員総会の開催に必要な国会議員の署名を執行部に提出しました。署名は133人で、与謝野馨財務・金融相や石破茂農水相の2閣僚や鳩山邦夫前総務相が含まれているそうです。
 これに対して自民党の執行部は握りつぶしてしまうか、両院議員総会に代わる「総括の場」を開くことでお茶を濁すか、先延ばしして時間切れを狙うか、いずれではないかとみられています。21日までに、両院議員総会は開催されるのでしょうか。

 よしんば、両院議員総会が開催されたとしても、それがどのようなものになるかは分かりません。執行部は、都議選敗北などについての責任を明らかにして陳謝し、次期衆院選に向けた決意を述べるなど、ガス抜きの場にすることを狙うでしょう。
 中川さんたちは、総裁選を前倒しして看板を取り替えようとするでしょうが、署名した人々の全てがこのような考えだというわけではありません。現に、自民党津島派会長は「(津島派で)署名した人の大多数は、純粋に麻生首相と意見交換したいという気持ちだ。総裁選とか、総理をどうするかを念頭に置くなら同調できない」と述べています。
 もし開かれたとしても、両院議員総会は紛糾するにちがいありません。混乱のうちに閉会が宣言され、看板を取り替えることもできず、分裂状態を克服することもできず、選挙戦に突入せざるを得なくなる可能性、大です。

 自民党と連立を組んできた公明党は、この状態を苦々しく見ていることでしょう。自民党の混乱と反麻生の動きは、自民党とともに麻生内閣を支えてきた公明党からしても大きなマイナス要因になるからです。
 分裂選挙になって反麻生の立場で選挙に臨んだ場合、公明党の支援を受けられるのでしょうか。今頃、公明党は選挙支援を交換条件に、反麻生派を押さえにかかっているにちがいありません。
 反麻生勢力の議員は、どこまで突っ張れるのでしょうか。総選挙を目前にして、自民党執行部から公認を撤回されたり支援を拒まれたり、公明党からも支援されなくなるなどというリスクをおかす覚悟があるのでしょうか。

 もがけばもがくほど深みにはまる「あり地獄」状態はまだ続いているようです。衆院が解散される前に、自民党の方が解散されてしまったかのような状況になりつつあります。

 なお、「現代日本の働き方を問う―規制緩和下の労働と生活」という統一テーマの下、駒澤大学で開かれる労務理論学会第19回全国大会http://wwwsoc.nii.ac.jp/jalm/n_jalm/19komazawa3.pdfにおきまして、明後日7月18日(土)午前9時半からの特別シンポジウムで「労働再規制の構造とプロセス」について報告する予定です。これは駒澤大学経済学部との共同企画で一般の方の参加も可だということですので、関心のある方にご出席いただければ幸いです。



7月15日(水) 自民党候補を落選させ共産党候補に1議席プレゼントした幸福実現党 [選挙]

「敵前逃亡」なのか「タイタニックからの脱出」なのか。古賀誠自民党選挙対策委員長が、突然、辞意を表明して総務会から出て行ってしまいました。ヒョッとしたら、麻生首相も、突然、辞意を表明して閣議から出て行ってしまうかもしれません。

 自民党の混乱が続いています。麻生降ろしの声は、永田町近辺に響き渡っているということでしょうか。
 片や、都議選など地方選挙連敗を総括するための両院議員総会の開催を求め、片や、麻生さんを先頭に既定路線での総選挙実施をめざす。自民党は分裂状態に陥っています。
 結構じゃありませんか。大いにやったらよろしい。そのような醜態の全ては、来るべき総選挙での判断材料として有益でしょうから……。

 このままなら、自民党は、不人気で統率力を欠いた麻生首相の下で総選挙を戦うことになります。最前線の司令官であった古賀さんを欠いたまま戦闘に突入しなければならないでしょう。
 自民党が分裂選挙となることも、おそらく避けられません。さらなる混乱と混迷が、自民党を襲う可能性もあります。
 それにもう一つ、自民党を悩ませそうな要因があります。誰も注目していないようですが、総選挙での幸福実現党の候補者擁立という問題です。

 先の都議選でも、幸福実現党は10選挙区で候補者を擁立しました。新聞に大きな広告を出すなど派手な動きをしていた割には、各選挙区で千票前後の得票しかできず、ほとんど影響はありませんでした。
 しかし、選挙の結果に全く影響しなかったかというと、そうではありません。足立区では、幸福実現党が候補者を立てたために共産党と自民党の当選者が入れ替わっています。

 幸福実現党の母体になっている幸福の科学は、これまでの選挙で自民党を応援していました。今回は、候補者を立てましたので、その候補の得票は、これまでであれば自民党に入っていたと考えられます。
 足立区で10位に終わった幸福実現党の宮本幸子候補の得票は2115票でした。次点で落選した自民党現職の高橋直樹候補の得票は3万2895票ですから、合計すれば3万5010票になります。
 最下位で当選したのが共産党新人の大島芳江候補で3万4130票です。次点の高島候補との差は、わずかに1235票でした。

 最下位で当選した共産党候補と次点に終わった自民党候補の差1235票は、幸福実現党の候補者が獲得した票の58%に当たります。もし、幸福実現党の候補者の票が自民党候補に投じられていれば、共産党候補との逆転が生じていたはずです。
 幸福実現党が候補者を立てて2000票以上も得票したために、自民党候補は1235票の差で落選しました。独自候補が立たず、これまで通り自民党を応援していたら、最下位当選者と次点は入れ替わっていたかもしれません。
 幸福実現党は、最下位で当選した共産党候補にとって、文字通り「幸福」を「実現」したことになります。とはいえ、宮本候補の得票の全てが自民党の高島候補に入ったかどうかは分かりませんが……。

 次の総選挙でも、幸福実現党は小選挙区で候補者を立てるようです。ヒョッとしたら、都議選での足立区と同様の現象が起きるかもしれません。
 足を引っ張られる可能性のある自民党にとっては、これも頭の痛い問題だというべきでしょう。幸福実現党には、自民党の当落に影響を及ぼすほどの“健闘”を期待したいものです。

7月14日(火) やっと表明した解散・総選挙の時期 [解散・総選挙]

 土砂降りに、なって出て行く雨宿り

 「土砂降り」どころの話ではないかもしれません。大型の台風が接近しているのに、出発の時間が迫っていて出かけなければならない旅行者のようなものです。
 雨が止むのを待っていた旅行者こそ、麻生首相その人でしょう。とうとう逃げ切れなくなり、台風の直撃覚悟で決断せざるを得なくなったようです。
 憲法第54条では、解散してから40日以内に選挙を実施することが定められています。8月30日(日)を投票日とすれば、解散は、それから逆算して40日前の7月21日(火)以後にしなければなりません。

 本当は、麻生首相は今日、解散したかったようです。8月8日(土)投票日案を、それとなく河村官房長官に伝えていたそうです。
 ところが、昨日の午前11時、首相官邸を訪れた細田自民党幹事長と大島国対委員長に反対され、結局、この提案を引っ込めてしまいました。その背後には、公明党の強力な反対がありました。
 最後の最後まで、麻生首相は主導権を握れなかったということになります。反対や抵抗を押し切っての決断こそ、首相のリーダーシップを示す絶好の機会だったのに……。

 この時点で、麻生首相が解散を決断したのは、内からの麻生降ろし、外からの内閣不信任決議案と麻生首相への問責決議案の提出という動きに直面し、「もう持たない」と判断したからでしょう。このままでは、のたれ死にしかありませんから……。
 「麻生降ろし」の機先を制す、という意味があったでしょう。解散時期が明らかになれば、改選を迎える議員は浮き足立つ可能性がありますから……。
 野党が提出しようとしていた内閣不信任決議案と問責決議案に対抗する、という意味もあったかもしれません。解散することが明確になれば、これらの決議の重みは失われるでしょうから……。

 野党による内閣不信任決議案と問責決議案の提出は、麻生首相に解散を促すという点では、それなりの意味があったと言うべきでしょう。これで、8月末の解散・総選挙は確定しました。
 しかし、解散が麻生首相の手によってなされるかどうかは、まだ不確定です。自民党内の麻生降ろしの動きは、その後も続いていますから……。
 これも、問責決議が成立して国会が空転し、野党の衆院議員が選挙区に戻れば、恐らく収束するにちがいありません。衆院選挙の候補者は、それどころではなくなるでしょうから……。

 もし、麻生首相に反対なら、自民党を飛び出すべきです。新党を作って、有権者に信を問うべきでしょう。
 自民党も、党の方針に従わない議員がいれば、除名するべきです。自民党の総裁を批判しながら自民党の看板を掲げて総選挙を戦う、などというペテンを許してはなりません。
 これは、有権者を欺く所業です。同様に、ここに至って総裁を変え、看板を掛け替えるということも許されません。

 いずれにしても、夏休みを挟んでの解散・総選挙になります。候補者や選挙関係者にとって、夏休みは吹っ飛んでしまいました。お気の毒に……。

 なお、昨日のブログでの各党の得票数は午前0時30分現在のものでしたので、確定得票数に従って書き直しました。文意に変化はありませんが、お詫びして訂正いたします。