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8月15日(土) 本当になるかもしれない「自民党解散」解散 [解散・総選挙]

 昨日、お盆休みの小さな旅に出かけてきました。知人に案内されて、いわゆる「谷根千」、谷中、根津、千駄木にある文豪の旧居を尋ねてきたのです。
 根津神社、漱石の旧居、森鴎外が住んだという観潮楼跡、らいてふの青鞜発祥の地、宮本顕治が網走から帰宅したという百合子の旧居、高村光太郎と智恵子の家の跡など、1時間ほどかけてめぐりました。その後、「天米(てんよね)」で天ぷらをいただくというコースです。

 この行き帰り、電車の中で目を通した雑誌には驚きました。今発売中の『週刊現代』での総選挙の予測記事です。
 衆院が解散されたとき、これは自民党解散解散だと書きました。総選挙で自民党がこてんぱんに惨敗し、選挙後に解散の危機を迎えるかもしれないという意味で、そう書いたのです。
 『週刊現代』の選挙予測記事を読んで、それが本当になるかもしれない、と思ってしまいました。自民党解散は、まんざら冗談ではないかもしれません。

 この記事によれば、自民44議席(!)、公明9議席、民主390議席(!)、社民15議席、共産8議席、国民8議席、日本2議席、大地1議席、その他2議席となっています。小選挙区では、福岡8区の麻生首相も山口4区の安倍晋三も落選と予測されています。
 これはインターネットで各選挙区の有権者100人にアンケート調査した結果によって、小選挙区の当落を判断し、それを基に比例区の議席数をも予測したものです。インターネットによる調査という点では信頼性に欠け、週刊誌による記事という点でも「ちょっとね」という気がします。
 しかし、かなり割り引いてみても、大変、衝撃的な数字であることは確かでしょう。民主党を油断させるためかもしれないとの疑いもありますが、それ以上に、自民党の戦意喪失効果の方が大きいのではないでしょうか。

 小選挙区制には、勝利を過剰にするだけでなく、敗北をも過剰にするという仕組みが隠されています。かつてカナダで政権与党が惨敗してたったの2議席になってしまったことは、以前、このブログでも紹介したことがあります。
 今回の『週刊現代』の予測では、小選挙区での自民党獲得議席の予想はたったの3議席(!)で、公明党は1議席にすぎません。小選挙区だけをとれば、まさにカナダの選挙と同じ現象が生ずることになります。
 それでもまだ、自民党が44議席を獲得できるのは、比例代表制によって救われるからです。今度の総選挙で、自民党は小選挙区制の怖さを身をもって知ることになり、同時に、比例代表制があることのありがたさを痛感することになるのではないでしょうか。

 このような予測を、週刊誌特有のセンセーショナリズムで「夏枯れ」目当ての商売にすぎないと笑ってすますわけにはいきません。というのは、『週刊現代』の調査で、「民主党に投票する」と回答した有権者は全体の38.1%で、「自民党に投票する」と回答した有権者は14.6%だったからです。
 今日の新聞報道によれば、時事通信社が7~10日に実施した8月の世論調査では、衆院選比例代表の投票先は、民主党が35.9%(前月比1.5ポイント減)、自民党が18.8%(同0.7ポイント減)となっていました。ちなみに、麻生内閣の支持率は16.7%(同0.4ポイント増)、不支持率は63.1%(同1.1ポイント減)になっています。
 この両者の違いは3~4ポイント程度で、、それほど大きな開きはありません。全体の傾向としては、『週刊現代』の調査と時事通信の調査は似通っており、『週刊現代』の予測もまったく荒唐無稽だとは言い切れないのです。

 公示直前の今になっても、総選挙で自民党惨敗必至という情勢に大きな変化はないということになります。このような情勢を受けて、様々な動きが生じています。
 橋下大阪府知事らの「首長連合」が民主党支持を明らかにしたのが、その一つです。民主党勝利は動かないと見て、「勝ち馬」に乗ろうというわけです。
 このような「バンドワゴン現象」は、田中真紀子議員の民主党入党など、このほかにも出てくるでしょう。そして、そのような動きは、ますます民主党勝利への雪崩現象を生み出すにちがいありません。

 もう一つの動きは、幸福実現党の総選挙からの撤退です。幸福の科学は国政への進出に色気を示して幸福実現党を結成し、今度の総選挙で候補者を立てようとしましたが、それどころではなくなったというわけです。
 これまで支持し、応援してきた自民党が、かつてないピンチを迎えてしまったからです。幸福実現党が候補者を立てれば、このブログで紹介した都議選での足立区のように、自民党候補の足を引っ張る可能性があります。
 自民党が余裕のある闘いをしていれば、このような危惧はなかったはずです。しかし、どの候補も苦戦していますから、ここは自民党に票を集中するために、立候補を取り止めるか、できるだけ絞ろうというわけでしょう。

 幸福実現党が健闘し、自民党の票を分散させて欲しいと思っていた私としては、幸福実現党の撤退は残念です。しかし、自民党にとっても幸福の科学としても、合理的な選択だというべきでしょう。
 自民党と同系統の候補者を立てることは、票が分散し、自民党にとっては不利になります。苦戦している自民党候補の足を引っ張り、対立する民主党などの野党候補を利することはハッキリしているからです。
 この点でなお期待したいのは、渡辺喜美さんなどの「みんなの党」と平沼赳夫さんのグループです。それぞれ10数人の候補者を立てるとのことですが、遠慮することはありません。是非、沢山の候補者を立てて、思いきっり与党の足を引っ張っていただきたいものです。

 自民党が44議席になってしまうという予測がどれほどの現実性を持っているのか、大いに興味があります。それなりの根拠があるとすれば、麻生さんが言うように「負けっぷりを良くする」ことになりそうですが、その後、自民党は野党として存在できるのでしょうか。
 自民党という政党は権力によって結びついていた政党ですから、その存続自体を困難にするほどの歴史的惨敗になるかもしれません。自民党が雲散霧消してしまう可能性を秘めて、いよいよ総選挙の公示は3日後に迫ってきました。

8月14日(金) 現在の情勢と労働組合の役割 [論攷]

現在の情勢と労働組合の役割
半世紀に一回の攻勢のチャンスだ

〔以下の論攷は、6月7日に伊東温泉「ホテル聚楽」において開かれた東京土建第35回幹部学校での講演をまとめたものです。東京土建の機関紙『けんせつ』第1932号、8月1日付、に掲載されました〕

元凶は小泉構造改革-経済も社会もズタズタに
2006年を境に流れが変った

 私は、規制緩和からの転換、反転開始の背景として4つあげました。
1つは、国際的な背景です。世界経済の転換は、今では誰も否定できないほど明らかです。ゼネラル・モーターズ(GM)も破綻し、国有化されました。新自由主義は「国は手や口を出すな。神の手が自然に働くんだ」といっていましたけれども。働かなかったのです。
「新自由主義よ、さようなら」ということで、金融資本主義の破綻といわれますが、資本主義そのものの破綻ではないでしょうか。
 2つ目は経済的背景です。日本の昨年の第4四半期のマイナスは、当初の発表では12.7%。その後、14.4%と訂正されました。アメリカは6.2%で、ユーロ圏は5.7%です。
「蚊に刺された程度のものでしょう」と与謝野さんは最初いっていましたが、実際には、アメリカの2倍以上のマイナスになってしまったのです。何でこんなに日本が手ひどい打撃を受けたのか。それは、アメリカ発の巨大台風が日本に上陸する以前に、日本の経済社会の足腰がかなり弱まっていたからです。
それは、小泉構造改革=規制緩和、新自由主義のせいでした。「痛みに耐えてがんばれ」と小泉さんはいっていましたけれども、結局、日本の経済社会はズタズタにされてしまい、痛みに耐えるだけの体力が残っていなかったのです。
 日本社会の持続可能性(サスティナビリティ)が失われようとしています。出生数がマイナスに転じ、今世紀末には5000万人ぐらいと予測されています。
 3つ目の社会的背景ということでは、こわれゆく社会ということです。秋葉原事件がしめしているように、「われわれの先には明るい未来が待っているんだ」と実感できない。

軌道修正はかったが-安倍、福田、麻生総崩れ

 非正規の失職者は21万5000人です。ヨーロッパと日本をくらべると日本の失業率は低いのですが、ヨーロッパは失業しても食っていけるのです。しかし、日本は失業したら食えなくなり、家を追い出されてしまうのです。
政治的背景では、構造改革をめぐる亀裂が拡大しました。2007年参議院選挙で自民党は惨敗しています。郵政民営化だけでなく、社会保障を毎年2200億円削って5年間で1兆1000億円削るとか、後期高齢者医療制度を導入するとか、医療費の患者負担を3割にするとか、障害者自立支援法を制定するとか……これらの小泉構造改革によって、自民党政治はぶっこわされました。
自民党を支持する政治的、社会的基盤が縮小してしまいました。地方・農村、業界団体も自民党離れを始めました。その結果としての2007年の参院選での大敗。同じことが、おそらくこんどの総選挙でも起きると思います。そのために、後継の安倍さん、福田さん、麻生さん、みんな小泉路線を修正せざるを得なくなったのです。
 このような中で、「政官財」も転換を余儀なくされています。

自民も転換をはかるが

まず、政治家です。あの森喜朗さんでさえ、「市場原理の経済はよかったのかなと。アメリカ式じゃなく、まろやか、おだやかな世界をつくらないと、東洋的な世界をね」と言い出しました。
自民党でも2006年12月に「雇用・生活調査会」ができて、ここから「緊急人材育成・就職支援基金(仮称)」という案が出ました。2009年度補正の中で予算がつき実施されます。これは職業訓練をやって、就職したら、生活支援のために給付されたお金を返さなくてもよいというものです。いったん職から落ちても、また職に戻すという、EUのアクチベーションの制度とよく似た内容です。
こういう制度を自民党の中の雇用・生活調査会が出して具体化した。問題がそこまで深刻化しているということだと思います。

諮問会議も地盤沈下-否定された「規制緩和」路線

 大蔵省の予算編成権限を官邸が奪うためにつくられた経済財政諮問会議も変質し、地盤沈下しました。
小泉政権時代、経済財政諮問会議が「骨太の方針」をつくることによって予算編成の大枠にしばりをかける。そのための道具が経済財政諮問会議であり、そのための大臣が経済財政担当大臣でした。竹中さんが小泉さんとタッグを組み、4人の民間議員と一緒になって事前に相談をし、一定の方向を出しながら、経済財政諮問会議に乗り込んで、財務大臣を抑えた。しかし、与謝野財務大臣の兼務が示しているように予算編成権限は財務省に返されました。
また、規制改革会議も2007年の「第二次答申」(医療および労働分野)、2008年の「第三次答申」も、厚生労働省が批判しました。同じ政府の下にある会議で批判しあうのはめったにないことですが、2年連続してあったのです。だんだん規制改革会議も立場がなくなっています。
そういう中で登場したのが「安心社会実現会議」。規制改革会議があり、経済財政諮問会議があり、安心社会実現会議があり……あんまり、会議、会議、会議というふうにつくられますと困ります。これには、経済財政諮問会議の民間議員のうちの張さんと東大の吉川教授と、同じ人が二人入っているのですから。さらに注目されるのは、労働組合の代表で高木連合会長や薬害肝炎の原告団だった山口さん、宮本北大教授、渡辺恒雄読売グループ会長も入っていることです。
5月15日第3回会議での論点の整理では、「…『構造改革』は、日本型安心社会を支えてきた様々な前提にも大きな変化をもたらした」「…非正規労働者の増大、不安定化ということや、社会の不平等感、不公正感の拡大」ということを指摘し、社会統合の危機という、危機意識が表明されています。競争の負の側面や雇用を軸とした安心保障の実現というようなこともいっています。新たな「公」の創造とか、小さい政府から機能する政府へとも書かれています。
また、厚生労働省も「08年版厚生労働白書」で、企業のコスト抑制。非正規拡大を批判しています。

財界も反省した?-強まる外資企業の要求

 財界は、今年の4月に「資本市場(株主)」「従業員(雇用)」「社会」という3つの価値に焦点をあてる『三面鏡経営』といいました。以前は最初の「資本市場」だけでした。日本経団連も「雇用の安定・創出と成長力強化につながる国家的プロジェクト」といっています。「雇用の安定は企業の社会的責任である…」「…生活支援に最大限の努力をしていく必要もある」など、結構なことを言っています。
財界団体のレベルなら、ある程度、もっともらしいことをいうのです。けれども、個別企業の社長のレベルになると企業の論理そのもので、いうことがとんでもないという面があります。
 それから、在日米国商工会議所は、外資系企業の政策を日本の国内でいかに実現していくかという働きかけをやっていますが、しばらく前までアフラック会長のチャールズ・レイク2世が会頭でした。日米構造協議で日本に市場開放を要求していろいろと働きかけをした彼が、「審議会の参加機会の大幅な増大を通じた透明性の高い立法過程への到達」と、いっています。「われわれにも審議会で発言させろ」ということです。
日本経団連の会長、副会長企業の半分近くは外資系ですから、彼らの要求は必ずしも日本の資本家の要求ではない。外資系企業の要求も反映されているのです。
もうひとつ、中谷巌さん(小渕内閣経済戦略会議議長代理)の『資本主義はなぜ自壊したのか』が「贖罪の書」だと売れているそうですが、とんでもない話です。彼が政策形成に関与したために規制が緩和され、死に追いやられた労働者、自殺せざるを得なくなった商店主がいたかもしれません。日本社会を破壊した責任が、彼にもあるのです。学者ならなぜまちがえたかを分析し、筆を折る、責任を取って発言をしないというぐらいのことをすべきだと思います。

「福祉国会」の実現を-自民党が真っ二つに割れるほどの政策を突きつけよう

 労働運動に追い風が吹き、社会的な注目を集め、世論を変えるチャンスが生まれています。戦後直後と50年代に次ぐ、戦後、労働運動における第三の高揚期をもたらす条件が生じています。
 「年越し派遣村」の教訓は、マスコミや世論にアピールし、政党や行政に大きな圧力をかけることを意識的に追求すれば、大きな成果をあげることができるということです。その教訓を踏まえて、「運動の可視化」=見える運動を展開することが必要です。世論を重視し、マスコミと協力してさまざまな取り組みを行なうのです。
 運動の側からする「労働国会」「福祉国会」の実現をめざさなければなりません。これは、次期総選挙で国会の構成を根本的に転換すれば可能です。そのための大きなチャンスがやってきます。
 構成が変わった国会の下で、労働国会、福祉国会を、国民の側から、労働者の側から要求し、労働者保護法とか社会福祉基本法などの成立をめざす。セーフティネットをきちんとする。均等待遇を実現する。労働者保護を拡充する。あるいは、ここまでズタズタにされてしまった社会保障の制度を立て直す。そのための新規立法を獲得するということです。
 非自民連立政権は、細川政権、羽田政権、村山政権と続きました。この連立政権の失敗を繰り返してはなりません。自民党が受け入れられない政策を突きつけて自民党を真っ二つに割るぐらいのことをやらなければなりません。
日本の労働組合にはだいたい5つの大きな類型があります。1番目は、大企業、民間の労働組合。2番目が中小零細企業の労働組合。3番目が公務員。4番目が個人加盟のユニオン労働組合。5番目が職能的な組合で、全建総連とか、ある程度、専門的な仕事をしているような人たちの労働組合。この5つです。

重要になる職業訓練-就業に結びつく活動を

今、注目されているのは個人加盟で地域を基盤に、他の労働組合や社会運動団体と連携をしながら問題解決のために取り組む新しい運動スタイルの労働組合運動です。これは社会運動的労働運動といいます。東京土建としても、地域で活動する社会運動や労働運動団体との連携を強め、それらを支えるバックアップ機能を発揮していただきたい。
 それから、特に地域ユニオンに対する相談がものすごく増えているという点も重要です。労働組合に対する期待の高まりを反映しているといえるでしょう。
 東京土建だけではなく、全建総連全体がそうですけれども、地域を基盤にしているという特徴があります。個人加盟で、職能的な労働組合。この特性を生かさなければならないと思います。そして、建築カレッジのような、職業訓練などにも取り組む必要があります。技能や技術の修得を企業の外に外部化し、就業に結びつけることは、今後、ますます重要になっていくでしょう。

危機打開できる
経済構造を転換させる-労働組合の運動を高揚させて

 自民党政治の「終り」が終ろうとしています。本当は、森喜朗さんのときに自民党政治は終っているはずだったのです。
ところが、「自民党をぶっこわす」という人が出てきちゃった。これが「終り」の始まりでした。小泉さんは、結局、自民党をぶっこわし、日本社会をぶっこわし、経済をズタズタにしてしまいました。地方の農村もぶっこわしてしまった。社会保障もズタズタになった。これを何とかしなければならないのですが、そうできる人は自民党の中にはもういないのです。
だから、小泉さんの後の安倍さん、福田さん、1年ずつです。麻生さんもやはり1年で終りです。本当は1カ月か2カ月で終るはずだったのに、総理の椅子にしがみついて延命しただけです。
このようなとき、世界恐慌といわれているような、そういう金融経済危機を迎えてしまいました。政治は機能していません。ですから、この危機を乗り切るために、労働組合こそが機能しなければならない。危機脱出のために果たすべき労働組合の役割はきわめて大きいのです。
 1929年の大恐慌では、「ニューディール」が打ち出されました。この政策を打ち出したのはアメリカのルーズベルト大統領ですが、労働組合を公認し、活性化させることによってアメリカの産業を立て直そうとしました。しかし、第二次世界大戦後、反共主義が強まって、左翼の活動家をどんどん組合運動から排除しました。そのために組合の力は弱体化し、経営者はおごり高ぶり、堕落し、何億ドルもの報酬を手に入れ、アメリカの企業と産業を腐敗させ、ズタズタにしました。
 今また、オバマ大統領は労働組合を活性化させることによって産業を復興しようとしています。経済を実体的にになっている中産階級と下層の人たちには減税し、高所得者を増税しようとしています。また、労働組合を自由に選択できるような新しい法律を、今の議会に出しています。
日本の場合、構造改革で内需がガタガタです。だいたい豊かな国内市場なしに産業がなりたつわけがありません。皆さんのような建設産業では、やはり、国内の内需に依存する部分は非常に大きいと思います。
だから、使えるお金を増やす必要がある。可処分所得を増大させて内需を拡大するとことは、今までのような外需依存の経済構造を転換させ、21世紀の日本の経済を建て直して持続可能性を回復するための基礎的な条件です。このような持続可能性を回復するためにも、労働組合の役割はきわめて重要です。
 今はピンチのように見えますが、同時に大きなチャンスも生まれています。半世紀に1回の攻勢のチャンスです。新たな労働組合運動の高揚をもたらす条件が拡大しています。総選挙では、日本政治の構造的転換のための変化を生み出す条件も生まれています。このようなチャンスを捉え、力を尽くして、この夏大いに汗をかいて下さい。そして、新しい日本の未来を生み出し、持続可能性ある社会へと変えていくために、ぜひ、奮闘していただきたいと思います。

8月13日(木) 自民・民主両党の党首討論とマニフェストについて [解散・総選挙]

 法政大学は、今日から1週間、19日(水)まで夏休みです。私は研究所に出勤せず、研究所での閲覧もできません。
 連絡等は、全て私の自宅宛にお願いいたします。次に出勤するのは、8月20日(木)の予定です。

 昨日、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)の主催で、麻生首相と民主党の鳩山代表による党首討論が都内のホテルで開かれました。衆院選に向けての両党トップの1対1の直接対決は、これが最初で最後になる見通しだといいます。
 このような直接対決は、選挙での争点を明らかにするうえで有効だと思います。しかし、それが、自民党対民主党という限られた参加者によってなされたというのは賛成できません。
 共産党や社民党、公明党や国民新党などの政党の代表も参加させるべきでしょう。とりわけ、自民・民主両党とは大きく異なる政策提起を行っている共産党を交えることは、選挙での争点を明確にする点で大きな意味があったと思います。

 この席で、鳩山民主党代表は、「衆院でいくら議席を占めようが、社民、国民新両党との連立を前提に行動したい」と述べたそうです。仮に衆院で単独過半数を得ても、3党連立政権を作るというわけです。
 これは、参院の状況を考えれば当然でしょう。民主党だけでは過半数に達せず、社民党や国民新党の協力を得なければ、衆院を通過した法案を参院で可決・成立させることができないからです。
 社民党などとの連立は、民主党の暴走を押さえるという点でも意味があるでしょう。この点では、衆院で再議決可能な3分2以上の議席を民主党に与えないようにしなければなりません。

 また、鳩山代表は、政権交代による政治主導で無駄遣いをなくしていくと述べたうえで、「首相は(党首討論で)いろいろ良いことも言っているが、政権をとっていながらなぜ果たしてこなかったのか」と皮肉ったといいます。良く言った、と誉めてあげましょう。
 私も、自民党のマニフェストに対する論評で、「ならば問いたい。どうして、今までそれらを実行しなかったのか、と。自民党はこれまで政権与党であり、そのチャンスはいくらでもあったはずなのに……」と書きました。鳩山さんがこの論評を読んだかどうかは分かりませんが、発言の趣旨は私の問いかけと同じです。
 マスコミなどの扱いでは、同じマニフェストという形であっても、与党と野党とでは、その意味が異なるという点が十分に考慮されていないように見えます。与党は権力を持ち、いつでも実行可能だったわけですから、「これまで」の実績が問題になるのに対し、野党には権力がありませんから、実行する機会はなく、「これから」の構想が問われるという、質的な違いがあるわけですから……。

 マニフェストについて言えば、民主党が内容を改めたことが批判されています。特に、公明党の太田代表などは口を極めて批判しています。
 世論の批判に答えて、不十分な点や過ちを正すことが、どうして問題なのでしょうか。それだけ、世論やマスコミの批判や指摘に対して柔軟であり、応答性があるということではありませんか。
 それに、総選挙はまだ公示もされていません。公示される前に、誤解を招いたり問題のある部分を変更し、よりよいものに変えていくというのは当然のことではないでしょうか。

 ただし、最も問題のある部分が変更されなかったのは、大変、残念です。それは、衆院比例代表区の80議席削減という部分です。
 真っ先にこの公約を撤回し、マニフェストから削減して欲しかったと思います。そして、現在の小選挙区比例代表制という選挙制度を改め、民意が正しく反映するような比例代表を主体とする制度に改めることを明らかにするべきだったでしょう。
 まだ、遅くはありません。比例代表の定数80議席削減方針をやめ、公職選挙法の改正によって選挙運動に対する規制を撤廃し、「べからず選挙」の現状を転換するような方向を打ち出してもらいたいものです。

 なお、昨日、研究所に出勤したら、8月3日にアップした「自民党のマニフェストに対するコメント」http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2009-08-03を掲載した新聞が、共同通信から送られてきていました。かなりの地方新聞で取りあげられたようです。
 先日、北海道に行っていて不在中に電話をかけてきた故郷の友人も、私の談話を読んだといっていたそうです。おそらく、『新潟日報』の記事を目にしたのでしょう。
 以下、アイウエオ順に、掲載紙は『埼玉新聞』『山陰新聞』『四国新聞』『信濃毎日新聞』『中国新聞』『東奥日報』『新潟日報』『西日本新聞』『南日本新聞』で、『埼玉新聞』と『信濃毎日新聞』が8月2日付で、他は全て8月1日付になっています。

8月11日(火) 北海道の旅から帰ってきました [旅]

 私大教連の教研集会での講演を終えて、昨晩、北海道から帰ってきました。前回6月の北海道行きとは異なって好天に恵まれ、明るく爽やかな北海道の夏を存分に味わってきました。

 教研集会の会場は酪農学園大学です。キャンパス内には、緑の芝生や牧草地が広がっていました。
 会場の教室には全国から集まった200人程の人々でびっしりです。皆さん、私立大学の組合員ですが、職員よりも教員の方の方が多いということでした。
 「実は、私も私大教連に加わっている全法政の組合員でして、今日は、長年収めてきた組合費の一部を取り返せるんじゃないかと、密かに喜んでおります」と言って、話を始めました。テーマは「戦後日本政治の旋回と展望-構造改革と政権はどこに向かうのか」というものです。

 夜の懇親会は、麒麟ビール園でのジンギスカンでした。これまでも、サッポロビール園には何回か行ったことがありましたが、麒麟ビールの方は初めてです。
 体育館のような広いホールは満員でした。皆さんの熱気と焼き肉の熱で、ムンムンしています。
 通風の気がある私としては、ビールをがぶ飲みするわけにはいきません。黒ビールの生や久しぶりのジントニックなどを抑え気味にいただき、食べ放題のジンギスカンでお腹いっぱいになりました。

 私大教連の関係者の皆さん、お世話になりました。ありがとうございました。

8月7日(金) 「安心社会」実現のための安全網の整備 [論攷]

〔以下の論攷は、『労政時報』第3754号、09年7月24日号に掲載されたものです〕

「安心社会」実現のための安全網の整備

時代のキーワードとしての「安心」

 麻生首相のお声掛かりで「安心社会実現会議」が発足しました。毎年の予算編成の骨格を定める「骨太の方針」に論議を反映させるためだといいます。
 4月28日の第2回会議では「経済財政諮問会議の安心実現集中審議について」議論がなされ、「『構造改革』は日本型安心社会を支えてきた様々な前提にも大きな変化をもたらした」との認識が示されました。また、「社会の不安定化(日本社会の一体性の揺らぎ―『社会統合の危機』」などが問題として指摘され、「新たな『公』の創造」や「『公』の役割の再構築・再定義、小さい政府から機能する政府へ」という方向が打ち出されました。いずれも興味深い論点です。
 他方で、5月19日に開かれた経済財政諮問会議は「規制・制度改革」について議論し、「安心実現集中審議」として「『安心』と『活力』を両立させる具体策」などが議題とされています。ここでは「規制・制度改革」の内容として「安心」と「活力」の両立が提起されている点が注目されます。
 これらの議論から明らかなように、「安心」が時代のキーワードとして登場してきました。それは、米大手証券会社リーマン・ブラザーズの破綻に始まる金融・経済危機の波及という国際的な背景を持っていますが、同時に、ただでさえ脆弱な安全網が「構造改革」や「自己責任」論によって堀り崩されてきたという国内の事情をも反映しているように見えます。

安全網整備の必要性

 それでは、国内での安全網は、なぜ、十分に整備されてこなかったのでしょうか。それは、このような機能や役割がほとんど企業に任されてきたからです。
 生活保障やライフサイクルに応じて増大する支出、キャリアの形成や企業人としての職業教育、福利厚生や退職後の年金に至るまで、基本的には企業によって供給されるという体制が続いてきました。そのために日本は「企業社会」だとされ、このような数々のサービスによって企業への帰属意識を高め、会社人間や企業戦士を生み出したところに「日本的経営」の強みも問題点もあったのです。
 しかし、それは今では過去のものになりつつあります。その基盤となってきた終身雇用と年功制が変容し、成果・業績主義が導入されたからです。他方で、元々このような働き方とは無縁だった非正規労働者が増え続け、今では雇用者の3分の1を超えました。
 こうして「日本的経営」は変貌し、日本は「企業社会」でさえ、なくなろうとしています。安全網、特に、雇用の安全網の整備を企業に頼ることができなくなったのです。
 このようなときに勃発したのが国際的な金融危機であり、景気悪化と雇用調整でした。厚生労働省の調査では、昨年10月から今年6月までに職を失う非正規労働者は21万人に上るとされています。
 これらの人々は職を失っただけでなく住居を追い出され、雇用保険の受給資格を持ちませんでした。唯一の安全網として生活保護に頼るしかないという状況が生まれたのです。

安心して挑戦できる社会こそ

 このような状況を放置しておいてはなりません。企業の内外に安全網を整備し、失業の心配をせずに働くことができるような社会を実現するべきです。
 第1に、企業は雇用維持という社会的責任を全うすべきです。法令違反の中途解約や細切れ雇用による抜け道探しなどは論外です。
 第2に、職と住を失った人々に対する緊急の支援措置を講ずるべきです。その典型例は「年越し派遣村」ですが、必要に応じて同様のサポート体制を取る必要があるでしょう。
 第3に、このような支援運動を展開するうえで、労働組合が役割を果たさなければなりません。同時に、反貧困運動のNPOや労働弁護士などとも提携を図るべきでしょう。
 第4に、行政の対応です。現行の法律や制度の遵守を求め、労働者保護のための省令、通達、指針や見解を示し、補正予算で認められた「緊急人材育成・就職支援基金(失業しても職業訓練によって職に就くことができるトランポリン制度)」なども活用すべきです。
 そして第5に、政治がリーダーシップを発揮する必要があります。公的なレベルでの安全網整備のための法律や制度の整備は、政治の役割です。雇用保険の加入要件や受給資格の緩和、社会保障の充実によってライフサイクルに応じた支出をまかない、労働者派遣法改正などによって、非正規化によって生じた雇用の不安定化、貧困化、安全性や技能・技術の低下などを防がなければなりません。

 安心は「守り」ではなく「攻め」の姿勢を生み、働く人々に挑戦する心と活力を生み出すに違いありません。サーカスの空中ブランコも、下に安全網が張られているからこそ、観客を魅了するような大胆な「演技」ができるのですから……。

8月6日(木) 原爆症認定集団訴訟の全面解決に向けて大きな前進 [社会]

 今日は64回目の「ヒロシマ原爆の日」です。64年前のこの日、広島に原爆が投下され、沢山の人が命を失いました。
 1945年だけでも14万人の方が亡くなりました。その後、今日までの死没者数は、26万3945人になっています。

 しかし、今年の「原爆の日」は、これまでとは違った環境の下で開かれています。オバマ米大統領のプラハ演説によって、核廃絶の可能性が現実味を帯び始めたからです。
 そして、もう一つ、提訴から6年余にわたって争われてきた原爆症認定集団訴訟についても、大きく前進する可能性が生まれました。原告側の意向の大部分を国が受け入れ、全面解決への道筋が見えてきたからです。
 訴訟解決のための調印式は、平和記念公園での式典終了後に行われました。原告や支援者らが見守る中、麻生首相と日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の坪井直代表委員らが、1審勝訴原告の原爆症認定などを盛り込んだ確認書に署名しました。

 正午のNHKテレビのニュースを見ていたら、山本英典さんの姿が映っていました。山本さんは、都立大学塩田ゼミの私の大先輩にあたり、何度かお目にかかったことがあります。5月25日(月)の「塩田庄兵衛先生とお別れする会」でもお会いしました。
 山本先輩は、12歳の時、長崎市の爆心地から4.2キロ離れた自宅の裏庭で被爆され、爆心地付近を歩いて惨状を目撃されたそうです。集団訴訟の全国原告団の団長をされている関係で、この調印式に立ち会われたのでしょう。
 今日の『毎日新聞』には、「やっとここまで来たかと、泣きそうです」という山本さんの言葉が報じられています。調印式後の記者会見でも、「大きな勝利。原告はプライバシーをさらけ出し、闘い続けてきた。裁判途中で68人もの原告が亡くなっており、その犠牲によって成果が得られた」と喜びを語り、時折、涙で言葉を詰まらせたそうです。

 良かったですね、山本先輩。これまでの苦労が、ようやく報われましたね。

 麻生首相が、原爆症訴訟の原告全員を救済するという方向に大きく舵を切らざるを得なくなったのは、何よりも、被爆者自身の粘り強い運動があったからです。原爆症の認定と被爆者の救済を求めて提訴しなければ、このような形での解決の扉は開かれなかったでしょう。
 同時に、司法の力も大きかったと言えます。原爆症認定集団訴訟では、19回連続で原告側勝訴の判決が出ました。このような形で司法が解決を迫らなければ、行政や立法が重い腰を上げることはなかったでしょう。

 それにもう一つ、このような決断が、今、この時になされたという点にも注目する必要があります。それは、総選挙を目前に控え、自民党は敗北必至であると見られているからです。
 麻生さんは、劣勢を挽回するために役立つことなら何でもするつもりなのでしょう。その一つが、原爆症の認定と被爆者救済の問題だったのではないでしょうか。
 その意味では、これも「選挙目当て」の人気取りだという側面を持っています。しかし、それでも良いではありませんか。問題の解決に向けて前進し、被爆者が救済されるのであれば……。

 7月29日にアップした「私は「格差論壇」MAPをどう見たか」という『POSSE』第4号のインタビューの最後で、補正予算での雇用対策などについて「戦術というか、選挙を睨んでやっているように思えますが」という編集部の問いに、私は次のように答えました。

五十嵐:選挙目当てであっても、正しいことをやればそれでいいんですよ。ホワイトカラー・エグゼンプション導入の断念だって、安倍元首相からすれば選挙対策だったわけですから。夏に参議院選挙があるのに、こんな反対の多い法案を出して国会でガンガンやられたらたまらないということでやめちゃった。
 選挙対策ということは、有権者、ひいては国民の目を気にしているということですから、民意に従った選択ということになります。決して悪いことではないと思いますね。それだけ民意を気にかけ、それを尊重しようということになるのだから……。

 今回の、原爆症認定集団訴訟に対する政府側の態度変更も、同様に「選挙目当てであっても、正しいことをやればそれでいいんですよ」と、答えたいと思います。「選挙対策ということは、有権者、ひいては国民の目を気にしているということですから、民意に従った選択ということになります。決して悪いことではないと思いますね。それだけ民意を気にかけ、それを尊重しようということになるのだから」と……。

 明後日の8月8日(土)、私大教連の教研集会で講演するために札幌に行きます。このブログの読者の方も多く参加されることと思います。
 皆さんに、酪農学園大学でお目にかかれることを楽しみにしております。


8月3日(月) 自民党のマニフェストに対するコメント [論攷]

〔以下のコメントは、「識者によるマニフェスト点検」として共同通信社から寄稿を求められたものです。8月1日付の地方紙に掲載されたものと思われますが、今のところ、どこに掲載されたかは不明です〕

生活支援 今頃言っても……

 総選挙に向けて各党のマニフェストが出そろうなか、自民党のマニフェストが発表された。「後出しジャンケン」のような形になったのは、麻生降ろしもあって党内がまとまらなかったためである。
 内容はどうかといえば、貧困化と格差の拡大によって経済と社会をズタズタにし、地方を衰退させた小泉構造改革路線以来の失政への反省がなされていない。「安心な国民生活の構築」が最初に掲げられているが、「生活を破壊して不安を高めた自民党が良く言うよ」と思う国民も多いだろう。
 とはいえ、自民党らしさも出ている。自主憲法の制定、国際平和協力に関する一般法(国際協力基本法)の制定、次回の総選挙からの衆院議員総定数の1割以上の削減、道州制基本法の早期制定などである。
 また、財源問題で民主党を批判しているが、消費税については「経済状況の好転後遅滞なく実施」とするだけで、具体的な時期や引き上げ幅が明示されていない。将来的な増税を示唆するにとどまっている民主党とどこが違うのだろうか。
 他方で、民主党と競い合うような生活支援も掲げられている。子育て等に配慮した低所得者支援策(給付付き税額控除等)、3年目からの幼児教育無償化、就学援助制度の創設や新たな給付型奨学金の創設、低所得者の授業料無償化、雇用再生特別交付金や緊急雇用創出事業、「70歳はつらつ現役プラン」の実施などである。なるほど、その気になればすぐ実現できる政策に見える。
 ならば問いたい。どうして、今までそれらを実行しなかったのか、と。自民党はこれまで政権与党であり、そのチャンスはいくらでもあったはずなのに……。

8月2日(日) 「友愛会創立を記念する会」に出席してきた [日常]

 昨日の土曜日(8月1日)、芝の友愛会館で開かれた「友愛会創立を記念する会」に出席し、記念講演を聞き、レセプションに出てきました。レセプションには、高木連合会長も出席してあいさつをされました。

 2009年は、賀川豊彦が神戸のスラム街でキリスト教の伝道と救貧活動を始めた1909年から100年という節目の年に当たります。この「賀川豊彦献身100年」を記念して、友愛会館6階にある友愛労働歴史館では「賀川豊彦と労働運動」という展示会http://www.yuairodorekishikan.jp/59.htmlを行っています。
 この友愛労働歴史館は、私が代表幹事を務めている労働資料協(社会・労働関係資料センター連絡協議会)http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rodo/top.htmlの会員です。秋の総会では、この展示会についての報告もお願いしてあります。
 という関係もあって、この日のイヴェントに顔を出したというわけです。それに、「賀川豊彦と友愛会・総同盟」という加山久夫明治学院大学名誉教授による記念講演にも興味がありましたし……。

 講演が終わってから、6階にある友愛労働歴史館に顔を出し、ざっと展示を見せていただきました。その後、レセプションにも出席しましたが、連合の高木会長があいさつをされたのには驚きました。
 というのは、総選挙の投票日まで1ヵ月ですから、全国を飛び回っているのではないかと思っていたからです。選挙活動の合間を縫って顔を出されたのでしょうが、それだけこの会の位置づけが高いということになります。
 なお、友愛会館は9月末に閉館し、新友愛会館の建設に入る(竣工予定2012年)ため、友愛労働歴史館も8月5日から一旦閉館するそうです。この日の会は、友愛会館閉館以前の最後のイヴェントでした。

 友愛会は1912(大正1)年8月1日に鈴木文治ら15人によって創立されますが、その後、労働組合としての性格が強くなり、19年に大日本労働総同盟友愛会、21年には日本労働総同盟に改称されます。40年には大日本産業報国会に合流して姿を消しますが、戦後の46年に総同盟(日本労働組合総同盟)として再建され、以後、64年に同盟(全日本労働総同盟)となり、87年に民間連合(全日本民間労働組合総連合会)の結成にともなって解散、その2年後の89年、民間連合は官公労組合との「官民統一」によって今日の連合(日本労働組合総連合会)になりました。
 つまり、連合のルーツをたどれば、友愛会に行き着くというわけです。わざわざ会長の高木さんが出席されたのも、ある意味では当然かもしれません。

 それに、70~80人が参加していたこの会には、旧同盟系や旧民社党系の労働組合や政党幹部のOBが沢山参加していました。現役の幹部にも隠然たる影響力を持っているであろう古参活動家のネジを巻き、総選挙に対する取り組みを強めるという目的もあったでしょう。
 連合の高木会長は、あいさつの中で、「民主党への風が吹いているようだが、自力で生みだしたものではなく自民党の失政によるものだ。まだ、何が起こるか分からないから、ふわふわとしていては困る」というような話をされました。楽観論を戒め、陣営内を引き締める趣旨だったと思われます。
 しかし、参加者の方々は民主党の好調さを肌身に感じているのでしょう。高木さんのあいさつにも笑い声が漏れ、民主党勝利、政権交代間近という雰囲気が漂っているようでした。

 確かに、高木さんの言うように、まだ、何が起きるか分かりません。油断は禁物です。
 この日、麻生首相は新潟を訪れ、街頭演説の前に横田めぐみさんが拉致された現場を視察しています。北朝鮮の暴挙や愚行を総選挙に利用しようという意図が見え見えです。
 「困ったときの北朝鮮頼み」というのが、これまでの自民党のやり方でした。北朝鮮が、このような目論見にはまるような暴挙を繰り返さなければ良いのですが……。

8月1日(土) 書評:山田敬男著『新版 戦後日本史-時代をラディカルにとらえる』学習の友社 [論攷]

〔以下の書評は、雑誌『経済』2009年8月号に掲載されたものです〕

書評:山田敬男著『新版 戦後日本史-時代をラディカルにとらえる』学習の友社

 本書は、戦後日本社会についての「通史」である。本書を読むことによって、第二次世界大戦後の日本が、どのような経緯を経て、今日のような政治・社会・経済のあり方にいたったかを知ることができる。
 現在を知るためには、過去を学ばなければならない。そのために役立つような戦後日本についての手頃な「通史」は、沢山あるようでいて実は少ない。この点に、本書刊行の大きな意義を認めることができる。

 しかも、本書はただの「通史」ではない。いくつかの際だった特色を持っている。
 その第一は、戦後史を見る視点である。筆者は、「私の戦後史を見る視点」として、日米関係とアジア関係、社会運動、日本社会の複合的性格の三つを重視している。このなかでも、特に、「競争主義・企業主義と民主主義の対抗関係」「両者のせめぎ合い、共存」という戦後社会のとらえ方が重要である。
 これは六〇年代に形成され、企業主義は九〇年代以降大きく変容して社会統合の基盤が不安定化していること、民主主義は八〇年代から九〇年代にかけて危機的状況におかれたが今世紀に入って社会変革の新しい可能性が生まれつつあることの両面が指摘されている。
 戦後社会の性格に対するこのような“複眼的視角”によって、戦後の歴史的経過を立体的に、かつダイナミックにとらえることが可能になっている。
 第二は、戦後日本の政治・社会・経済についての基本的な事実が網羅されているだけではなく、歴史的事象の「問題点」「意味」「特徴」「教訓」などが、その都度明らかにされているということである。これは、とりわけ本書の大きなメリットである。
 たとえば、戦争責任、東京裁判、講和条約、新安保条約、日韓基本条約などについては、その問題点が整理されている。また、一〇月闘争、二・一ゼネスト運動、憲法の三原則、六〇年安保闘争、革新自治体の経験、ベトナム戦争などについては、その意味が明らかにされている。
 さらに、六〇年代後半の社会運動、「国連女性の一〇年」と女性運動の高揚、小泉「構造改革」などについては、その特徴が示されている。三池争議の教訓や労働法制改革の主な狙いなどについても整理されている。本書全体にわたって、分析的な叙述と教育的な観点が貫かれていると言ってよい。
 第三は、第二次世界大戦と戦後改革の記述が重視されているということである。これは「敗戦と戦後の改革の意味を振り返り、戦後史を再検討することが極めて重要」であり、「戦後史」理解の前提として「第二次世界大戦とはどのような戦争であったのかを考えることが重要」だという著者の認識を反映したものである。その結果、本書の全七章のうちの二章がこれに当てられている。
 「戦後日本史」でありながら、それ以前の戦争に多くの記述が割かれているのは、「過去の侵略戦争に対する反省の問題」が深く関わっているからである。これは「克服しなければならない歴史的課題」であり、そのためにも「過去の侵略戦争」の実相を明らかにする必要があると判断されたためであろう。これも本書の特徴であり、評価すべき点である。

 しかし同時に、このことは別の問題を生む結果になっている。それは、戦後史の前半部分に多くのスペースが取られ、後半部分が手薄になっているという問題である。
 本書の中間にあるのは六〇年安保闘争についての記述であり、ここまでに扱われている前半部分は一五年、後半部分は四五年である。戦後史の前半部分が後半部分の三倍の記述になっているというのは、やはりアンバランスというほかない。
 もう一つの問題は、一九七五年という年の意味が明確にされていないという点である。著者は、戦後史の時期区分として、第三期を七四年までとし、第四期が七五年から始まるとしている。ここで問題となるのが、七五年という年をどう位置づけるのかという点である。具体的にいえば、「スト権スト」をめぐる評価ということになる。
 七五年に八日間にわたって実施された「スト権スト」は、戦後労働運動が攻勢から守勢へと追い込まれる分岐点になった。国民の政治意識や社会意識の点でも、この前後では大きな変化があった。しかし、本書では「七五年の公労協の『スト権スト』の挫折」とされているだけで具体的な内容については記述されず、その意味や教訓についても触れられていない。社会・労働運動を重視する本書の「視点」からすれば、いささか惜しまれる点である。
 同様に、八七年の韓国の「民主化宣言」についての記述でも、その後の韓国社会を大きく変容させた「労働者大闘争」に触れられていないのも物足りない。これは、日本の戦後改革における労働運動の高揚に匹敵するインパクトを、韓国社会に与えたと思われるからである。

 とはいえ、戦後の日本がたどってきたそれぞれの「時代をラディカルにとらえる」という点で、本書は基本的に成功している。歴史認識や日米関係の問題点、日本経済のあり方の根本的転換などの「歴史的課題」の背景とその重要性を理解するうえで、本書は極めて有益である。二一世紀における日本の前途を切り拓くためにも、本書が大いに活用されることを期待したい。